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刹那に色を  作者: はるの そらと
梅雨ノ章 奏
25/50

二十四.嘲るように笑う日常(5)


 翌日。教室にある自分の席に着いた途端、弁当を忘れたことに気付いた悠は、慌てて校舎の隅っこに忘れられたように立ち呆けている電話ボックスに駆けこんだ。

 購買のない日に弁当を忘れるなんて、と自分に悪態をつきつつ、ダイアルを押す。こんなとき、携帯電話があれば便利なんだろうけど、あいにく悠は持っていない。

 小銭を握りながら、受話器越しに聞こえる呼び出し音に意識を向ける。

「もしもし」

「あ、小梅?」

 電話に出た小梅に事情を説明すれば、あーっと気の抜けた返事が返ってきた。

「それ、よっしーが気づいてね。お弁当持っていくと思うよ」

 ほっと胸をなでおろし、残り時間を見て慌てて言葉を紡いだ。

「そっか。わかった。ありがとな、小梅」

「あ、ちょっと、ユウく――」

 途中で切れてしまったが、まあ、弁当ことはわかったし大丈夫だろう。

 そう思って悠は教室に戻った。

 だけどこれが、後々大変なことになるとは微塵も思っていなかった。


   ◇


 昼休みまで残り一限となった休み時間のときだ。

「ねえ、あの人かっこよくない?」

 窓辺でおしゃべりをしていた二人の女学生のうち一人が窓の外を見て言った。

 漫画やドラマみたいなセリフを教室内で聞くとは思わなかった。本当にそんなセリフを吐かせる場面に遭遇するなんてな、と思いつつ興味本位で外に目をやれば、悠は思わず目頭を押さえた。

「本当だ。モデルとか? 日傘さしてるし」

「ちょっ、こっち見てるよ。え、誰か探してる?」

 嘘おーっと盛り上がるクラスメイトを横目に、悠は全力で階段を駆け下りると、下駄箱が並ぶ玄関に出た。

 こっちにこいと大きく手招きすれば、それに気付いて校庭からゆっくりこっちに向かって歩いてきた。

「……弁当届けに来たのって、お前かよ」

「不満か?」

 そう言いながら弁当を差し出してきたのは奏だった。

 クラスの女子が色めき立つことに、軽く嫉妬を覚えつつ、あの気味の悪かった目も今じゃそれほどでもないな、と思いながら差し出された弁当を受け取った。

 片手に持つ傘を見て、奏にも雨が降っているように見えるのだなと思った。

 この雨、当たる感覚と濡れる感覚はあるのだが、実際には濡れていない。キツネにつままれているようだなと自分でも思う。

「貴方、誰?」

 唐突に投げかけれらた声に、心臓を鷲掴みにされた気分になった悠は、恐る恐る振り返って、目を丸くした。そこには、明らかに苛立っている時雨が立っていた。

 何の躊躇も見せずにまっすぐ歩み寄ってくると、凛とした視線を奏に向けた。

「神山さん、この人は僕の知り合い。弁当を届けてくれただけだよ」

 一触即発。睨み合う二人をなだめようと、悠は無理矢理笑顔を作った。

 それでも二人の間に漂う空気は変わらない。

 何でこうなるのか意味がわからない。

 勘弁してくれよ。

 ため息をぐっと飲み込むと、奏をつまみ出すように追い出した。

 感情の読めない目でじっと見つめられると、居心地が悪い。奏は反論することもなくそのまま背を向け校門に向かって歩いて行った。

 ほっとするのもつかの間、残像と共に頬に当たる風を感じて、振り向けば時雨がその背中を追いかけていた。

 まったく、何がしたいんだよ。

 悠が伸ばした手が時雨の腕を掴む。

「あのさ、行動力があるのは嫌ってほどわかったから、どうしてそんなことをするか、もっと言葉を使ったら?」

 思わず厳しい口調になってしまったと後悔しても後の祭り。時雨は目を伏せてしまった。

 謝ろうと口を開いたときだった。

「貴方には、言えない」

 ごめんなさい、と小さな声が耳に届いたときには、時雨は悠の前から姿を消していた。


   ◇


「うち、ユウ君についてく!」

 五日ほど前から毎日のように吐かれる言葉に、悠は耳にタコができそうだと本気で思った。

 玄関で靴を履き、カバンまで用意した小梅をなだめるのに、連続五日はキツ過ぎた。

 軽い咳をしてから、小梅と目線を合わせるために屈んだ。風を引いたのか、最近よく咳が出る。

「小梅。昨日も一昨日もその前も言ったけど、別に遊びに行っているわけじゃ――」

「わかってるよ!」

 油断してたら噛み付きそうな勢いで小梅は言う。

「ユウ君、危機感がなさすぎる。そんなんじゃ、あっという間に食い物にされるよ!」

「食い物って。あのな、小梅。別に犯罪に巻き込まれることは――」

「ストーカーは立派な犯罪です! ……あの女、絶対にとっ捕まえて二度とユウ君の前に現れないようにしてやる」

 全身に鳥肌が立ったのは言うまでもない。

 小梅がこんなに怒っているのには理由がある。あの弁当の件以来、時雨が後をつけてくるようになったのだ。それはもう、家に帰る時でさえも。

「ゆっちゃん、オレもウメちゃんに賛成だな」

「だから、気安く名前で呼ばないでくれる?」

 玄関からいきなり登場した野良の顔を見て、ため息の代わりに咳が出た。早く治さないとなと思いつつ、小さな壁のように並ぶ、小梅と野良の髪をくしゃくしゃに撫でてやった。

「ちょ、やめてよ。髪の毛整えるの大変なの、ユウ君知ってるじゃん」

 必死で髪を整える小梅に対して、野良は気にする様子もなく、むしろ喜んでいるように見えた。

「あのな、小梅、野良。神山は確かにいろいろつけ回っているかもしれない。けど、もしかしたら何か事情があるかもしれないだろ? 一方的に嫌っちゃダメだ」

 正直、他人を嫌うのはあまり気持ちのいいものではない。

 空を仰げば、やはり今日も曇り空だった。

 おそらく、小梅や野良の目には、夏の青い空が広がっているのだろう。

「……まあ、心配してくれてるって思っとくよ」

 行ってきますの言葉を残して悠は学校に向かっていった。


   ◇


 小さくなる背中を玄関先で見送っていれば、ふいに野良の視線を感じた。

「何よ」

 睨めば、子犬が尻尾を落として落ち込むように視線を下げた。

 睨まれて落ち込んだわけではない。

「最近、ゆっちゃん咳き込むこと、多くなったよね」

 助けを求めるような野良の目を見てしまい、慌てて逸らした。

「……言われなくても、わかっているわよ」

 野良の視線を受け流しながら、小梅は玄関先に転がっていた石を蹴り飛ばす。

 思っていたより遠くへは、飛ばなかった。



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