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刹那に色を  作者: はるの そらと
春ノ章 ユウ
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三.同じ日は二度ない


 小説や漫画、映画の世界での「出会い」というのは印象深く表現される。

 でも、現実の世界で人に会うのに劇的な出会いだ、なんて思い返せるほどの出会いはあるのだろうか。

 そう考えるとやはり、自分自身の記憶がいいように変えてしまっている気がする。実際の出会いはそんなに大したことないのだ。いつもと同じ日常の一編。それがほとんど。

 でも、始めの「出会い」が薄くかったり印象が悪かったりしていてもその後も同じだとは限らない。印象のない「出会い」の方が、己の人生の岐路に立つほどの重要なものだった、なんてことはよくある。

 こんなことの繰り返しだから、どこで道を誤ったのかと己の人生を振り返っても結局原因はわからない。

 そしてどんなことがあっても、時間は無情に流れていく。

 そう、今この瞬間も。


   ◇


 誰だ?

 絵馬殿に若い男が立っていた。

 僕より年上なのは確かだ。だけど、かなり年上にも見えれば二十歳そこそこだと言われてもしっくりくる。そんな妙な空気をまとっている人だ。

 参拝客はほとんどが町民であるため、初めて見かけるその男に疑問を抱く。

 カラ、カラ、カラ、カラ――。

 その男は、絵馬殿に奉納されている絵馬をなぞった。まるで楽器を奏でるかのように音が鳴り響く。

 カラ、カラ、カラ――。

 ……腹が立つ。

 絵馬は願いだ。賽銭を投げ願うのとは違い、ものとして存在している。それをあんなふうに扱うなんて。

 そう思って無意識のうちに睨んでいると、男と目が合った。

 瞬間、背筋に寒気が走る。

 ――曇った瞳。

 人間があんな目をするのか?

 空虚、そんな言葉が似合う男だ。そこにいるのに、いない。実態を感じない。生きているのかさえ疑問に思ってしまうような、人間。

 本当に人間なのか……?

 妙な空気が流れる。

「あ、ここにいたか」

 その空気を断ち切ったのは、中年の男だった。

「良さん……」

「なんだ。お前もいたのか」

 朗らかな声音の主は、風早良明。この神社の神主兼宮司である。そして僕がお世話になっている人でもある。

「ちょうどよかった。小梅を呼んできてくれないか?」

「……いいけど、どこにいるのさ?」

 渡りに船とはこのことだろうか。

 とにかく、ここから自然に立ち去ることができるのなら今は何だっていい。

 あの男から逃げろと勘が告げる。

「多分、滝じゃないかな?」

 滝、か。

 境内を囲むようにある森に目を向けると、逃げるようにその場を去った。


   ◇


 神社の周りはやけに自然が多い。

 それは、人にとって自然が畏怖の対象であり恵みの象徴だったからこそだと思う。科学が発達していない時代の人々にとって、奇形の大木や大岩、清い水を里に送り出す山は、人をひきつけ、生きる上でなくてはならないものだったのだろう。自然の中に神がいる――すると社の周りも自然にあふれるのは必然だ。今では社を囲うようにある森を鎮守の杜という。

 まあ、僕もそれらしいことが書いてある本を読んだだけで、詳しいことはあまり知らない。

  そしてこの神社も数多の神社と同じように、自然が信仰の対象にあたる。轟々と流れ落ちる瀧――それがこの水宮神社の主神。白龍の瀧と呼ばれている。

 良明の言った瀧とは、この瀧のことだ。

 社から離れた森の中に位置し、神聖な場所であるからとして人の立ち入りを禁止しているが、実際は広い森の中で遭難しないようにとの配慮だ。

 山一つ、鎮守の杜になっているこの神社では、道路を作ろうにもさまざまな手続きが必要になる。ましてや神が鎮座する森。それに手を加えることは恐れ多いという認識が強く、交通の便が悪いことはもちろん、森の中は特に整備されることなく自然に任せている。そのせいで高校までの通学に時間がかかってしまうのだ。こちらとしてはいい迷惑なのだが、仕方がない。

 この神社に住む者は、森の中でもある程度の場所は把握している。

 むしろ、遊び場として駆け回っていたくらいだ。

 白龍の瀧へと行くには、境内の隅に位置する枯れ桜のそばを下らなければならない。

 だが、下る必要はないようだ。

「小梅、良さんが呼んでる」

 黒髪の少女が振り向いた。黒光りしそうな大きな瞳が向けられる。

 十二歳の小梅は、年の割に大人びた少女である。まあ、最近の子は大人びていると聞くから、これが一般的なのかもしれないが。

「よっしー、どうかしたの?」

 よっしーとは、良明のことだ。

 小梅は、ニックネームで人を呼ぶ。小梅いわく、小梅流コミュニケーション術、らしい。

「さあ? てか、瀧にいるって聞いていたけど、こんなところで何してるんだ?」

 小梅は、すうっと上を見上げた。

 その視線の先には、大きな桜の木。僕たちは「枯れ桜」と呼んでいる。

 すでに四月だというのに、その桜の木は裸のまま。葉一枚、花一つ咲かせることなくただ立つ。周囲の木々は新緑を纏っているのに対し、幹と枝だけのそれはどこか痛々しさを与えた。

 こんな状態だというのに、まだ生きているというから驚きだ。まさに神社にふさわしい不可思議な桜の木である。

「なんか、桜 が咲きそうな気がして」

 ただの勘だと小梅は笑う。

「よっしー呼んでたんでしょ? じゃあ行こ」

 小梅に手を引かれ、やっと家に帰った。

 今日はいつもと違って、随分とくたびれた。

 だが、それだけでは終わらなかった。

「今日から一緒に住むことになったから」

 一息つく暇もなく、居間に呼び出されると、良明は「飯ができたから」とでも言わんばかりに言い放った。

 良明の隣に立つ男、それはまさに絵馬殿にいた、あの気味の悪い男であった。

 さっき見た「目」を思い出し、再び背筋が粟立った気がした。

 そして、もう一度良明の言葉を己の中で反芻する。

 ――今日から一緒に……住むことになった?

「はい?」

 だから、と良明はめんどくさそうな、それでいて楽しそうな声音で、もう一度説明した。

「この子は奏。今日からこの家で一緒に住むことになったから」

 はい、そうですか。……なんてすぐに納得できるはずない。

 良さん、とため息交じりの言葉が零れた。

「部屋はどうするんですか? その前に、彼は一体誰なんですか?」

 見た目と名前くらいだ。……今のところわかっていることは。歳も出身も、何もわからない。

 それでいいのか?

 人を養うというのは、犬や猫を飼うのとは違う。その点をきちんと理解しているのだろうか?

 ましてや、こいつとこれから一緒に住むことなんて――できるわけがない。今でもはっきり思い出せる、あの目。人付き合いはお世辞にもいい方だとは言えないけど、それでも嫌なものは嫌だ。

 それに……。

 僕は天井を見た。

「良さん、僕――」

「部屋は、お前と共同。文句は受け付けない!」

「はあ」

 聞き間違えか? と思ったがそうでもないらしい。

 僕が口を出すべきではないことだが、良明、小梅、僕の三人暮らしだけでもいっぱいいっぱいなのだ。そこに、もう一人となると……。

 どうなるんだ? 一体。

 良明が連れてきたのだから、何とかなると信じたいが。

 しかし、今よりもっと節約しなければならないことは目に見えている。通学用の自転車がほしいと思っていたのに。

 それに部屋。十二畳程あるだだっ広い自室だけが心の救いだった。――誰もいない自分だけの空間が。

「もう空き部屋ないんだから仕方がないだろ」

 だったら連れてくるなよ。

 無言で抵抗を続けていると、良明は困ったように頭をかいた。

 わがままを言っていることは百も承知だ。

 だけど、今の生活が崩れるのはどうしても嫌だった。

 ここまで隠し通してきたんだ。

 ちらりと天井の隅に視線を向ける。

 それなのに、こういう予期せぬ事態があるから困る。

 良さんには悪いけど、引くつもりは毛頭ない。

「あ! わかった! ユウくん、部屋に仕切りがないから嫌なんでしょ?」

 突然声を上げたのは、小梅だった。そして、意味ありげな笑みを浮かべ、こちらを見上げた。

 急に何を言い出すんだと思っている一瞬の隙に、良明はなるほど、と納得の声を上げていた。

 しまった、と思った頃にはすでに遅し。

「なら、丁度いいものをもらったんだよ」

 廊下へと消える良明を見て、思わずため息を吐いた。

「小梅」

 余計なことを――。

 視線を送れば、小梅は素知らぬ顔でそっぽを向いていた。

 ガキだからといって侮れない奴である。

 小梅は、新住人の方を向くと笑顔を見せた。

 そのときだ。小梅の顔に疑問の色が浮かんだのは。

「初め 、まして?」

 戸惑いの色を滲ませ、小梅が尋ねる。

 そんな小梅に奏は、どこか遠くを見たまま、ちらりともこちらを見ようとしなかった。

 初めましてで合っているだろう。

 それとも、小梅はどこかでこの男と出会ったことがあるのだろうか?

 一見、どこにでもいそうな好青年だ。が、それをも打ち消しているのが、あの目。

 やめとけ、という前に、小梅は声をかけた。

「奏くん、うち小梅って言うんだ。よろしく」

 小梅は返事を期待していたのだろうが、予想通り、返事はなく沈黙だけが流れた。

 ああ、やっぱりこうなった。

 時計の秒針がやけに大きく聞こえる。

 残念ながら、これをどうにかする気力は俺にはない。

「うん? どうした?」

 ひょこっと現れたのは、良明だった。そのまま近づいてくると、腕に抱えていた白い布を俺に押し付けた。

 ずっしりと重い。何の布地だろうか?

「もらい物だけどそれ、天井にでもぶら下げれば仕切りになるだろう。お前たち、仲良くしろよ」

 抗議する隙を与えない、良明の笑顔。反論の余地を与えないその笑みに、僕はため息を吐くしかなかった。

 所詮僕は住まわせてもらっている身――これ以上反抗もできない。

 十二畳の和室を二つに区切る白い布。

 頼りない仕切りである。歩けば、小波のようになびいた。

 仕切りと言っても、本当に簡易だ。音もまるまる聞こえるし、部屋にいるかどうかも相手にわかってしまう。

 それでもないよりはマシだ。

「どっち使う?」

 一応、聞いてみる。が、返事はなかった。

 戯れる気は一切ないとでも言いたげな雰囲気を醸し出し、奏は左の方に入った。

 気分は最悪。これから先のことを思うと、気が重くなる。大きなため息が漏れ落ちた。

どうなるんだ? 僕の生活は。

 それから、今までの生活に少しだけ変化が加わった。

 変わらなくてもいいのに。

 ――いや、変わって欲しくない。

 だけど、そうも言ってられない。

 だってそういう「セカイ」だから。


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