金ヶ崎撤退戦
最初信長はこの報告を信じなかった。浅井家には美濃攻めの一環として妹の市を嫁がせて婚姻を結び、同盟関係にあった。その関係は今の今まで続いており、歴とした縁者である。
しかしその後も続々と同様の報告が届き、浅井家の離反は疑い様のないものとなった。人生とは儘ならないもので、信長は「是非に及ばず」と一言こぼしたという。
この態度から信長が浅井家に対してかなりの信を置いていたことがわかる。だが浅井家は信長に対して信を置くことが出来なかったようだ。信長は伊勢攻略に際して国人衆に弟を入れ、伊勢国司には息子を入れて支配下に置いた。このままでは自分達もいずれかは取り込まれてしまうのではと思っても不思議ではない。
全軍に退却を下知した信長は金ヶ崎城に木下藤吉郎を残し、自身は供回りに十人ほど引き連れて早々に撤退してしまう。信長一行は朽木元綱の協力により朽木谷を越えて京に戻って来た。
信長は京を視察してから岐阜へと帰還した。その際には今回の事を気にした様子は見られず、俺が「今回は大変でしたね」と声をかけたら一瞥したあと鼻を鳴らして一蹴されてしまった。
残された織田軍本隊は被害を微々たるものに抑えて退却してきた。織田軍の退却が上手かったのか、朝倉軍の追撃が甘かったのか、詳細は不明だが少ない損失ですんだ。
この後も帰り道で信長は狙撃されるも失敗。六角氏が挙兵するも蹴散らされていた。ちなみに信長を狙撃した犯人は後に捕まり処刑された。その処刑の方法はかなり酷いものだったとだけ伝えておく。




