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LIxEシリーズ・掌編

そのカプセルを

 その名も知れない研究員は、託された両手ほどの大きさのカプセルを胸に抱いて、息を切らせながら研究所を走る。

 襲撃を受けた研究所を走る。

 普段は真っ白な照明があかあかと付いているはずのその研究所の中はしかし仄暗く、青い非常用の灯りがかろうじて視界を作っている状況だった。窓はなく、外の光も入る術がない。とは言っても、今は真夜中なのだが。

 その研究員は体力の限界をとっくの昔に感じていた。まだ若いとはいえ、普段運動をしていないだけで体が衰えていくという事を痛感していた。しかし人間というものは、命の危険を感じると自分でも訳の分からない所から力が湧いてくるようで、肩で息をしながらもその走りは止まらない。

 研究員は腕時計を見る。午前0時23分40秒。

「0時25分……0時25分……」

 ――上枝かみぐささんは0時25分丁度に、研究所南側中央のエレベーターがこの7階に到着すると所内放送で言っていた。非常事態で落ちているはずのエレベーターの電源を1度だけ再開してここにやってくる。これが最後のチャンス。

 目の前に十字に分かれた廊下が薄暗いながらも研究員には確認できた。次の曲がり角で左に曲がれば、すぐだ。そう心の中で呟きながらスピードを緩めずに曲がる。

 柔らかい感触が足に伝わると同時に研究員は勢いよく転倒した。咄嗟にカプセルを守ろうと腕を上げたせいで顎をしたたかに打ち付ける。視界の火花と口内に広がる血の味。振り返るとうっすらと見える、自分が着ているのと同じ白衣。赤く濡れた白衣。

 誰の死体だろう、と考える前に研究員は立ち上がる。もしかしたら生きているのかも、と考える前に研究員は再び駆ける。0時25分、0時25分。

 0時25分。

 エレベーターの扉が開く。真っ白な照明が漏れた。

「おや……あなたがいましたか」

 エレベーターの中には、青い色付き眼鏡をかけた小柄な白衣の男がいた。暗がりの中で、肩で息をする研究員を見て、その手に抱かれたカプセルを見る。

「……カプセルが無事なら、いいか」

「はぁ、はぁ……上枝さん、本当に助かった……」

 研究員は声を絞りだし、手を膝にやり息を整えようとする。しかし上枝はエレベーターの外を眺め続けていた。

「早く、行きましょう……いつ壊れるか分かりません」

「静かにしてくれ」

 上枝は暗闇を凝視する。何かが動く気配はない。何故か急ぐ気配のない上枝を見て、研究員は急かすように言う。

「もう私以外に生きてる人はこの中にはいません、すぐそこにも死体があったくらいで……」

 上枝はそう言われても始めは動こうとしなかったが、暫くすると小さくため息をついた。

「最低限の任務は果たしたから、いいか……」

「ではこのカプセルですが、予定通り几凪きなぎ所長に渡しておきますね」

 そして研究員が当たり前に言った言葉に、上枝は驚いた。

「なんだ、その話は。予定だと私が管理する手はずじゃなかったのか」

「変わったんです。言いたい事があったら几凪所長に言ってくださいよ」

 研究員はそう言ってエレベーターの扉を閉めるボタンを押す。研究員が地獄から解放されたかのような安堵の表情を浮かべるなか、上枝はどこか浮かない顔をしていた。

「これで私も上枝さんも株が上がりますね……何て言ったってこのカプセルは」

 言い終わる前に、エレベーターに激しい振動と衝突音が唐突に巻き起こった。研究員と上枝は揃って広くもないエレベーターの中で壁に吹き飛ばされるかのように転倒する。そして続く異音。

「……!」

 上枝と研究員は、目の前の光景に、声を出せなかった。

 閉まりかけのエレベーター。緊急時の為、その扉の力は決して弱いものではなく、人間の力では到底敵わないものだった。

 人間の、力では。

 青く潤った大きな両手が、ぎりぎりとその扉をこじ開けようとしていた。そしてその隙間から覗く縦長の瞳孔ははっきりと内部を捉え、そこにいる2人の人間を鋭く捉えていた。

「これは、歪獣……」

 研究員は声を震わせた。腰を抜かし、無意識にあとずさろうとして壁にずりずりとぶつかる。歪獣……この研究グループで秘密裏に研究と実験が行われている“らしい”、噂のような存在。話は聞いた事があるとはいえ、研究員が実際に歪獣を見るのは当たり前だが始めての事だった。

 ぎぎぎ、と金属の嫌な音と共に扉の隙間は段々と広がりつつある。頭部がその隙間から明るみの下に現れた。頭は細長く頭頂部は尖り、恐竜のそれにも見える。大きな口のラインは鋸刃のように、鋭く不規則に形成されていた。その青い表皮は絶えず粘液で覆われていて、この瞬間にも歪獣の顎からは透明な粘液が糸を引いて床に垂れ落ちている。

「か、上枝さん……」

 恐怖に震え上枝にすがろうとした研究員は、上枝がとった行動に絶句した。上枝は研究員の前に立ち、自ら扉の方に歩いていたからだ。庇ってくれているのか、と研究員が思った瞬間、上枝はエレベーターのボタンを押す。

 エレベーターの扉が、すーっと開いた。

 研究員は、上枝が狂ったのかと思った。

 上枝はくるりと振り返り、腰を抜かしたままの研究員の前でしゃがみこむ。

「ご苦労さん」

 バチィ、という音と共に上枝はポケットから取り出したスタンガンを使い、研究員の意識を飛ばした。研究員が頭を打たないようにそっと身体を抱き支え、壁にもたれかからせるように置く。そして、青い怪物を見上げた。

 歪獣が、ぬるりとエレベーターに入ってくる。背丈は2mを優に越え、窮屈そうに身体を屈める。獣脚のような、しかしどこか人間の骨格ににた強健な脚が、びた、びた、と湿った足音を立てた。大きくぬるやかに生えた尻尾はずるりと床を這い、細い腕に反して大きなその手は片手で人間の顔を覆い尽くせるほどだった。そしてその青い肌からは絶える事なく透明な粘液が流れ落ちていく。

 歪獣は研究員の傍らにいる上枝に向かって喉を鳴らしながら口を開き、

「その、かぷせる、を」

 4本指の右手を差し出した。

 ――何回会っても、心臓を鷲掴みにされた気分になる……。

 上枝は首筋に脂汗をかきながらも、研究員が意識をなくしても離さなかったカプセルを両手で取り、差し出されたその右手に乗せる。歪獣はカプセルを掴んだその手に口に運ぶ。その口を開くと歪獣は青紫色にぬめった舌を出し、数十cmほどのカプセルを口内に運び、顔をあげて一気に呑み込んだ。喉がごくりと動き、そのカプセルを体内へと送り込む。

 ――やろうと思えば人間でも、呑み込んでしまえるのだろう。

 上枝は思った。

「あなたの体内なら確実に保護できる……という、事ですか」

 歪獣は唸り声で答える。

「今、1階には誰もいないです。そこから逃げ道はいくらでもあります。地下の通気孔を使うも良し、下水道を使うも良しです」

 上枝が言うと、歪獣はずい、とその頭部を上枝に近付けた。ふーっふーっという呼吸音が上枝の鼓膜を埋めようとする。

「ほんとうに、いいのか」

 歪獣は再び声を出す。確かに人間のそれであったが、とても喋りにくそうにも見えた。

 ――当たり前だ、これは歪獣なのだ。まず喋るという事自体驚くべき事だ。

 上枝はそう思いながら、歪獣を目を合わせる。野性的で突き刺さるような、それでいて知性の光が宿る目だった。上枝は答える。

「良いんです、このカプセルを託せる相手はあなたくらいしかいない。この研究員より、上司より、私より、怪物のあなたの方が適任……それだけの事です」


 翌日、ニュースでとある研究所の襲撃事件が流れた。死者と行方不明者を多数出す大きな事件で、その行方不明者の中には、上枝 良太の名前があった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 歪獣にいつも魅力を感じてるひだりん。いつか元ネタにして何か書きたいーー><
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