四十五.刹那②
山崎、川野、薫、愛美――華菜多。
皆の顔が浮かんでは消えた。ふらりと立ち上がり、階段を降りようとすれば、誰かに腕を掴まれた。
『……離せよ』
声にならない言葉を吐く。それが余計に苛立ちを募らせた。
『離せ!』
腕を振りほどこうとしたが、それでもその手は離れなかった。
『離してくれよ……』
へたり込んだ悠の腕をそれでも放さなかった。それが、何となく既視感を覚えるのは何故なんだろう。
皆、どこに行ったのだろうか。無事なんだろうか――。おそらくその問いの答えを奏は持っている。けど、悠はあえて聞かなかった。全身の震えが止まらない。
奏に導かれ、自分がどこに向かって歩いているのかさえわからないまま、ただ歩いて行けば、俯き加減の視界に小さくて白いものが目に入ってきた。
もう、雪が降って来たのか。
別に珍しいことではない。悠は、そっと手を伸ばしそれを手のひらに乗せた。が、一向に溶ける気配がない。
『あ……』
それが花びらだと気付き顔を上げた悠の視界いっぱいに、その花びらは舞っていた。
『枯れ桜が、咲いている……』
――桜が咲いたらみんなでお花見をしよう。
そう、耳元で声が聞こえ思わず振り返ったが、誰もない。
もう、あの頃には戻れない。
満開の桜と一向に止む気配のない桜吹雪。もし、これがあの何気ない退屈な日々に起きていればと思いを馳せて、やめた。静かに頬を涙が伝った。
「とうとう、来ちまったな」
声のした方を向けば、金髪にサングラスの若い男と灰色のフードを被った子供が立っていた。
奏の顔が曇ったのだが、悠はそれに気づかなかった。
国見はタバコの煙を吐くと火を消した。
「オレたちは傍観者だ。別にもう危害を加えようとは思っていねえよ。……それにもう、終幕だ」
何が終わりなのか、そう言おうとしてやめた。
まあ、何だ、と国見は言う。
「最期まで居たかったんだが、こいつがうるさくてな」
国見に指を指された火ノ根は、当たり前だと言わんばかりの雰囲気を醸し出していた。
「まあ、なかなか楽しかったわ。……いっつも暇で暇で仕方ないオレにはそれなりに楽しめる暇つぶしだった」
それは、国見からの最上級の褒め言葉であった。
まるで別れのあいさつのようだな、と言おうとした瞬間。国見と火ノ根は、悠と奏の目の前から唐突に消えた。まるで紙を裂かれたかのようにその跡は何もない。ただの白しかない。
足に力が入らなくなって、その場に座りこめば、今度は吐き気が襲ってきた。
「……死んだわけじゃない。戻っただけだ。名のある神の気まぐれにいちいち付き合う必要はない」
そう言って奏は悠を立たせると、また腕を引っ張り歩いた。
傍から見れば、迷子を導くように見えただろう。そうして辿り着いたのは、いつもの家だった。
「ユウ君」
「ゆっくん」
泣きじゃくっていたのだろう。悠を見た途端駆け寄ってきた小梅と野良は、鼻を啜り、嗚咽をもらしながらも離れまいと力強く腕を回してきた。
「これで終わりなんてヤダよ」
それを聞いて、悠はしゃがむと二人を抱き寄せた。
何が終わりなのか、聞かなくてもわかってしまう自分が嫌になる。気づけば全身が震えていた。
僕が震えてどうする――。
そう自分に叱咤しても震えが止まることはなかった。
『僕も、ヤダ』
小梅も野良もこんなに近くにいて、触れて、シャンプーの匂いさえする。それなのに、今この瞬間もあっという間に過ぎ去ることを思うと、時間という存在が憎い。
どうやら二人は悠以上に状況を理解しているらしく、堰を切ったように激しく泣き出した。
「ユウさん」
顔を上げた悠は、目を丸くした。
『……ヒコさん』
どうしてここに?
日子は悲しげにほほ笑むと言葉を続けた。
「ごめんなさい。……命一つ救うこともままならない、至らない神で」
神?
悠は首を傾げた。
「すべて貴方に任せる形になってしまったわね」
そう言って日子は奏に視線を向けた。対する奏は、小さく首を振って答える。
「構わない。本神ではないとはいえ、ここまで肩入れしていたおかげで俺も助かった」
だが、日子は首を振った。
「わかっています。本当はこんな結果を望んではな――」
「いいんだ」
日子は口を閉じた。
「ねえ、まだ?」
そう言って現れたのは時雨だった。
「……もう、限界が近い」
そう言って顔を歪めた。時雨にも限界はある。
「あと少し――」
「無理」
「頼む」
奏の目をじっと見つめた時雨は、ため息を吐くと悠のほうへやってきた。
「私は、貴方の幸福を一番に願ってる。――だから……だから」
言葉を詰まらせながらそれでも必死に伝えようとする時雨。その目は光を反射して悲しみの光を放っていた。
「元気で」
『時雨』
走り出そうとした時雨に向かって、悠は声にならない言葉をかけた。不思議なことに時雨には悠が何かを言ったのを感じ取ったらしい。こちらを振り向いた時雨に、悠は言った。
『ありがとう』
時雨の両目から涙が零れ落ちるのを見た。
「……その一言で、十分」
そう言って時雨は涙を手の甲でふき取ると、何かを決めたような目を一瞬だけした後振り返ることなく駆け出した。




