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刹那に色を  作者: はるの そらと
春ノ章 ユウ
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五.同じ日は二度ない(三)


「じゃあな、風早」

「迷子になるなよー」

 放課後。部活動に向かう二人が教室から出ていくのを見送ると、鞄を背負って学校を出た。

 さあ、帰宅部の部活動開始だ。……部員一人の部活動、か。

 グランドから、野球部の野太い大声が湧き上がった。

 ――青春してるなあ。

 そんな彼らに背を向け、一人学校を後にした。

 駅前の大通りを歩いていると、すれ違った若い女性たちの会話から「時計」という単語が聞こえた。

 ふと山崎の言葉を思い出す。

 新しくできたという時計屋。

 いまどき、時計屋なんて珍しいことしている人もいるんだな。街中を見回しながら思う。

 人口が多いわけでも、観光地でもないこの町に「時計屋」なんて構える動機がよくわからない。

 まあ、僕には関係ないことだ。

 それっきり、考えるのをやめると家に向かう足を速めた。

 タンタンタン、と一定の速さを保って歩いていたときだった。

「こんにちは、ユウさん。いえ、もうこんばんは、でしょうか?」

 背後からかけられた声に振り返れば、新緑を彷彿させる萌木色の着物を着た、黒髪の女性がほほえみを向け立っていた。

「ああ、ヒコさんか。びっくりした」

「あら、本当にびっくりしました? そういうふうには全然見えませんでしたよ?」

「からかわないでください。本当にびっくりしたんですから」

 日子はいたずら気な笑みを浮かべると、口元を袖で隠して笑った。

 年上の女性、ということはわかるのだが、実年齢がわからない。良明にでも聞けば教えてくれそうだが、正直なところ聞くのが怖くて躊躇している部分もある。二十代とも三十代ともとれるその容姿に、女はよくわからんと思わせた最初の人だ。

「ヒコさん、店はいいの?」

 日子は、この町にある和菓子店を経営している女店主だ。和服をいつも着ているから、町の人にはよく知られた人でもある。

「ええ。愛美さんに任せているので大丈夫ですよ」

 それ、本当に大丈夫なのか?

 女子高生のアルバイト、一人で店番ということになる。だけど、日子が大丈夫だというのだ。実際、大丈夫なのだろう。

 日子のいう「愛美」こと天野愛美とは、少しだけ面識がある。大人しそうな子だから、なるべく早めに戻ってほしいと思うのはお節介だろうか。

 仮に愛美ではなく、悠のよく知る人物なら例え強盗が入っても何とか対処しそうなので、あまり気に掛ける必要はないのだけど。

 ちなみに、その「よく知る人物」とは愛美の親友でもある。

「ユウさん、新しくできた時計屋さんに御用でもあるんですか?」

 首を傾げれば、日子はゆっくり右手で指差した。

 その指差す先には、建物と建物の間にこっそりたたずむ小さな店が目に入った。まわりにある建物よりこじんまりしているせいか、日が届きにくく、どこか影を背負っているように見える。

 あれが山崎の言っていた店か。

 できたばかりには、とてもじゃないが見えなかった。むしろ潰れかけていると言った方がしっくりくる。

 そんな、どこか古臭い雰囲気のする店なのに、何故か目が離せなかった。上手く言えないけど、なんか……引っかかる。

 引き寄せられるように店の前まで行けば、ガラスの向こう側に置かれた、一つの時計から目が離せなくなった。

「その懐中時計が気に入ったんですか?」

「いえ、気に入ったというか、気になると言うか……」

 困ったように頬をかいた。自分でもうまく説明できない。

 じっと見つめてくる日子の視線に耐えていると、ふいっと逸らされた。同時に鈴の音が耳に届く。

 見ると、日子は店の中に入り、例の懐中時計を手にすると、店の奥へと消えていった。

 再び扉に付けられた鈴の音が聞こえ、顔を上げれば片手に小さな小包を持った日子が微笑んでいた。

「あげてください。新しい居候さんに」

「え?」

 自分で言うのもおかしいが、間抜けな顔をしていたに違いない。

「この町に来た記念だと伝えておいてくださいな」

 自分にではなく、あいつに?

 いや、それより何で新しい居候人のことを知っているんだ?

 口を開き、喉まで出かかった言葉は、日子の微笑という無言の圧力によって、出ることはなかった。

「あれ? ユウじゃん」

 再び、背後からかけられた声。声で誰かすぐにわかった。こっそりため息を吐く。強盗が入ってきても冷静に対処しそうな、悠の「よく知る人物」――。

「今日、部活じゃないのか?」

 振り向けざまに言えば、黒のポニーテールが尻尾のように左右に揺れるのが目に入った。腰まで届きそうな長髪を持つ彼女は、赤いリボンが特徴的な私立高校の制服に袖に通している。

「今日は休み。愛美がバイトだっていうから、そこまで一緒に帰ってたの」

「ふーん」

 そう返事をすれば、手をつねられた。一体なんだよ、と視線を送れば子供のころから変わらない悪戯気な笑みを向けられた。

 彼女の名は、風早華菜多。――戸籍上、従兄妹に位置する。

 と言いうのも従兄妹になったのは八歳のとき。良明の養子として迎えられたときだ。

「華菜ちゃん。久しぶり」

「あ、ヒコさん。こんにちは。……ってどうしてここに?」

「ちょっと用事があってね。そうだ、二人ともお店にちょっと寄っていってちょうだいな」

 華菜多と顔を見合わせると、二人して小さく笑った。

 時計屋から五分ほど歩いたところに、日子の店、緑水堂はある。店に入れば、奥から紙袋を二つ持って、日子が現れた。

「はい、和菓子の試作品。毎回毎回頼んじゃってごめんなさいね」

 手渡された紙袋を受け取ると、ほのかに甘い匂いが鼻をくすぐった。

「いえ、ここの和菓子好きなんで大歓迎ですよ」

 華菜多が嬉しそうに紙袋を受け取りながら言った。

 ふと、前回和菓子をもらったとき、ダイエットに挑戦中だった華菜多に「太るぞ?」と言ったら背中を思いっきり叩かれたことを思い出した。

 善意で忠告しただけなのに。女子は本当に甘いものが好きだよな。そういう僕もここの和菓子はよく食べる。

 ちらりと家にいる少女が脳裏をよぎった。

「小梅も喜ぶよ」

「まだ試作品の段階だから、味のバランスが悪いかもしれないけど、そのあたりの感想、待っているからね」

 にっこりほほ笑む日子に見送られ、久々に二人して帰路についた。

「そういえば、おじさんまた人連れてきたんでしょ?」

 街灯がちらほらと灯り始めた。薄暗くなりつつある道の途中、華菜多の表情も徐々に見えにくくなる。一番見えにくい時間だと常々悠は思っていた。

「どうして知っているんだよ?」

 ヒコさんといい、華菜多といい。誰が言って――。

「え? 叔父さんが言ってたよ? また一人増えたからよろしくって」

「……いつ?」

「昨日の昼? 留守電に入ってた」

 頭を抱えたくなるのを必死でこらえた。結局反対しようがしなかろうが、奏を引き取ることを決めていたのだ。

「今から行ってもいい?」

 顔を覗き込むようにして尋ねる華菜多に、僕は頭を左右に振った。

「来なくていい」

「どうして?」

「うるさいから」

「何それ?」

「そのまんま」

「もう!」

 また叩かれるかと、背中を強張らせたが、いつまで待っても衝撃はやってこなかった。

「そうだなー。もう暗くなり始めているし、今日は帰るよ」

 やけに素直だなと思ったが、腕に抱えられている紙袋を見て思い直した。花より団子、ですか……。

 華菜多を家の近くまで送っていくと、一人暗い道を歩いた。空を仰げば、街灯の代わりに無数の星が輝いている。しんっと静かな場所に響く、自分の足音。昨日より遅い時間だと思い、ほうっと息を吐いた。

 帰宅部も楽じゃない。


   ◇


「これ」

 居間にいた奏に、日子から渡された懐中時計を渡した。奏は、机に置かれた小さな箱を見るだけで、手を伸ばしてこなかった。

「何? それ」

 興味を持ったのは、小梅だった。

「ヒコさんから。新しい住人にどうぞって」

「えー。ヒコ、うちのときは何にもくれなかったのに」

「そうだっけ?」

「そうだっけって。あのね、うちはユウ君より先にここに住んでるんだよ? 知るわけないじゃん」

「あー、そうか」

「ねえ、奏。これ開けてもいい?」

 呼び捨てかよ、とは思いつつ口にはしなかった。

 返事がないのを肯定と受け取った小梅は、きれいに包まれた箱を開ける。

「あ、懐中時計だ」

 窓から眺めていた懐中時計と少し違う気がするのは、電球のせいか?

 手のひらに収まるサイズの懐中時計は、どこか年季が入っていて、新品のようには見えない。シンプルなデザインで、円盤には数字や文字は一切なく、長針と短針、そして黒い秒針が、一刻一刻を刻んでいた。

 パッと見でだけで、何時なのかわからない時計だ。

「はい」

 しばらく懐中時計を眺めていた小梅は、奏にそれを渡した。

「ヒコ、どういうつもりなんだろう」

 呟きにも近い小梅の独り言。

 懐中時計を握らされるような形で手にした奏は、じっとそれを見たあと、ふいっと立ちあがり、居間から出て行った。

「なんだ、あいつ」

「いつものことじゃん」

 確かに不思議なことではないんだろうけど、気のせいか、お面みたいにあまり変わらない表情が一瞬だけ歪んでいた気がした。

 戸惑いの色に。

「ねえ、ユウ君。ユウ君は見夢って信じてる?」

 奏が去っていった後、小梅がいきなりそんなことを口にした。

 ちらりと山崎たちとの会話を思い出し、頭を横に振った。

「それはデタラメ。見夢なんてあるわけないだろう? 神がいるかも怪しいのに」

「でも、今日テレビで『見夢に行って帰ってきました』って言う人が出てたよ?」

 どんなテレビを見てたんだと思いつつ、悠はこたつの上に置いてあるみかんを取りながら、答えた。

「見夢ってさ、誰もが幸せを感じて、怒りとか悲しみとか憎しみといった、負の感情とは無縁の世界って言われているだろう? だったら普通、行けたならこちら側に戻ってこないんじゃないか?」

「その人、こっちにいる子供が気になって戻ってきたって言ってたけどね」

 小梅はみかんを剥きながら答えた。

「どうだろ? その人デタラメなことを言っただけじゃないか? 見夢なんかあるはずないんだよ」

「ふーん」

 小梅はつまらなさそうに返事をして、剥いたみかんを口に入れた。その瞬間、口をすぼめる。

「このみかん、酸っぱい!」

 その一言を聞き、悠はそっと手に持ったみかんを元に戻した。



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