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小説 異能恋学:背中合わせの文化祭  作者: 銀狼&雨柚木優輝
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Side Z

――10月中旬。

 差し込んでくる日差しが暖かく、ぽかぽかしてとても気持ちが良い朝の時間。こんなに心地いい陽気の日には、のんびりと寝ていたくなるものだ。実際俺はそうしていたのだ。机に突っ伏し、そこそこ面白い夢の世界へ……。

「―――、おい零」

「んあ、いでっ!?」

 自分の名前を呼ぶ声と、何かが頭に当たった衝撃。その二つで強制的に覚醒させられた俺は、思わず声を上げた。眉を顰めながら、ゆっくりと体を起こす。クラス中の視線が、自分に集中しているのを感じる。最悪だ。こちとら目立ちたかねぇってのに。しかもいい感じの睡眠の中良い感じの夢を見ていたのに。

「ってぇな、何だよもう」

 ふと視界に入った床には白のチョークが転がっていた。どうやらこいつを投げつけられたらしい。そんなことをこの場でやれるのは、我らが1-B担任、東堂吟司先生くらいだろう。

 案の定、めんどくさそうな様子の東堂先生が呆れたような目で俺を見てらっしゃる。無理やり起こされたことの苛立ちもあって、自然と目つきが悪くなる……誰だ今女の子らしくとか野次飛ばした奴。うっせぇ元からだ今更だ。

「今の説明、聞いてたか?」

 ため息交じりに先生は言った。周りからクスクスとおかしそうな笑い声が聞こえ始め、時間と共に広がっていく。

 あぁクソ本当最悪だ。何なんだコレ――思わず舌打ちしたくなったが必死に堪えた。

「あ?説明?何のことだ」

「……あーめんどくせぇ。音羽。後でこの馬鹿に説明しとけ」

 やっぱりな、といった様子の先生は頭を掻いて、俺の席の近くに座る高町音羽を指名した。彼女はクラスでもしっかり者の部類に入る少女だ。成績も優秀、性格も明るく、誰にも分け隔てなく接する故に周りからの信頼も厚い、まさに学級委員タイプだと俺は思う。

 ……つまり、出来の悪い生徒への説明役にうってつけなのだ。俺のような。

「あ、はーい!」

「いいよ別に……どうせ文化祭の出し物がどうたらこうたらってやつだろ」

 間の抜けた欠伸と共に、笑顔の高町を先制する。時期と嫌でも耳に入ってくる周りの会話で、大体の想像はついていた。

 あぁ、こちらも面倒になってきた。頬杖をついて机に視線を落とす。

「大体はそうだが、まだもう一個あるだろ?」

「は?もう一個?」

 溜息交じりの先生の言葉に、また顔を上げる。お前これ読んでねぇだろ、とばかりに片手のプリントをひらひらと示している。

「そうだよ? ……零ちゃんはどーせジョウ君と一緒に行くんでしょ?」

 高町がこそっと耳打ちしてきた。聞き捨てならない名前を聞いて、こっちが呆れそうになるのは何でだろうか。あの野郎、いっつも飄々と俺をからかいやがって……あ、駄目だ機嫌の悪さに拍車がかかりそうだやめとこ。

「あー? 俺まず不参加で」

 そう言って窓の外に目をやる。高町も分かってるはずだ。俺は……うん、訳ありで単独で動くことが多い。そんな俺が他人と協力して、それも2、3人どころじゃない大勢と何かをやろうなんて想像もつかない。

 ふらりと歩いて面白そうなとこ覗いて、飽きたら寮に帰って寝る。文化祭はそんなもんでいいだろうと、まだ気楽に考えていたのだが。

「さっきの罰としてお前は強制参加だ」

先生はびしっと音を立てるように、持っていたプリントを俺に向けてきた。

 ……は? は……えっちょっと、はぁ!?

「はぁ!? は!? 何それ!? 俺その日は回る役だぞ、やる役はしないぞ!!」

 思わず立ち上がり、大声を出す。またクラスメイトの視線を感じるがそんなことはどうでもいい。

「A組の方にいる彼氏さんと回りたいっつー気持ちは分かるがな」

 コイツ盛大なカミングアウトをしやがった―――ッ!! 今まで必死に隠してきたっつーのになんてこった。おい前の奴、頼むからその「え、嘘ぉ」みたいな目止めてくれ、こっち向けんな。高町も苦笑してるだけで止めようとしねぇ!? あぁもう、何だコレ。

「うるせぇよ俺そいつと回る気ねぇし!一人で回る気だったんだ!」

「あーうるせえうるせえ…」

 煩わしげな東堂先生にそう言って、気まずさを感じ椅子に腰を下ろす。うん、紛れもない事実だ。あいつだって色々やることがあるだろうし。あいつの邪魔はしたくはないし。

 さっき高町に言われて思考の端に追いやったあいつが、再び顔を出してきた。ジョウ・ライナー……本名はジャック・ツェルーペス。こんな口調で普段の格好も男寄り、制服以外じゃあ普通に男と間違われるこの俺。昔から男子とばかり遊んでいたせいか、今更自分じゃどうしようもないとこまで来てしまった少女の末路たるこの俺、虚空零の……一応、彼氏。

 夏休み間に何やかんやあって、付き合うなんてことになって、その後も色々……あぁやめとこ。あまりにもヤマが多いしデカすぎる。ほんと普通の高校生の人生じゃねぇよなってか、そもそも普通じゃないのか。何せここは国立下山高校、異能と呼ばれる特殊能力を持った連中が集められた高校だもんな。

「まぁまぁ。ジョウくんと一緒の出し物やればいいんじゃない?」

 宥めるように、高町が俺に笑ってみせた。

「…は?」

 思わず目が丸くなる。同時に気付いて首を傾げる。一緒にってどういうことだよ? あいつは1-A、俺は1-Bだし。あれ、出し物ってクラス単位じゃないの!?

「何っ!? あいつと一緒の出し物!? 何でだよ……つか何でそこまでアイツと俺を一緒にさせようとすんだよ……?」

「うーん……ほら、仲良いとやりやすいって言うじゃない?」

 相手の方も首を傾げながらそうのたまった。

「仲良い? どこが?」

 いつもからかわれてるだけのような気がするんですが?

「ほら、色んな人が言ってるよ?」

 色んな人? 一体誰だろうか。俺があいつと付き合っているなんて口外した覚えは一度きりだが。

「新聞部の人たち~」

 にこやかに彼女は笑って言ってくれた。あぁ、あぁもうこれは―――。

「だめだこりゃ……」

 深くため息をついて机につっぷすと、東堂先生の声がまた耳に入る。

「つーわけだ、俺ぁもう帰るから。俺ぁ聞いてない奴に二度説明するほど酔狂じゃねえからな。後で他の奴に聞いとけー」

 続いて教室の扉を開ける音が聞こえ、顔を上げた時にはもう先生の姿は無かった。




 クラスの面子が騒ぎ始めた。「何やる?」とか「一緒にやろうぜ!」とか、聞こえてくるのはそんな浮足だった会話の断片。

あぁ、何だろう。まず説明も何も聞いていないんだからさっぱり分からん。強制参加って言われたって何をやれってんだ? とりあえず、考えることはただ一つ。

 ……どうやって逃げてやろうか?

「……でも、いいんじゃない? 好きな人と一緒に居るのは……すごく楽しいと思うよ?」

 そんな俺に話しかけてくる高町の表情は少し寂しげにも見えた。いつも笑っている彼女にしては珍しい、そう思わせるような顔だった。少しばかりその表情が気になったが、それはそれ、これはこれだ。

「……そうか? 楽しい時もあれば……辛いときだって、あるぞ」

 彼女の言葉に目を閉じて、小さく返事を呟く。

 楽しい時も確かにたくさんある。けど、それと比例するように辛いときも何度もあった。

 付き合いだしてから、「自分」という存在と正面から向き合わなきゃならなくなった。今まで辛いことも悲しいことも苦しいことも、それなりに経験はしてきたと思う。けれどあいつとそういった関係になってから、それまでとは違った、別の苦しみに何度もぶちあたった。思い出すだけで心が痛む。

 ……いや、今は関係ないよな。

 ゆっくりと立ち上がって伸びをした。これからどうするかを考えなきゃいけない。文化祭出し物担当から逃げる為にはある程度計画を練らないと。テストで回ることのない頭をここぞとばかりにフル回転。

 とりあえず、あの担任の目から逃れねぇと。極端な話ずっと寮に引きこもる、というのも一種の手だけど、それはそれでただの引きこもりになっちまうな……。

「……だからこそ、一緒に人生を共にできるんじゃない?」

 ……はい? じ、人生? なんかすごい話飛んでるような……?

「何でそういうところまで発展してんだよ……人生とかそういうのまだよく分かんねぇもん。アイツのこと好きか? って聞かれてすぐ頷ける自信も無いし」

 呆れ顔で返しても、彼女のにこにことした表情は崩れなかった。いや、嘘言ってねぇし。自信がない、というのは本音ですよ本音。

 ……俺自身「好き」の区別が上手く付いていない。一口に「好き」と言っても「like」なのか「love」なのか……それは全然違うものだよね! とか、以前クラスの女子たちが話しているのを耳にしたけど、ぶっちゃけ言って下手すりゃその違いすら分かってないかもしれない。あやふやで掴みづらいその感情は扱い辛い。自分自身の考えとは全く違う行動を勝手に取ってしまうことだってままある。こんな自分に彼氏と呼べる存在がいるだけでもう驚きなんですよねぇ……。

 お互いクラスが別だし、俺からあいつに関わりに行くことだって少ないし。でも何か気付いたら隣にいることが多いよな……「幽霊野郎」って呼ばれるのもあながち間違ってないよなぁ、なーんて思ってみたりみなかったり。いや、俺がつけたわけじゃねぇけど。某ヴァイオレンスな馬先輩だけど。

 会ったところで時間はいつも放課後。特にどこかに行ったりするってのはあまりないし……というかあの、付き合ってる者同士だってのに、それらしいこともそれほどしてない、気が、する……あれ、何か変なとこまで思考がいってるような……?

 ふあ、と思わず口から飛び出た欠伸を手で抑え、それから少々目を擦った。あぁ、まだ眠気が覚めてないのかだからか。

「……ふーん……でも、付き合ってるんだね」

 知っててそれを言うか。一瞬彼女のイメージが崩れる予感がした。いやいや高町は良い奴なんだ、良い奴なんだ……そう、思わせてください。

「もう分かってんならそれ言うな……」

 ため息をつきつつ何とか返す。

「……羨ましいよ、心を許せる人がいるなんてさ……嫉妬しちゃうな」

「……ま、それ相応のことを何度か乗り切ってきてるからな」

 彼女の顔に再び浮かんだ、寂しそうな表情。何度も浮かべるなんて珍しい。やっぱり何かあったんじゃないか? ……そう思いつつ、口から出るのは同情的な言葉じゃない。

 10月までに起こった様々なこと。ちょいと振り返ってみただけで、何度死にかけたことか……いや、何度も死にかけるって何なんだ。やっぱここ普通じゃねぇ。やっぱここ普通じゃねぇ。大事なことなので二回言いました。

 そう、そうだ。俺達はここまで来るのに、相当なことを経験してきてるんだ。そこらの連中じゃあ乗り越えられないだろうな……その上での今の関係だから、嫉妬と言われれてもピンとこない。

 俺はどちらかというと、誰にだって笑顔を見せて仲良くしようと出来る、そんな高町の方が羨ましい、なんて思ったりもする。単独行動をやめたら、もっと笑っていられたら……それが出来たら、苦労なんてしてねぇよな……。

「俺はそうやって、誰にでも笑うことが出来るお前が、羨ましくも、思うけどな」

 思ったことをそのまま言ってやった。笑ってやろ、そう思って笑顔を作ったけど、どうもいつも通りには笑えなかった。誤魔化すように高町に片手を上げて、未だ騒がしい教室を後にしようと足を動かした。




 教室の後ろ側のドアを開けて外に出る。隣のクラス、1-Aからも楽しそうな声が聞こえてきて、思わず溜息をつきたくなる。周りは楽しそうにしてるのに俺だけ何でこんなに居心地が悪いのかなぁ。何だろうなぁ、何でだろうなぁ……普段の自分の行動のせいですねはい。って駄目だ自分で自分の傷抉ってどうする……せめて今だけは逃避させてくれ。

 とりあえず寮に帰るとするか。作戦考えなきゃ。

「おい虚空!」

 突如背中に投げ付けられた言葉に動きを止めた。確かこの声は……1-Aの諏訪、だったっけ? 今度は何だよ、こちとら機嫌悪いからな。心の中でそう呟いてから振り返る。

「……あー……?」

 ああ、うん、もう自分の声が自分で聞いてて不機嫌極まりねぇなとか思った。何でもかんでも全部声に出てしまうクセ、どーにかしないとなぁ。

 振り返るとそこにはやはり1-Aの諏訪、それに彼氏の「ジョウ」……っておい、ちょっと待て、何でお前もそこにいる!? お蔭ですっかり目が覚めたわ。

 いやいや待て待て、人の目がある手前、動揺を表に出すわけにはいかないぞ、俺。そう思って必死に表情を固める。あれこれ余計不機嫌に見えるんじゃ、いやいや今は必要な措置なんだそうなんだ。

 ――けど、甘かった。

「お前も劇に出ないか?」

 ……ん? んんんん……? ……はいはい落ち着け、落ち着くんだ。さぁさっきの諏訪の言葉をもう一度再生させて……はぁ!?

「……いや待て、おい」

 うんまったくその通りだなジャックさん。劇? 何のことだ? ぜんっぜん話が見えないんですが。

「……は? は? え? 劇? 何で?」

 ようやく疑問が口から出てくれた。詰まり過ぎて単語区切りだけど。

「人数が多い方がいいだろ?」

「そらそうじゃがなして……?」

 さも当然だというように諏訪が言えば、隣にいるジャックは首を傾げて、腑に落ちない様子で呟いている。うん、俺も腑に落ちねぇ。

 劇ってあの、台本読んで台詞覚えて、身振り素振りで表現する、あれのことを言っているのか?

「鬼の役なんてどうだ? 鬼娘」

「お、鬼……?」

 諏訪の提案に、再びジャックは首を傾げた。いやそんな場合じゃねぇって。

 何か勝手に配役提案された!? しかも鬼って、こいつら一体何の劇をやるつもりだ!? ってかジャックお前そこにいるってことはまさかお前も……って、あぁもう、ちょっと本当に待ってくれ、頭が追い付いてない!

「は!? いやちょ、何勝手に話進めてんだよ!? 1から説明しろ、1から!?」

 叫べば二人は一度こっちに目をやって、視線をお互いに交わしてから、文化祭のことについて話し始めた。

「ああ、今回の文化祭はクラス関係なしにグループを作って行うんだ」

「因みにやるじゃったら予算3万はくれるてや」

「へぇー、そうなんだ」

 淀みなく説明する彼らに感心。相槌を打って話を聞いた。

 ふむふむ、なるほど。先生がさっき話していたのはそれだったのか。いやぁ中々大事な部分を聞き逃していたんだな俺って。

「あれっ? 零もするの?」

「するのー?」

 ふと顔を上げて、諏訪とジャックの後ろを見ると、これまた1-Aの女子二人組、片方は雪島真由奈、通称真由ちゃんと、もう片方のクロスヘアピンの子は確かえぇと……あ、俺この子の名前知らねぇ。けど、真由ちゃんとよく一緒にいるところは見かけているから、きっと二人は仲が良いんだと思う。

 ――って待て待て! そんなことを考えてる場合じゃねぇ! 今あいつら「するの?」って聞いてきたよな!?

「え? ……は!? いや、俺するなんて言ってねえ!!」

 慌てて否定したが、どうやら遅かったらしい。

 こちらの方にやってきた真由ちゃんは俺の手を取り、目をキラキラと輝かせては、

「一緒に頑張ろう! 実は私もやりたいんだけど、人の前に立つっていう経験すらないから不安で!」

 と何とも無邪気な言葉をこちらに投げてきた。

 あぁ、聞く耳持たずっつーのはこういうことか、そうなのか!?

「へ!? な…何で!? ちょ、話聞けよ真由ちゃん!!」

「一緒にがんばろ!」

 今度はあのクロスヘアピンの子が、俺の手を取る真由ちゃんの手に、更に手を重ねてきやがった。彼女たちの目線が純粋過ぎて顔を背けたいくらいだ。

 やめて下さいそんな目で俺を見ないで下さいよ。そんな期待の眼差しで俺を見るなよ頼むから!

「おもろそじゃし協力はやぶさかでもないが、主役はないて」

「まぁ、配役に関しては追々考えるとしよう」

「よし! 諏訪君やってくれるって!」

「諏訪くんも協力するって!」

「え? まあ、協力はするが?」

「え、いや、ちょお待てや」

 俺を取り残して話はとんとん拍子に進んでいってしまう。もうこっちは驚きすぎて何も言えなかった。

 おい待て本当にどうなってんだ。何でこんなに話流れるの早いんだよ。文化祭の大体の概要は分かった。それをさっきホームルームで話してたってこともな。んで配役がどうたらって、お前ら今さっき概要話されたのにどんだけ話進めて……って、待て、ちょっと、待て? 今俺これ、参加するって方向で話進んでんの!?

「っはああああ!? 何だよそれ!! 何でそうなったし!? 俺一度も首縦に振った覚えねぇぞ!?」

 思わず叫んでしまった。いやそうだよ! 叫ばざるを得ないだろ!?

「えっ……? もしかしてやりたくなかった?」

「やりたくなかった?」

 気がついたように女子二人組はほとんど同時にこっちを見てきた。さっき手を取ったときとは真逆の、不安そうな表情で。

 やりたくない? ……そう問われると、返答に詰まる。

「え? え、あ……そ、そりゃ、俺人前に立つの、苦手、だし……つか、何も聞かされてねえし!!」

 その通り。人前に立つのも苦手だし、何より目立ちたくない。

 ……でも、冷静に考えてみれば、今までずっと一人で行動してきて、周りと何かをやることもなかった。というか声もかけられたことすらない。教室に居た時思ったように、そんな俺が協力して何かをやるところなんて想像出来ない。出来ないけど……単純に、面白そうだとは思った。

 ただあれだけ一人で過ごしていて、今更協力して何かを、なんて、気が引けてしまう。周りの目もあるもんなぁ……。

 どうしよう、ただその一言が頭を覆い尽くしていった。

「まぁ、本当に劇に出るかはともかく、とりあえず手伝ってくれねぇか? 一応礼はする」

 諏訪は感じ取ってくれたのか、助け船を出してくれた。

「手伝い、なぁ。大したこと、できねぇぞ」

 そう言ってみたけど、でもまぁ、確かに、裏方の仕事だって当然あるはず。そっちの方に回れば人の目につくことは無いし……。作業も大変そうだけど、やりがいはありそうだし。

 ほっと一安心して肩を竦めたところで、真由ちゃんがジャックの腕を引っ張ってくる。

 何だろう? そう思って首を傾げようとしたところ、とんでもない言葉が彼女の口から飛び出してきた。

「ほら、ジョウ君も出るから!」

 ……はい?

「うぇっ、お前も出んの!?」

 えええ!? 嘘だろ!? い、いや、薄々思ってたけど! そこにいるってことは何かしら関係あるんだろうなぁとは思ってたけど!!

 思考が追い付かずに一歩退いた。ふと諏訪を見れば、何だか悪戯っ気ありありな様子で笑っている。

 あぁこの表情。こいつ、絶対何か企んでやがる。

「え、あ、ちょ、役で出るとは言うちょらんど?」

 あ、やっぱり。そうだよな、自分からこいつは「やる」とか言わねぇもんなぁ。ってことは裏方かな? 異能からしてみて、効果演出には確かにうってつけだもんな。うん、それなら理解でき――。

「なーに言ってるの、ジョウ君は主人公って今決まったばっかりじゃん」

……え?

「は!? しかも主人公!?」

 ちょ、待っ、主人公!? こいつが!? いつも陰で行動しているこいつが!? 嘘だろ信じらんねぇ、何かの間違いじゃ!?

「いやいやありゃ一アイデアであってじゃなぁ――」

 予想通り彼はこちらに言い訳を言ってきた。

 一アイデアでもお前が主人公って話が出たってことだろうが。もうそれだけで十分驚きだわ。

「決定事項です!」

「決定事項なのです!」

 真由ちゃんとクロスヘアピンの子はビシッと彼に指をさして圧力をかける。

 こいつが主人公の劇って一体何なんだ……?

「わぁ……へぇ、お前が主人公の劇……へぇ……」

「なしてじゃあ!?」

 ジャックを見ていて、つい言葉が漏れる。そして彼は彼で疑問を口にして頭を抱えている。どうやらツッコミが追い付いていないらしい。

 もう俺気になって仕方ないぜ、この劇とやら。きっと大層、大層凄いもんなんだな……。

 女子二人組に言われ放題になっているジャックを傍観して、呑気にそんなことを思っていた。この時点では。

「くっくっく……虚空、ちょっと」

 おかしそうに笑う諏訪に手招きをされる。

 今度は何だよ……。怪しいなぁ。ま、ここは大人しく従おう。

 そーっと近づくと、彼は顔を近づけてきた。

「ジョウが主人公になったら、ヒロインはお前にしてやるぞ?」

 ッ……!?

 彼の言葉が耳に入った瞬間、顔が一気に熱を帯びた。

 は、はぁ!? 何だそれ、ヒロイン!? 何で俺が、こいつなんかと一緒に……ッ!?

「っは……!? な、何言ってんのお前……ッ!?」

 そんなもん恥ずかしくてやってられっか!! そんなんできるわけないだろ。どうしてそうなったんだよ、やめてくれよっ、考えただけで頭真っ白になる!!

 ……でも、それはそれでいいかもしれな――って何考えてんだ俺!?

「ま、考えておけよ」

 笑いをふくんだ声で諏訪はそう言ってきた。

「っ――ん、んなこと言われたって……っ」

 否定の言葉と共に首をぶんぶん横に振る。

 あぁ何でッ、ついでにこの熱もどっか飛んでけっ!!

「おもしろいから!」

「がんばれ! 零ちゃん!」

「へ……!?」

 振り返ればクロスヘアピンの子と真由ちゃんが声をかけてくる……ってかやめろやめろ、今この顔見ないでくれよ!! 多分相当赤くなってると思うし!!

「が、頑張れって、俺、何も言ってないからな……っ」

 咄嗟に両手で顔を隠してカモフラージュ。上手くいけたなら悩んでる様子に見えるはず!

 あっぶねぇ、もう、冷や冷やしたぞ……諏訪の野郎っ、変なこと言いやがって……ッ!

「まぁ、役の話は追々考えるとして。まずは人員補充だ」

 あああ良かった、諏訪の二度目の助け船だ……!! 助かった!! これで流れを変えられる!!

 よしよし落ち着け俺、か、顔どうにかしないと。大丈夫かな? もういい加減治まっててもいいよなぁ……? ホントどうしてくれるんだ。というか「ヒロインにしてやる」って、言われただけでこんなに熱くなるなんて俺もどうかしてるよな? しかも気は向き始めてるし……っ。あぁ、これもあの「扱い辛い感情」のせいか、そうなのか……?

 いや考え直すんだ俺。そんなもん自分が出来ると思うか? む、向いて、なくね?

「まっ、つまりそういうことでジョウ君は主人公に決定ね!」

「ジョウくん主人公ー!」

 っちょ、待て待てっ、そうなったら俺が……っ、あーくそどうすりゃいいんだ!!

 楽しそうに言う女子二人組とは対照的に、俺は焦りでいっぱいいっぱいだ。

「……もうええ、そん話は置いといて。まず頭数じゃ。取り敢えず、諏訪、飛木鐘、雪島……ワシに……?」

 気がついたら、ジャックと真由ちゃんの二人が、こちらを見ていた。

「へ? な、何で俺見たんだよ……?」

 何かおかしなことでも……?

 こっちは思考の真っただ中にいたせいか今の今まで気がつかななくて、キョトンとした顔をしてしまう。

「え? 参加するかしないかの話だけど?」

「零ちゃんも参加するよね!?」

 再びクロスヘアピンの少女はこちらに無邪気な視線を向けてきた。あぁだからジャックは指折り数えてるような手なのか……って、だ、だからその視線をやめろって……!

「え、どうしようかな……いや、お、俺そういうの向いてない、し……」

 嘘はついてない。だって向いてないって自分で思うもん。

 頼むこれで一度退いてくれ。さっきみたいに「やりたくない?」って言ってくれ。それでちょっと考える時間もくれたら完璧だ……!!

「さあ、決断を!」

「ふぁいなるあんさー!」

「っ、え、あ……っ」

 そんな俺の考えも知らず、真由ちゃんまで加わって攻めかけてきた。

 ああああ、マジかよ、嘘だろぉ…!? ここまで一切の猶予なしで畳み掛けられて、こちとら上手く頭で処理が出来てないんだよ。反射的に一歩、二歩、と後退してしまう。

 視線をずらしてジャックを見れば、彼は苦笑を浮かべてこちらを見ているだけ。助けを求めようとも思ったけど、自分の今の心境をそのまま言うのは絶対嫌だと思った。恥ずかしいとか迷ってるとかその他もろもろ、知られてたまるか!!

「ま、無理にやる事はないさ」

 見かねたのか、諏訪が肩をすくめる。

「……まぁ、そうだね、ごめん、まるで無理にやらせようとしてるみたいで」

 その言葉が歯止めとなったらしい。真由ちゃんはハッとして引き下がってくれた。

 え、あ、い、いや……その……。

 素直に引き下がられても逆にこっちが戸惑ってしまう。だって完全に「やりたくない」ってわけじゃないんだ。普通に面白いと思えたんだ。俺自身、自分から進んで物事をやるような人間じゃあない。分かってるさ、だから、こういう風に声をかけられないとできないことだってあるのに。

 でも、前向きな気持ちに対して眉を顰める自分もいた。そしてこう呟いてくる。

 今までずっと一人でやってきたのに、それが崩れ落ちちゃうぞ、と。ひっそりやってきたのに、目立たないようにってやってきたのに、それでいいのかよ?

 それは悪魔の囁きと言っていいだろう。

 だからと言って「やらない」とも言えなかった。きっぱりと判断が出来ない自分に少しばかり苛立ってくる。そのせいか、更に後ろ向きな考えが手を伸ばしてきて……何だかもやもやしてきた。あぁ、気持ちが悪い。

「ちょっ……ちょっと、一旦、保留ってことで……!!」

 はいもいいえも言えないまま、曖昧な答えを残して、四人に背を向けて廊下を走りだした。

 あの場に留まったままだと、もやもやが心の中に入り込んで、広がっていきそうに思えたから。今の状態じゃまともに考えられないと確信できた。

 どうしよう、どこに行こう。廊下の端まで来ると立ち止まって、左右に視線を動かした。目に入った階段を見てから、少し息を吐いて、そっちに体を向けた。




 階段を駆け上がって屋上を目指す。落ち着け俺、らしくないぞ。こんなことで動揺するなんて。一旦冷静になろう。外の風にでも当たって頭を冷やせばいいんだ。そうだ。

 ただ単に誘われただけであそこまでパニクるとは、自分でも予想外だった。大勢の前に立つのは苦手だし、それに目立つのも嫌だ……でもなぁ。

 屋上の出入り口のドアに手をかけ、開ける。体に外の風が当たる。もうすっかり冷えてきたが、秋らしいぽかぽかとした日差しは地面に差し込んでいた。そろりと体を滑らせて中に入る。ホームルームは終了した直後、これから授業といったせいで、屋上には誰一人としていなかった。あと十分程度で始業のチャイムも鳴る頃だしな。

 この調子じゃ1時間目はサボリかなぁ。ま、いいや。どうせ受けても寝るだけだし。

「はぁ…」

 溜息をついて、給水塔のところまで行くと梯子を上っていく。給水塔の上は俺のお気に入りの場所でもあった。誰もいないときはよくここに上って、空を見上げたり校庭を見降ろしたり。眺めもいいし何より気持ちが良い。

「あぁ、もう……!」

 上までのぼると中央に倒れ込んだ。腕を大の字に広げて空を見上げる。清々しい程の青空で、思わず目を瞑りたくなった。

「そりゃ、やってみたいとは、思うけど……思うけどさぁ……!」

 やってみたいさ。興味だってある。しかもジャックが主役の可能性が高いときた。そんなの見てみたいに決まってんだろ? いつも表舞台に立とうとしないあいつが、役者で表に立とうとしてるんだぜ? おっかなびっくり練習しているあいつが安易に想像できた。

 っはは、何かアンバランスだ、いつものあいつと全然違げーもん。おかしくてつい笑いが漏れる。

 その様子を近くで見てやりたい……でも、やはり後ろ向きな考えが足を引っ張ってくる。

 ――何だよそれ、やめとけよ。クラスの奴に見られたらどうするんだよ? お前指さして笑われるぞ。大っぴらに舞台なんかに立ったら、それこそ目立つし、クラス以外の奴にも見られるんだぞ? いいのかよ?

 常にクラスでは単独行動、その上あれだけの視線が集まる中不参加と言った(東堂先生には強制参加な、って言われたけど)ことで、進もうにも進めなくなっちまった。あークソなんというタイミングの悪さ。しかももし参加したとして、役だろうが裏方だろうが、緊張して上手くできるかどうかも分からねぇし……そうこうしている間にも、やめとけよという悪魔の囁きが僅かな前向きな気持ちを抑え込んでいく。

「はぁ、どうしよう、ほんと」

 参ったなぁ。こんなときはどうすればいいのか分かんねぇ。まともに人と関わってないからだけど。自業自得なんだけど、仕方ねぇじゃん。

 だって、だって俺は……関わった人たちの記憶が無くなるのが、恐いんだよ。

 ――俺は過度に能力を使うと、体力だけでなく記憶まで消費する。能力過度に使ってぶっ倒れて、起きたら記憶が抜け落ちてた……そんなことが何度もあった。何も思い出せない、とまではいかないけど、目が覚めてから頭が真っ白になる感覚に襲われる時は、大概どこかしら記憶は抜けている。

 あの感覚……あれだけはどうしても好きになれねぇ。しかも無くなる記憶は常にランダム。昔のものから直近まで、本当にどの記憶が吹っ飛ぶか俺にすら分からない。もう何か笑えてくるくらい突拍子の無い話だと思うよ。だからこそ、周りに悟られないようにどうにか必死に隠してやってきた。他の皆とは違う。一人で行動してきた原因と理由もここにある……まぁ流石にもう数人にはバレちまってるけど。

 記憶が抜けているところのことを言われ、何も思い出せない自分がとても虚しく感じて、何とか絞り出して言えたのは『ごめん、分かんない。思い出せない』。それを聞いた相手の表情……何故かジャックのものが脳裏に浮かんだ。見てすぐにとれるほどの大きなものではなかったけど、寂しそうで、悲しそうで……ショックを受けたような、そんな表情。

『まぁええわ、気にすなや』

 あの時はすぐに表情を変えて、いつも通りに、何でもないかのように振る舞っていたけど……俺は、あの顔はもう二度と見たくないんだ。次また何かあって、記憶がごっそりなくなってたら……なんて、恐ろしすぎて考えたくもねぇもん。

 腕で目を隠して深く息を吐いた。と、ふとそこで何かを感じて自分の横に視線をやってみる。

「ちゅう!」

「ちう!」

「ちぃちぃ」

 ……え?

 何故かそこには、先ほどまでいなかったはずの、三匹のネズミが立っていました。

「うわぁ!?」

 何で!? 何でネズミがいんの!?

 体を起して地面に手をついた。こ、ここ給水塔の上だよな? どうやって登ってきたんだよ。梯子登ってきたのかよ!?

「チュウチュウ!」

 と、そこで何やら踊りだすネズミたち。

 ――はい? え? な、何? 何事?

「へっ……!?」

 急に踊りだされて目が点になった。

 それはどこかで見覚えがあった。えぇと確か、あの、有名なゲーム会社のマスコットキャラクターの踊りだったよな。あの丸くて大食いなピンクの悪魔……あぁこれ以上はやめておこう。

 にしても何だ、踊るネズミって。おかしいだろ。しかも普通に可愛い……!

「っ、はははっ」

 思わず笑いがこみ上げて、片手で口を隠した。

 見てておかしい。何だこいつら。笑いが止まんない!

「……やっと笑ったね、ガール?」

「え、わっ!?」

 驚いて顔を上げると、一人の男子生徒がいつの間にかネズミの後ろに立っていた。何か……制服は着崩してるし髪の毛茶色だし。髪の毛の色に対しては、俺も水色だからとやかく言えねぇけどさ。えー何だこの人チャら……あれ、ネクタイは赤色、ということは三年の先輩? 何で三年の先輩が一年生の棟に?

「いっ、いつの間に――?」

「まぁ、割とさっきからだ」

 その場に腰をおろしつつ先輩は言った。

「っ……な、何ですか、先輩」

 何で先輩がここにいるのか分からない。少々気後れを感じながら問いかけてみる。

 ネズミたちにふと視線を向けると踊りはもうやめていて、仲良さげに三匹でちょこまか動いていた。まるで小さなマスコットが動いてるみてぇだなぁ。

「いや、そんなに警戒しなくても大丈夫だ……なに、悩んでいるようだったから手を貸そうと思ってね。意外と可愛かっただろう?」

 俺の視線がネズミたちに向いていることに気がついたのか、先輩はそう言って彼ら(?)を両手ですくい上げるようにして、自分の膝に乗せた。先輩のネズミだったのか。つーかネズミって個人でも飼育できんのな。初めて知ったよ。

 それはともかく。

 先輩のさっきの言葉が引っかかって眉を顰める。

「手を貸す? ……別に、悩んでなんかないですよ」

 第一何で初対面の人にそんなことを言われないといけないんだ。自然と警戒心は高まっていく。警戒しなくても、とは言われたけど、しちゃいけないとも言われてない。

「さっきまで眉間にしわを寄せてうんうんブツブツ唸っていたじゃないか」

 それ聞いてたんかい。てかそんなに早くからそこにいたのかよ。

「……見てたんですか」

 ため息交じりに俺が言えば、彼は頬をかいて申し訳なさそうな顔をした。

「ああ、見られたくなかったのだったら済まないね……でも、話くらいは聴こう」

 話くらいは? そんな見ず知らずの人に話すほどのもんでもねぇけどな。けど、何も知らない相手だからこそ、少しは素直に言えそうだと感じる自分も確かに居る。うーん、どうしよう、話しちゃってもいいかな……彼の顔を見ると、目はじっとこちらを見ていた。

 はぁ、まぁ、いいか。どうせ先輩だ。俺らと直接的な関わりなんて少ねぇし。

 割り切ってから体育座りに体勢を変えて、膝と膝の間に顎を乗せる。

「……文化祭のことでちょっといろいろありまして」

「揉め事かい?」

「まぁ、そんなもんですか、ね。劇をやらないかって言われたんです。でも俺……そういうの、苦手で」

 揉め事というか、一方的に押し付けられたというか。微妙なところだけど説明は省略しよう。

「やってみればいいじゃないか? 悩んでいるって事は出てみたいって気持ちがあるんだろう?」

 ふむ、と頷いてから先輩は言う。

 図星をつかれて俺は口を閉じてしまった。まあそりゃそうだ。嫌なら一発で拒否ってる。そう言われるのも当然だな。

「……一応は。でもやっぱ怖いっていうか、上手くできる自信も無いし、それに……」

 先輩の言葉を否定しきれずに呟いた。視線と声のトーンは徐々に下に下がっていく。

「それに?」

 先を促すように言われて、おずおずと口を開いた。

「……大勢の人たちに立つと、足が、竦んじゃって。他のみんなと協力して、とか、今までそんなにやったことないから。だからどうすればいいのか分からないし……」

大勢を前にしたら上手く喋ることすら出来ねぇんじゃ、そんなことが頭に浮かんだ。それと、あの輪に入ることにも少し躊躇いがある。そもそも俺クラス別だし。一人だけ浮いちゃうのが目に見えるんだけど。

「ふぅむ……」

 先輩の声が聞こえてしばらく黙りこんだ。

 やりたいことも上手く出来ない。というか関わり方すら分からねぇ。いくらなんでもこれは酷すぎだろ。でも、いざ「やってみろよ」と言われて出来る自信もないのも事実で。その自信がないのに「やる」だなんて無責任なことだって言いたかねぇんだ。

……なぁんて、無理矢理にでも自分のやりたいってのを抑えつけようとしちゃってさ。これじゃまるで、随分前までと同じじゃんか。でもそれでいいんだ。いいんだよ。今回ばかりはこれでいかないと……後々の処理が大変だろ、俺。な?

「きっと向いてないんですよ、俺」

 半ば無理矢理、小さく呟いて結論付けをしようとした。これでこの話は終わりにしよう。あいつらにも「やっぱ無理だ、ごめん」ってそう言っておかねーと。というか当たり前だろ。ヒロインなんて、俺には向いてないに決まってるんだよ。それは、その、も、もう少し女の子らしい女子がやるべきなんだよ! うん、絶対そうだ。

 確信にしながらゆっくりと立ちあがり、先輩に笑う。

「すみませんね先輩、愚痴っぽくなっちゃって……誘ってくれた奴には、他の人に任せた方がいい、って言うことにしますわ」

「いや、そんな事は無いさ」

 複雑そうな表情を浮かべる先輩に軽く会釈をした。

 あいつらならまだ廊下にいるだろう。それか1-A覗けば済む話だ。早いとこさっさと終わらせて、巻き込まれるのを阻止しねぇと。

 梯子の方へ向かおうと足を踏み出した時だった。

「――それと」

 下から声が飛んできた。動きを止めてそちらを見る。先ほどとはまた少し違った、真剣そうな様子も交じった先輩が、こちらを見上げていた。

「やってみなければわからないだろう? 人前に立つのが苦手なら慣れればいいし、練習のやりようはたくさんある。自分の進みたい方向に進みたまえ」

 そう言いながら先輩は立ち上がる。

 やってみなければ分からない。そんなもん頭ん中では理解はできてんだ。やってみようと考える自分だっているんだよ。でも、でも。

 体の横で小さく手を握り締めて、やり場のないこの気持ちをどうしようかと思考を巡らせる。

「クラークは『ボーイズ・ビー・アンビシャス』と言ったが、俺は『ガールズ・ビー・アンビシャス』と言いたいね。夢はでっかくだ」

 そこまで言うと先輩は俺の肩をバン、と叩いてくる。

 ……なんだそりゃ。夢はでっかく? い、いやいや、夢とまで言うかよ。ただの文化祭、ただの出し物の話だぜ?

「何故君はそれを『やってみたい』と思ったんだ? そこが分かればあとは突っ走るだけさ。立ち止まって足踏みしてたって何も変わらないなら、一度当たってみるのも手だと思うがね……まぁただの一先輩のアドバイスさ、好きにやると良い」

 そう言って先輩は、肩を竦めて口端を上げた。

 えー、んなこと言われてもなぁ。何故やってみたいか、だって? そりゃ興味があるからで……じゃぁ何で興味わいたんだろ……?

 芋づる形式で自問自答を何度か繰り返す。その間視線は宙をいったりきたり。

「……ぷっ、はは……」

 しばらくして、思わず吹き出してしまった。何故やってみたいと思ったか、何故興味が湧いたか。そっか、そういうことか。そんな単純なことだったのか。口に手を当てて、こみあげてくる笑いを押さえようとする。最終的な答えは単純明快、小学生でも分かるレベルのものだった。

 その様子を不思議に思ったのか、先輩はキョトンと首を傾げた。

「夢はでっかく、か。分かりました。ありがとうございます、先輩」

「ん……ふふ、そうか」

 お礼を言うと、満足そうに彼は笑う。それを見てから俺はしゃがんで、ネズミたちの方を見た。まだちょこまか動いて三匹でもつれ合っている。何だこいつら、やっぱり可愛いなぁ。そんなネズミたちに、ありがとうな、と言って軽く手を振り、給水塔のはしごを降りて行った。




「……やれる、かな」

 口から出たのは弱々しいそんな言葉。階段の手すりに手を置きながら、ゆっくりと降りていく。自信なんてものは持てないけど。けど、それでも……。

 階段を降りきってみれば、そこは自分たちのクラスが並ぶ階だった。見慣れた生徒やクラスメイトが、廊下に出て楽しそうに談笑していたり、ふざけあっていたりするのがチラリと見える。このままこの角を曲がれば、きっとさっきのメンバーと鉢合わせになる。

 ――やるかやらないか決めたはずなのに、どうしても一歩が踏み出せない。

 自分の知らない未知の領域に、足を踏み込むのが怖い。足元の地面が、自分の進む先に続いているようには思えなかった。

 こんな程度で、って誰かは笑うかもしれない。けど俺にとっては十分な悩みの種だ。屋上でひとしきり悩んだはずだったんだけどな。

「……はぁ。仕方ない」

 どちらにせよここで突っ立ってるわけにもいかないし、教室に静かに戻れば見つからないだろ。

 思い直して顔を上げ、角を曲がろうとしたときだった。

 どん、と軽く自分に衝撃が。どうやら人とぶつかってしまったらしい。

 ってて、何だよもう……?

「んぉ、すまん堪忍ぇ――って、お前かぇ」

「うお悪い……ってお前か」

 謝られて反射的に謝り返した……ってあれ、この口調どっかで。

 相手を確認したところ、茶髪に日本人離れした顔つき……やはりジャックだった。そりゃそうだよな。こんななまった方言使う奴はこいつ以外に知らねえもん。

彼は青い目をパチクリさせて、こっちを見て首を傾げる。

「こげなとこで何しちょるじゃ?」

「べ、別に……」

何してる、と問われてもなぁ。絶賛お悩み中ですよ。でもやっぱそんなこと言えやしない。

 誤魔化そうと思って視線を彼から離して、はっきりしない返答をした。

「んー?」

 ……ん、何だろう、何か気配が……。

 気配の先を見れば、顔を至近距離まで近づけたジャックが。

「へ? ひぁっ!?」

 びっくりしすぎて変な声出ちゃったじゃねぇかこの野郎!!

 すぐに顔を戻して別の方向を見る。な、何なんだこいつ。やめろよ……!

「んー?」

 でもそんな気持ちは相手には分からないらしい。逸らしたと思えばまた回り込んできやがった。こ、こいつ……っ!

「ちょっ、な、ななっ、何してんだっ」

「んー? んんー?」

 あ、アカン、これまたさっきみたいに耳が熱くなってきた。ちょっと待ってストップストップ!! 別の意味でまた俺に逃げさせたいのかお前は!!

「やっ……っ!! や、やめっ……」

「ん……?」

 抵抗の言葉が効いてくれたみたいで、ようやく彼も回り込むのをやめて姿勢を戻してくれた。

 ああもうどうなるかと思った。冗談じゃないぞ本当……!!

 それでも彼は不思議そうに首を傾げてる……え、嫌がる理由、分かって、ねえ、の?

 むぐ、と口を閉じた後、小さく俺は呟いた。

「……は、恥ずかしいからやめろよぉ……」

 くっそ、言わせるなよ……っ。顔の熱さが更に増した気がした。

「ん、ハズい?」

 えええ分かんないの!? さ、察しろよ!!

「か、顔近いんだってばっ!」

「そら近付けちょるんじゃしなぁ」

 何を言ってんだお前といった風に言ってくるジャック。いやいやだからさぁ……!!

「だ、だからそれをやめろって……っ!」

「なして?」

 なして? じゃなくて!!

 本当に分かってねえのな!! あぁ、もう尚更恥ずかしいわ。何自分だけ熱くなってんだか……あーもう馬鹿らしい。

「……あぁもういいよ、分かんないなら」

 呆れてこっちは何も言えません。てか口が裂けても言わねぇぞ馬鹿野郎。彼女の心境くらい察しろよ。

 余所を見て頭を掻いた。

 ……ま、全部察しがつかれちゃったらそんなもん面白くもなんともない。分からないなら分からないままでいいんだよ。ずっと悩み苦しむがいい。何で恥ずかしいのか、何で顔を逸らすのか。それが分かったら……褒めてあげないことも、ないかなぁ。

 顔は赤いままだろうけれど、内心でそう呟いては、表情に出ないようにクスリと笑う。

「何やの……? まぁええか」

 首を傾げた彼は考えるのを諦めたようで、一言呟いて肩を竦める。何とも言えない間が広がる。

 あ、あぁ、何か適当に話題変えないと……ええと、劇のことはどうなったんだろ?

「そういや結局、劇の話はどうなったんだよ?」

「んぁ、あぁあれか。役はともかくまずは人集め、役の兼任を入れても頭数は10人いるってや」

 10人……。劇としては妥当な数、なのかな。

「10人、か。まぁ劇って言うんだしそんくらい必要だよなぁ」

 役者に、音響や照明、大道具や小道具を作る創作係。

 内容にもよりけりだけど、人手は必要になるだろう。

「諏訪、飛木鐘、雪島、ワシ。一応この4人として、何人か声かけるようにしちょるが……お前どないするか決まったんか?」

 ……あー。今それ、聞いちゃいます?

「え、あ、う……俺は……興味はある、から、その……手伝い、くらい、は、できるかなぁって……」

 思った以上に自分の声は途切れ途切れになってしまっていた。

 どもりすぎだろ、俺。どうもはっきりは言えないなぁ。

 ジャックがため息をつく声。と思ったら身をかがめて、俺と目線を合わせてきた。

「んじゃあ役割はともかくとして、参加か不参加か?」

 って、言われたら、な? 言うもんは既に決まっている。

「……参加、かな」

「final answer?」

 問われて一瞬、またあの悪魔の囁きが、自分の後ろから聞こえた気がした。

 うるさいな、もうそっちの声なんて聞かないぞ。俺は決めたんだ!!

 それに……自分の言葉は、曲げたくない。

 囁きが完全に耳に届くその前に、俺は首を縦に振る。

「……別に無理しやんでええで? あくまで有志でやろうっちゅうだけやさけえ。ワシも強うは言わんし」

 うわ、勘付かれた? 相変わらず鋭いなぁ。

 心配してくれているのか、彼の声は普段の飄々とした声よりも、若干柔らかく感じて。何だかちょっとだけ嬉しくなる。

 ぱっと見無理はしているかもしれない。けど、それでも興味があるんだ。その気持ちは0じゃない。そんな気持ち否定したくねぇじゃん。だってさ。

「だって……普通に面白そうだったんだもん」

 そう。さっき屋上で弾きだした答えはこれだった。ただただ単純に、純粋に「面白い」って思えたから。だから気が向いたんだって俺は思った。珍しいよなぁ、こんなもんに気が向くなんてさ。

 俺の言葉を聞いて、ジャックはふっと頬を緩める。

「ほうか……ほな、『おもろそう』やのうて『おもろい』もんにしたろやないか。どうせやるなら楽しまにゃあ」

 雰囲気を切り替えようと思ったのか、大げさな動きをして彼は笑った。

 それに釣られてこっちも笑ってしまった。

「ん、うん、そうだよな……頑張ってみる。大したことは……できないかもしれないけど」

 出来る限りのことはしてやろう。自分の能力上、小道具くらいならどうにか手助けできるかもしれないし……役のことは、ひとまず置いておいて、だな。

「大しちょるかどうかはお前が決めるんちゃうで? ま、一緒に気張ろやないか」

 そう言って彼は、俺の横に並んで肩を抱いてくる。

 ジャックの言葉にはどこか安心感があって、聞くたびにほっと出来る。

 こいつの前では嘘をつかなくていい。自分を隠し通さなくていい。既にお互いの闇という闇は知り合っているのだから。

 きっと一番上手く、いや違うな、一番素で笑っていられるのって、こいつの前くらいなんじゃないかな。あれ……何だかムカつく気がするような。何でだろうな?

 あー、そうか、イジられたからか。そんなんで素直にさせられてもってか。そうかそうか。ふふっ、ならやり返してスッキリさせてもらおうか。

「ぷはは、そうだよな……おう、頑張ろうぜ、主人公?」

 皮肉も込めて、笑って言ってやった。

 きっと結構意地の悪い笑い方してんだろうなぁ、俺。

「……いや、それまだ本決まりちゃうじゃし」

 ぎこちない表情で彼はそう返してきた。

 あ、これいける。このネタ使える。

「え? 何で? 真由ちゃんとか言ってたじゃん。諏訪もそう、言ってたし?」

「いやいやいや、ワシやぞ? これじゃぞ? んなもんそこまで表出れるかいや」

 俺の目の前に移動して、自分自身を指さしてまくしたてるように言うジャックに、クスクスと内心で笑いが(こぼ)れた。

「だからこそ、じゃねぇの? いつも裏でやってる人間が表に出る程面白いことはねぇよな?」

 トドメの一言、じゃないけれど、的を射てるようなことを言ってからまた笑う。

 いやいやー、いつもこの倍くらいのことされてるしー? こんくらい許されるよなぁ?

 気づけば相手の表情に焦りの色が出始めていた。っはは面白ぇなもう。

「っかーお前まであっち側か!? お前かて表出れるんけ? 何じゃっけ、鬼役じゃろ」

 っげぇ!? それ引っ張り出してくんの!? こ、こいつ……!!

「は!? 俺、は裏方、裏方回るから!!」

「なっ、お前一人逃げる気か? じゃったらワシかて裏回るぞ、なしてワシ一人恥かかにゃいけんがじゃ」

 むしろ恥でもかいとけよ、と言ってしまいそうになるが、これはちょっと酷いかと思って言葉を飲みこんだ。そしてハッとして思い出す。ジャックが主人公になったら、俺は――。

「大体何で劇の中まで俺とお前がこう、そういう関係になってんだよ!?」

「はぁ? ……っ、知らんがや、諏訪の気まぐれじゃろて」

 知らねえのかよ!? 完ッ全に諏訪の悪巧みじゃねぇか!?

 そう叫びそうになったが、彼はこちらの言葉で何かを察してくれたのか、表情と返答の声は苦々しいものだった。

「あーくそ何でっ、い、いいか、俺は、う、裏方に……いくからな……っ」

「ワシかて裏方回りに行くてや。ワシャ主役なんぞ性に合わん、一介の田舎もんじゃき」

「じゃぁ代わりどうすんだよ? 代役、探せんのか?」

 代役がいれば話は別だ。もしその人にやる気があるのなら、そいつにやってもらった方がいくらかジャックだって気は楽だろう。

 ……ん? あれ、何だろ。このモヤモヤ。他の人……? ん、んん?

「そりゃあ……言いだしっぺに華持たせたろかね?」

 ニヤリと笑う彼の言いたいことが分かって、こっちもニヤリと笑った。

「ほーう? それはそれで楽しそうだなぁ」

「じゃろ? 別にワシらがやる必要ないじゃったら、そういうの考えてみんのも一興じゃて」

 確か諏訪にも好きな人がいたはずだ。前それで一件あったことだし、まぁ、その結果がどうなったのかは俺は知らねぇけど。それもそれでアリだとは思う。でもなぁ。

「ふふ、まぁそれもいいな。けど……」

 あ、そっか、モヤモヤの原因はこれか。他の人の主人公じゃ嫌なんだ、俺は。

 俺は、目の前の彼が主人公でいる姿を見たいと思ったんだ。こいつも自分と同じように、表だって何かをするような奴じゃない。むしろ陰でみんなを支える、そういった役割の方が多いし、適任だとも思う。本人もそれで納得しているだろうし。んー、でもさ、折角の機会だ。何なら表舞台に堂々と立つこいつを見たいと、そう思ったんだ。

 ……俺はお前が見たいんだけどな。

 小さく、相手には聞こえないように呟いた。

「んぁ、何ぞ言うたけ?」

「んや? 別にぃ」

 こればっかりは聞かせるわけにもいかねぇと、当たり障りのない返事をしてそっぽを向く。

 すると彼はさっきと同じように顔を覗きこもうとまた顔を近づけてきた……って、馬鹿やめろ、何してんだよッ!! あぁあもう分かったよ、言えばいいんだろ、言えば!!

「ってうわ、分かったよ、覗くなよ!! ……お前の主人公、っていうのも……興味あった、かな、とか……さ」

 何で言わせるんだこの野郎。くっそ、恥ずかしいなぁ。

「んぁ……ほうか?」

 照れくさそうに頬を掻くジャック。

 え、あぁ、やっぱ照れるもんなの? ……まぁでも、さっきから嫌そうな素振り見せてたしなぁ。

「おう、見てみたいなぁって思ったんだけど……お前が嫌なら仕方ないよな。無理矢理やったって楽しくない、俺らが楽しめないと意味ないんだろうし」

 苦笑を浮かべては逃げ道を作ってやる。

 ぶっちゃけこういうのって、第一前提として「やってる側が楽しむ」ことだと思うんだよな。だって嫌々やってたら見てる側もつまんねぇし。あぁ、いや、俺もさっきまで大分悩んでたけど、やると言った以上は楽しんでやってやろうと思ってる。

 でもなぁ、やっぱりなぁ……気になるよな。ジャックの主人公っての。

 ん、あれ? しばらくしても返事はこない。不思議に思って彼を見ると、何だか悩んでいる様子。

「ん? どうした?」

「……んや、考えといちゃってもええかて、思うただけじゃ」

 ……っ、はは。言うと思ったよ。

「ん、そっか。楽しみにしてるよ」

 あっさりと返事をして、少し笑った。

「っ、期待すなや。やるとは言うてへん」

 視線を逸らして釘を刺すように彼は言う。

「知ってる。俺が勝手にそう思ってるだけだよ。あんま気にすんな……ただ、表舞台に立つ主人公の、お前の姿を見てみたいって、そう思っただけだ」

 すらすらと自分の本音が口から出た。うわお、何で勝手に飛び出たんだ? こういう時に限って、何の抵抗もなしに本音は言えてしまう。

「……それ言うたら、ワシもお前が舞台上がっちょるの見てみたいがな」

 ポツリとジャックは呟いた。

 まぁたそんな御冗談を。こちとら何度お前のイジリにあってきたか。あんまりそういうのはよくないぞー。

「はっはっは、お前の言うことはほとんど冗談って知ってるぜー?」

「……ま、半分はほうじゃな」

 ……うん?

「……え、マジ、で?」

 疑問の視線を彼に送ると、彼からは察しろと言わんばかりの目線が返ってきた。

「……嘘だろ」

 ボソリと呟いて彼を見た。

 いや、え? 冗談だろ?

「半分な」

 あ、声がマジだ。本気なやつだこれ。表情も真顔だし……!?

 思わず一歩二歩、後ろに下がる。

「お、おう……俺はお前を見たいんだよ? 一緒に出てどーすんだよ」

「そこはほれ、劇やったら録画されたりとか」

「いやいやぁ、それじゃあつまんないだろー。やっぱ生で見ないと」

「一緒に出りゃあ生の演技が目の前で見れるな」

「あはは何を言ってるのかなあ、そ、そんなことしたら俺、演技に集中できないだろうしー」

 どうにか逃げようと思い付く言葉を並べ尽くした。笑ってみせるがきっとぎこちないもんになってるだろうなぁ。

 一緒に出て見るのと、傍から客観的に見るのは違うんだぞー。ち、違うんだぞー!!

「……それもそうじゃろな。こっちかて」

 呟くように言って彼は溜息をつく。

 よしっこれはペース掴めそう。

「だからほら、な、俺が退いてお前が出るべきなんだよ!」

 何度も俺は頷いて言葉をつなげた。

 参加する以上客として、は無理だけど、舞台袖から見るくらいはできるだろ。主人公姿のこいつとか、やっぱり面白そう……、ん。あれ? 何かが心に引っかかった。

「……ま、出ると決まったわけやないしな」

「……そうなんだけどな」

 確かに正式に決まったわけじゃない。というより人数ちゃんと集まるのか?

 それなりの人数が集まれば、役柄だって決めやすくなるだろう。ヒロインだってもっと女の子らしい子がやるべきだと思うし、それに見合った子がいるならその子に全部任せたい。

 あれ、ってことは、ジャックが主人公で、ヒロイン役が俺じゃない別の子になることもあり得るのか……あれ?

 ――心に引っかかった何かは、段々と鋭く細い針のようになっていった。

 それはチクリと胸を刺して、何事も無かったように形を消す。後に残った傷は妙に痛くて。いや、痛いじゃないな。これはもっと別の表現の仕方があるはずだ。

 ……でも今の俺には、その表現の仕方が分からなかった。

 ちょうどそこにチャイムが鳴り響く。一時間目の予鈴だった。

「あ、もうこげな時間け。はよ戻らな」

「あっ、ほんとだやべっ」

 まぁ、いいか。放っておけば治るだろ。さっきと比べると胸の不快感はもう薄くなり始めているし……何だかその分もやもやとした気持ちが残ってる気もするけど。

 ジャックを見ると視線がぶつかる。お互い笑い合うと、それぞれ自身の教室へと向かっていった。

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