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初めての築城

 清洲同盟により背後に気を付ける必要の無くなった信長は美濃攻略に向けてある場所で築城を始める。その場所とは小牧山。信長初の築城である。


 小牧山築城にあたり、信長は主だった家臣を連れて二ノ宮山の高所に登り「この地に築城する」と突然宣言した。ちなみに俺は勝家を派遣して引き込もっていました。


 なぜ小牧山じゃなくて二ノ宮山じゃんとか思っているかもしれないが、これは信長による釣りである。あの谷には何々、あの峰には何々とその場で言い出し、帰ってからも度々その事を口に出していたそうだ。本気で狼狽している勝家を見ているのは面白かったです。


 何をそんなに狼狽することがあるのかというと、清洲は国の中心としてかなり栄えていた。とても住みやすいその地を離れて、二ノ宮山とかいう不便な山の中に移れと言われたのだ。家臣だけでなく町民までもが不満を口に出す始末だった。


 そのような中に信長は「やはり小牧山にする」と言って転移地を正式に変更した。これを聞いた一同は安堵したようだ。小牧の地は清洲から川続きで移転も用意だからだ。もう皆が本気で安心してた。


 最初に困難な場所を指定して、移転するという事に対する不満を和らげる作戦だったのだ。上手くやったものだ。多分『本気』で二ノ宮山に築城するならこうするというのを語ったんだろうな。


 そして実は小牧山城自体も驚くべきものだった。なんと城下町は区画整理されており、日本で初めての石垣を用いられた城なのである。初めての築城で度肝を抜いてくる、やはり只者ではないね。


 当時の城は土塁に木板の壁で出来た地味な見た目のものだったが、小牧山城は周りを石が囲っていた。初めて見たときは「おおぉ」としか言えなかったな。何かこう綺麗で、存在感が半端じゃなかった。しかも大手通り沿いには家臣たちの屋敷が建てられていて、城の主が一番偉いと見ただけで分かる配置になっていた。


 この城はすごい目立つわけで、敵の城からよく見える場所に築かれていた。敵からはよく見える訳で、当時敵対していた織田信清勢は兵を出してきたが、これ以上の抵抗は難しいと緒城から撤退して犬山城に引っ込んだ。


 その犬山城も丹羽長秀の調略により落城。信清は甲斐へと逃亡した。

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