閑話 三人目
「はあっ、はあっ、ヒック…グスッ」
帝国のとある街道から少し離れた所にある森の中、一人の少女が泣きながら走っている。
見た目でいうと年は12、13程だろうか。
格好はみすぼらしいの一言につきる服装で、痛々しい切り傷も気にせず裸足で森の中を駆けている。
「誰か…だれ、か……助けて…」
走りつづけていた所為か口から漏れる声は周りに聞こえるには程遠かった。
それでも少女は必死に足を動かし、涙を拭いながらも森の中を前へ前へと進んで行く。
「待ちやがれ! クソガキ!」
少女の背後から男の荒々しい声が聞こえる。
その声は徐々に少女に近づいてきていた。
少女は近づいてくる男の声に焦ったのか、それとも体力の限界がきたのか、いやその両方か。
足をもつれさせて倒れ込んしまった。
その直後、背後の木の陰から二人の男が姿を現した。
「手間取らせやがって! クソが!」
そう言いながらゆっくりと少女に近づいて行く。
少女は足に力が入らないようだが、少しでも遠ざかろうと体を引きずりながら後退していく。
しかし、すぐに行き止まりになってしまう。
少女の背には巨木がそびえ立っていた。
「もう逃げられないぞ。念のために足の筋でも切っておくか?」
そう言って、男の一人が腰に差していたナイフを抜き出した。
「ひっ!」
少女が顔を歪める。
「まあ待て、こんなガキでも商品だ。これ以上怪我させたら値が下がっちまう。なあに、裸足で走って足は既に走れる状態じゃねえ。とりあえず抵抗しないように気絶させればいいさ」
男二人は奴隷商だった。
奴隷達をこの先の街まで搬送していたのだが、目を離した隙に少女が森に逃げこんだので追いかけてきたのだ。
少女は男の言うとおり裸足で森の中を走っていたので、擦り傷だらけ。
さらに障害物が多く、体力ももう走れるほど残っていなかった…。
「いや…、いやああああぁぁぁっ!!」
少女の絶叫が森に響き渡った。
その瞬間。
「『黒鋼』」
少女の上からそんな声が聞こえてきたかと思えば、目の前にいる男達の影から黒い鎖が飛び出して身体に絡み付いた。
「な、何だこりゃあ!?」
「身体が…う、動かねえ!?」
鎖は男達が身体を捩るたびにガッチリと食い込んで締め上げた。
そうして男達が動かなくなったときに、巨木から何かが飛び降りてきた。
「大丈夫か?」
少女がその声に、ビクッと反応して顔を上げた。
そこには一人の青年が立っていた。
黒い髪の毛、黒いコート、黒いズボン、黒いブーツ。
全身を黒を纏った青年は少女を見下ろして静かに微笑んでいた。
「誰だテメェ! コレはテメェがやったのか!? 解きやがれ!!」
青年を挟んで向こう側にいる男が喚いている。
青年はまた静かに振り向くと、男達に向かって歩いていった。
「お前らは何でこの子を襲っているんだ?」
青年が喚いていた男に問い掛ける。
「あ? ソイツは商品だよ。この先の街で売るつもりの奴隷だ。分かったら早くこの鎖を外せ! そうすればお前は見逃してやる!」
そう言うと男はまた身体を捩って鎖を外そうとする。
「なるほどな。……おいお前ら、俺の眼を観ろ。」
男達は青年の言葉に怪訝そうにしながらも素直に眼を覗き込んだ。
「『幻魔』」
その言葉を発すると青年の黒い瞳は徐々に赤く染まっていく。
男達はその瞳に魅入られたように目を逸らせない。
次第に青年の眼は赤から紅に変わり、更に一層幻想的に、魅惑的に男達を引き込んでいく。
そして青年は言葉を男達に発した。
「お前達がここに来て見たのは、この子が魔物に襲われているところだ。もうその子は死んだ」
「「ここで見たのはガキが魔物に襲われているところ。ガキは死んだ……」」
男達は虚ろな目で青年の言葉を繰り返した。
「そうだ、だからお前達はこのまま帰れ」
「「ガキは死んだ。このまま帰る」」
そう言って鎖を解くと男達はフラフラともと来た道を戻っていった。
男達が帰ったのを見届けると、青年はふうっと溜息をついてそのまま座り込んでしまった。
彼の瞳は既に元の黒色に戻っている。
「この能力ってこんなに疲れるのか……」
ボソッと青年は呟いた。
しかし、すぐにハッとし後ろを振り向いた。
青年が少女を見ると、少女は巨木の根を枕にして倒れていた。
青年は駆け寄って確認するとどうやらただ眠っているようだった。
それもその筈だろう。
男達に追いかけられて、慣れもしない森の中を必死に走っていたのだから。
精神的にも、肉体的にも限界だったのだ。
青年はホッとして、すぐさま少女を抱えると森の奥に歩いていった。
「ぅんん……」
少女はゆっくりと目を開いた。
まず目に入ったのは、パチパチと燃える焚き木。
横を見るとサラサラと小川が流れていた。
少女はハッとさっきまでの事を思い出してキョロキョロと周りを見回した。
しかし、少女が心配した追っ手の男達の気配は無い。
ホッと一息ついた瞬間、少し離れた所の茂みからガサガサと音が鳴った。
少女が身体を強張らせながら茂みを見つめた。
「よっと。……あぁ、起きたか」
茂みから出てきたのは先程の青年だった。
「あ、今木の実取ってきたんだ。食うか?」
そう言って青年は両手に抱えた木の実を見せた。
「あの、あなたは……、誰ですか? それに、何が……?」
少女は状況がまだ理解できて無い様で、木の実を両手で受け取った状態で青年に対して躊躇いながらも質問した。
「ん? ああ、俺は黒神明、歳は25。魔法の練習をしている時に、君が奴隷商に襲われているのを見たから助けたんだ。あいつ等はもう君を追ってこないから安心しなよ」
青年……アキラはそう言って手に持ってた木の実にかぶりついた。
少女はもう追っ手が来ないと聞いた瞬間、涙が溢れていた。
もう叩かれて痛い思いをしなくていい、売られなくて済むと思うとポロポロと瞳から大きな雫を流していた。
その様子を見たアキラは焦ってしまい、オロオロしてしまっていた……。
「ごめんなさい……。いきなり泣いちゃって。ん、わたしの名前はユイです。歳は17です。助けてくれて本当に有難うございました」
その瞬間アキラはピタッと固まってしまった。
何故ならアキラには、目の前にいる少女……ユイが12,13程の歳にしか見えなかったのだ。
「あ!? 今信じられないって思ったでしょ!」
先程の泣いていた時とは打って変わって急に起こり始めた。
おそらくユイにとっては歳の事についてコンプレックスがあるのだろう。
何とかアキラはユイの機嫌を取って冷静に話しを出来る状態にした。
「俺はある人に頼まれてとある物を探す旅をしているんだ。何処にあるか分からないけどな……。ユイはこれからどうするんだ?」
「私は街で買い物をしてたらさっきの人たちに誘拐されて売られるところでした。ここが何処かは分からないですけど……、家に帰りたいです」
ユイは俯いてそう話してくれた。
誘拐されてから数週間馬車での移動。外の様子も分からず、何処に向かっているのかも分からず、一緒に乗っていた他の奴隷と一緒に暴力に耐えながら我慢し、ようやく隙を突いて逃げ出したのだそうだ。
正直言ってユイ一人では家に帰るのは困難だろう。
頼れる人もいない。自分自身を護る術も無い。金も力も無い。
そう思うとまた目に涙が滲んでくる。
「だったら俺と一緒に来るか?」
ユイの耳に入ってきたのはそんな言葉だった。
アキラは何の気なしに言った言葉だったが、ユイにとっては心の支えになるには十分な言葉だった。
「どうせ探しているものは何処にあるかも分からないんだ。世界中を回る事になるかもしれない。だったらそのついでになるけど、家まで送るよ」
その言葉を聞いた瞬間、ユイはアキラの懐に飛び込んでいった。
アキラの胸の中でボロボロと涙を流しありがとうと何度も何度も呟いていた。
アキラはそんなユイの行動に目を丸くしていたが、何時しか微笑みながらユイの頭を撫でているのだった。
しばらくユイの疲れを取ってから出発する事になった。
木の実だけだったが食事を取り。
小川で身体を洗い。
アキラは木にもたれかかって、ユイはアキラのコートに包まり眠った。
出発する日の朝、身支度を整えた……、と言ってもお互い衣類だけなので時間は掛からなかった。
唯一大きく変わったのは、ユイの髪くらいだろう。
アキラと会った時は汚れていて黒ずんでいた髪だったが、小川で洗った事により明るめの茶髪になっていたのだ。
アキラは思った。
ここまで汚れるとなるとどれだけひどい扱いを受けてきたのだろうと。
俺は絶対そんなことはしないと心に決めたと。
「ほら、そんな所でボーっとしてないで行こうよ! おにいちゃん!」
「おにいちゃん!?」
アキラはいきなりの言葉に驚いて聞き返した。
「あ……、ダメだったかな……?」
ユイは不安そうに呟いて、上目づかいでアキラを見た。
「う……、い、いや。ダメじゃ、ないよ」
そう言ってアキラはそっぽを向いた。
しかし頬はほんのり赤く染まり、若干照れているようだった。
その態度を見てユイはにんまりと笑顔になるとアキラの腕に絡みつくと、
「行こ!」
そう言ってアキラを引っ張っていくのだった。
三人目の神様が送った人の話でした。
初めて三人称で書いてみましたが書き易い!
今までより長くなってしまった……。