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刹那に色を  作者: はるの そらと
夏ノ章 小梅
35/50

三十四.砂の城は所詮、砂(弐)


 悠たちが枯れ桜に向かう数十分前――。

 奏は与えられた自室で、息を殺すようにして身を投げ出していた。背を壁に預けているにもかかわらず、体はバランスを失い傾く。

 頭が痛い。

 内側から何かが叩きつけているような痛みだ。耳鳴りとともに、視界に映る白い光が目障りだった。

 ふらつく足取りで、玄関まで辿り着けたのは奇跡に近い。目隠しで歩いているようだ。

 奏はそのまま靴も履かずに外にでた。暑さも寒さも、ましてや足の裏の痛みも五感のすべてが頭痛のせいで霞のようにしか感じられない。

 自分がなぜ外に出たのかもわからないまま、奏は歩いた。もしかしたら、この頭の痛みからどうにかして逃れたかったのかもしれない。

 糸で操られる人形のようにたどたどしい足取りで歩いていると、わずかに人の気配を感じた。

 あの少年かと思ったのだが、違った。そこには時雨と呼ばれる少女が御神木の幹に手を当て立っていた。

 この神社の御神木である枯れ桜。正式名称を知っている人間は少ないのではないのだろうか。

 枯れ桜は俗称。いわゆる、愛称みたいなものだ。本当の名前は――。

 そのとき、時雨は御神木の枝を躊躇なく折った。木自体が悲鳴を上げるかのような、痛々しい音が耳に届く。

「……何をしてるんだ」

 声をかければ、驚いたのか、時雨は枝を持ったまま森の中へ駆け込んで行ってしまった。

 ――鎮守の杜の中は迷ったら困るから、一般の人は立入禁止なんだ。

 さきほど、友人二人に説明した悠の声が頭の中で響く。

 追いかけなければ。

 奏は、時雨のあとを追った。

 緑の葉を生い茂らせた森は、春先とはまた別の世界だった。

 生き物の気配が、手に取るように感じる。蝉の声が森全体を使って反響しているようだった。

 それにしても――。奏は前を見た。

 時雨という少女は、ここに入ったことがあるのだろうか。

 それほど場慣れしている。すぐに木の根に足を取られ追いつくと楽観視していたが、その考えは改めなければいけないようだ。

 だが、このさきには……。

 耳を済まさなくても耳に届く祭神の存在。小さくとも存在感のある水流の音を聞きつつ、奏は疑問に思った。

 何故、躊躇なく白龍の瀧へ向かっているのだろう、と。

 そしてやはり時雨の足が止まったのは、白龍の瀧の前だった。

「ここに来てはいけない」

 自分が言えるくちではないのとくらい、重々承知している。だが、本当にここに来てはいけないのだと心のどこかで訴えてくる。

 時雨は片手にさきほど折っていた桜の木の枝を握っていた。

 どうするつもりなのか。

 奏は、その成り行きをじっと見つめた。時雨は奏が忠告したにもかかわらず、聞く耳を持たないのか、こちらを振り返ろうともしなかった。

「……私は、どうすればいいの」

 道に迷う子供のような表情を浮かべ、時雨がまっすぐこちらを見てきた。

「……決めたばかりなのに、邪魔ばかり。何度も、何度も」

 何を言っているのか、奏には理解できなかった。返す言葉もなく、ただただ見つめ返しているときだった。

 奏は気づいてしまった。

 彼女の手の中にある桜の枝には、小さな白に近い薄紅色の花がついていることに。

 いつ咲くのかわからないと言われる桜の花が。

 いつの間に咲いたのか。

 そう思っているときだった。

「それでも私は……諦めるわけにはいかない。だから」

 その瞬間。時雨は手に持っていた枝を飛沫のあがる白龍の瀧に投げ入れた。

 驚きのあまり声も出すことができなかった。どういうわけか、取り返しのつかないことをされた気になる。

 そのときだ。瀧の音をしのいで刻み音が耳に届いた。奏は懐中時計を取り出すと、躊躇なくその蓋を開いた。見ると、針が狂ったように時を刻んでいる。

 どういうことだ?

 疑問に思った瞬間、奏の頭に激痛が走った。

「……ここまで、か」

 視線を上げれば、例の少年が憂いを含んだ目を向けてきた。

「ごめん」

 そう言って少年は視線を逸らした。――頬に伝うしずくを光らせながら。

「あとは、よろしく」

「待てっ――っつ」

 手を伸ばしたが、少年には届かなかった。

 奏は、その場に倒れ込んだ。長く続くかと思われたその痛み。痛みのあまり、呻き声がもれた。が、痛みと共に今まで霞がかかっていたような思いと記憶が、パンドラの箱から飛び出したありとあらゆる負の感情のように、一気に押し寄せてきた。そして――。

 うずくまっていた奏はゆっくりと立ち上がると、ただ轟々と落ちる瀧を見た。

 その瞳に悲しみを滲ませながら。



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