尾張の虎、織田信秀死す
天文二十(一五五一)年、織田信秀が死去。流行病により四十二才で亡くなる。家督は嫡男上総介信長が継いだ。
しかし素行に難があった信長が跡を継ぐことを不安視する家臣は多く、信長の同母弟である勘十郎信勝を推す声は少なくなかった。ちなみに俺の事だ。
傍迷惑な話である。転生したのか憑依しのかは定かではないが、気が付いたら信勝になっていた。この信勝はまたの名を信行とも言う。史実での信勝は折り目正しく品行方正だったという。今世の俺の評価も似たような感じである。
未来の知識を持っているとは言え戦国時代の詳しい知識など持っている訳などなく、知っている知識など教科書の内容に加えて自分で興味を持って調べた程度のものだ。こんなあやふやな知識で自分から行動する気などなく、言われたことをただこなしていただけだ。
自分達の常識から外れた事ばかりやらかす奴よりも、常識の範疇のことを可もなく不可もなく極々普通にこなす奴。どちらの評価が高くなるかなど考えるまでもない。つまりはそういう訳だ。
父信秀の葬儀でも信長は仏前で抹香を投げつけるというぶっ飛んだ事を本当に仕出かした。俺は作法に乗っ取った行動をした。だって俺にはそんな度胸は無いし。
そんなこんなで普通に暮らしていたら評価が爆上がりしていた。史実で信勝は周りの評価に流され信長に対抗して家督を狙ったみたいだが、俺はそんなことはしない。何故なら俺は信長のファンだからだ。邪魔なんてしない。
しかし周りがそれを赦さなかった。林秀貞、通具兄弟と柴田勝家が挙兵した。