おまえなんかいらない
『おまえなんか、いらない』
昔、私にそう言い捨てた大バカものがいた。あれは、私とそいつとの婚約発表のパーティでだった。
凍てつくように冷えきった青い目。
—子供のくせになんて冷めた目をしているんだろう
おなじ子供だったくせに、私はそう思ったものだ。
それから幾年かがすぎ、私は女としての花の盛りの十八、をいくつか通り越し嫁ぎ遅れ、といわれる身になっていた。お姉様、と呼んで慕ってくれる若い人や少年がいたりはするが、立派な年増だ。
社交界では皇太子に甘えることしか知らない大年増と罵る人までいるそうだ。まぁ、確かに、皇太子に甘えるような挙動を繰り返すことをしたのは認めるが。それだって、最近庶民出だという小娘に立場をうばわれてしまった。譲ってやったのに、どうして、私は悪女って言われなければならないのか。
そもそも本当はすでに結婚しているはずだったのだ。どうしてその年から大きくずれたのかというと、—————。
その原因が今、目の前で茶番を繰り広げている。
「いいかげんに横領をみとめたらどうだ!」
大臣の一人が語気も荒く、私の親に詰め寄る。母様はそれに喚いて返し、父様は何も喋らない。
王はただ静観している。
—なるほど
私の親はどうやら国家予算を横領している、いや、もとい、していた、らしい。これの事実確認のために遅れたようだ。遅れた、というべきか、調査されていた、というべきか。
今朝早く、召使いに叩き起こされて泣く泣く、王宮に両親とやってきた。いつも公爵家の令嬢なのだから身だしなみを気にしなさい、とか、流行に気をつけなさい、という小言を繰り返す母様は、今日に限ってはやたら無口で、父親の方に至っては顔面蒼白だった。
—なにがどうしたっていうんだろう
王宮に着き、普段の恭しい対応をしてくれる衛兵達が、やたら重苦しい雰囲気をだしていた。
結果として、婚約者にも会うことになるだろうとそれなりに着飾ってきた意味はなかったようだ。むしろ逆効果だったとも言える。
喚いていた両親はどこかに連れていかれた。国家予算の着服は大きな罪だ。おそらく当分会えないだろう。次に会う時は死刑台の上でかもしれない。
「さて、残った娘の方ですが…さすがにこのまま皇太子殿下の婚約者としておく訳にはまいりますまい。関与しているかいないかではなく、一族の人間ですものなぁ」
好色そうなはげ上がった額をした、老人が言った。
嫌らしい目で見られているような気がするのは、きっと気のせいじゃない。私の別に好き好んでそう育った訳じゃないけど、大きくせり出た胸にさっきからチラチラ。仮に私が婚約解消したからと言って、行き着く先は彼の元じゃないことを願いたい。
王は黙したまま。
—どうするか。
どうしよう、ではなく、どうするか。こんな風に考えることができるのは、私の性格に寄るところかもしれないが、もしかしたら異例の事態すぎて脳がうまく機能していない、というのが大きい気がする。
—ここをうまく切り抜けなければ、私はよくて修道院か、好色じいさんのペット、最悪死刑台にいくことになる。
今まで黙って玉座の隣に控えていた私の婚約者が、私をその視線で射すくめた。
あいかわらず、澄んだ青。
着ている軍服が黒いのに加えて、髪色も黒。
全体的に冷たい印象。
私の背筋が思わず震えた。
「おもいますに」
彼の玲瓏とした声が広間に響く。大声を出しているわけでもないのに、やたら通る声だ。
私の婚約者にして、この国の皇太子。若いながら眉目秀麗なこの国で存在するただ一人の王子。その性格は奥深く、つかみ所がない。けれど、そういうところがまたいいのだと、言ってはばからない婦女子がいることを私は知っている。
けれど、絶対零度の瞳で貫かれるのは、なんて居心地の悪いことか。
「公爵家の娘は関与していない、これは調べの結果はっきりとわかっております。彼女の一族に罪はあるかもしれませんが、彼女には罪はない。命を奪う必要はない」
先ほどまで騒いでいた人々が、いまや静まり返り聴衆に徹している。
「しかし」
「けれど」否定のその言葉に、で何を続けるのかなんとなく、想像できる。公爵家という太いパイプを失えば、王家が私と婚約しなければいけない理由はない。この皇太子なら、国のことを考え、必ず私を捨てるに違いない。
私はあえて、声を張り上げてみせた。
「皇太子殿下。わたくしの無実を調べてくださってありがとうございます」
皇太子の言葉を遮る、という無礼に非難の声が上がる。けれど、私はそれを無視して続けた。
「わたくし、前々からいいたいことがございましたの」
私は、この王子と初めて会った時のことを思い出した。
彼は、ひどい失言の後、だれにも聞き取れないくらいのか細い声でつぶやいていた。私が聞き取れたのは、異様に高い聴力のおかげだ。
『どうせ、いつか捨てなきゃいけない時がくるんだ。だから、友であろうが婚約者だろうが、いらない』
10になったばかりの子供がそう呟いていたのだ。同じ子供であった私は、言葉の意味が捉えきれなかったが、幼いなりにえらく寂しい奴だと思ったのだ。
『いけ好かないわ』
気がついたら、挑戦的にそう言っていた。
『なんだと』
冷たい表情に怒りの感情が浮かんだ。
『何を考えているのか存じませんが。一人でいるのが寂しいだけの癖に、そんな風に強がりをおっしゃらないでほしいわ。弱虫』
この時の私は、おともだちがいなくなってしまったらかなしいもの、なんて幼いことを考えていたのである。今にして思えば、重い事情を抱えていた王子になんてことをいったのだ、と頭を抱えたくなる発言である。
『じゃあ、お前がずっと側にいてくれるのか?』
質問という形で、そんなわけない、と言下に切り捨てた王子に私は買い言葉に売り言葉で返した。
『ええ、もちろんですわ』
ふん、鼻をならして金髪をかきあげた。
王子はちょっと目を見開いた後、凄まじく冷たい笑みを浮かべた。
『その言葉、忘れんなよ』
どうやら、約束は守れそうにないらしい。
どんなに、周りから嫌みを言われようと、ジャマが入ろうと側に居続けてきたというのに、すべてを根底からひっくり返されてしまった。
なら、せめてこの王子が私を捨てる前に、私が王子を捨ててやりたいと思う。
扇をならし、自分の長い金髪をかきあげる。
「前々から、殿下と婚約者の関係を続けさせていただくことに嫌気がさしていたのですわ。これからは、わたくし、身分なんかにふりまわされず、自由に恋愛をしようと思いますの。ジャマしないでくださいね。これを機に解消していただけるなら、嬉しい限りですわ」
大分イタい発言だ。
でも、皇太子の少し見開かれた目を見て、私はそっとほくそ笑んだ。