織田信長という男
織田信長をご存知だろうか?
日本人なら名前ぐらいは知っているだろう。豊臣秀吉、徳川家康と並び称される三英傑の一人だ。この人が存在しなければ戦国の世はもう少し長く続いていただろう。
天下統一の基礎を築き上げたこの男、戦国武将の例に漏れずとんだ変人である。数々の奇行から「尾張の大うつけ」と呼ばれていた。
そして彼は織田弾正忠家の嫡男である。尾張国は守護の斯波氏の下で上四郡、下四郡に二つの守護代に分かれて統治されていた。
弾正忠家は二つの守護代の内、下四郡の守護代の清洲織田氏の三奉行のひとつに過ぎなかった。しかし世は戦国乱世、既存の支配体系は崩壊して久しく群雄割拠している時代である。下克上上等。尾張では信長の父が実権を握っていた。
そんな弾正忠家の嫡男がうつけの信長である。ある者は信長を心配し、ある者は織田家の行く末を憂い、ある者は尾張の実権を手にしようと画策していた。
信長は人生のおよそ半分を尾張で過ごしている。尾張を統一するのに人生の半分を費やしていたのである。主な原因は信長自信の評判のせいだろう。誰だって阿呆の下で働きたいとは思わない。信長は当主になってすぐは家中の統一すらなっていなかった。
尾張を統一し、美濃に侵攻。将軍候補を擁立して上洛を達成。各地に方面軍を派遣し、天下統一事業を推し進めるも本能寺で志し半ばで散る。これらの出来事は信長の後半世である。教科書に載っている部分がこれらだ。
後半世でも妹を嫁がせた相手に裏切られ、将軍にしてあげたのに包囲網を敷かれ、宗教団体には牙を剥かれる。これらもまた、信長のうつけと云われる部分が原因だと思われる。
これらの考察は私個人のものだか、この度幸か不幸か近くで観察する機会を得たので検証していきたいと思う。
まあ、その為には直ぐに訪れることになる死亡フラグを叩き潰さねばならないのだが……。