四十八.刹那⑤
「さて、もう一度問おう」
悠はまっすぐ奏を見た。その眼は、うつろなものではない。今、この瞬間を生きようとする生者のものだ。
「君には夢があるか」
「ある」
間髪入れずに答えれば、鼻で笑われた。
こんな時に……まったく。って、声が出るようになっている。
「俺にも夢がある」
まさか、自分から話をするとは思わす、目を丸くした。
「俺は、願いから生まれ、その願いすら忘れ去られ、いずれ朽ちる定めの存在。神のように永久的なものではない。だから、この世界がとても眩しく映った」
そう言って、奏はあの懐中時計を開いた。途端、目つきが険しくなる。
「俺の存在は脆い。だから、君を水の中からかろうじて助けたものの、存在は消えかけた。そして次に目を覚ましたときは、もうこの世界は出来上がっていた」
じゃあ、あの白い腕は奏のものだったのか。
「俺は、もしかしたら他人を不幸にするかもしれない。現にこの世界の住人を不幸にした。――けど恨まれても憎まれても、君には生きてほしいと願う」
これは俺の役目や存在は関係ない、と奏は言う。
桜の花びらが、こんなところまで舞ってきた。
「今、現実の世界にいる君は病室で今にも息絶えようとしている」
「は? どういう――」
「自分の身体が死にそうになっているってことだ。……だからここ最近綻びや白帯が増えてきただろ。それに、この懐中時計も君の残りの時間を示していた」
そう言って奏は何もない空間を見た。
「あと、この舞っている桜もだ」
「枯れ桜が?」
「この桜が満開になったとき、この世界は崩壊を迎える。つまりは君の体の限界を暗示している……体が死ねば魂の帰る場所がなくなる」
さて、と奏は言葉を続けた。
「もう時間もない。時期、この世界も崩壊する。君はどうするのかもう決めたんだろ?」
こくりと頷けば、奏は白龍の瀧のほうへ指を指した。
「あの瀧壺に飛び込めばいい」
――神聖な水を体内に持つ幻獣が飛び込みし白銀の輪、先の民のみ行ける国、それすなわち和の世界。
奏が静かな声で言う。
「良明が君に黒龍の涙を撒かせたことで、この瀧は、神聖な水を含んだ。……本当あの人がいなかったら、君にはもとの世界に戻るという選択肢はなかった」
「そうか。じゃあ僕はただ飛び込めばいいんだな?」
そうすればまた野良や小梅に会うことができるかもしれないのだ。
「ほら、じゃあ行くぞ」
そう言って奏の腕を掴み、瀧壺の中へ飛び込もうとしたのだが、その寸前で振り払われてしまった。
「おい、奏――」
「……俺は、行けない」
「どうして!」
「俺の役目はここまで。もし一緒に飛び込んだとしても俺は――」
「奏!」
奏は口を閉ざした。轟々と鳴る瀧の他に、嗚咽を必死で押し殺す声が聞こえた。
「……それ以上、言うなよ」
奏は目を逸らした。そして悠の背後へ回り込むと、爪が食い込むほど握りしめられた両手を無理やり開き、その背中を押した。
「奏!」
もう、時間がなかったのだ。
奏は最後に笑って見せた。同じこの時を過ごせて本当に楽しかったと伝える最期のメッセージ。
「君は聞耳とは何かと言った。人は最後のそのときまで聴力があるという。つまり、俺の声も最後まで聞こえるってことだろう?」
どんどん沈む体とは対照的に、視界はどんどん白くなっていく。
「俺のこの言葉も君は忘れてしまうだろう。けど、あえて言おう。――――」
そうして僕は、今度は誰にも救い出されることなく、深く深く落ちていった。




