二十.嘲るように笑う日常
良明があげる祝詞が心地よく響きわたる。
普段とは違い、低くそれでいて安心感を与える声は、瀧の轟音にもかき消されず、ほどよく混ざりあっていた。
正装し祝詞をあげる良明の前には、段のついた棚が置かれ、その中央には「黒龍の涙」が置かれていた。
毎朝、社では神饌を供え祝詞をあげるのだが、「黒龍の涙」を供えるときは、神体である「白龍の瀧」の前で行う。
それをいつもは良明が一人で行っていたのだが、どういう風の吹き回しか、悠たちにも来るよう言ってきた。
――瀧にこんなに人が集まるのは初めて見た。
悠は、自分の周囲にいる面々を眺めながら、そんなことを思った。
「いい空気だね」
左隣に立つ野良が、目を閉じて大きく深呼吸して言った。
「黙って」
右隣にいる小梅が批難の声をあげる。この二人、仲がいいのか悪いのか、悠にはイマイチわからない。
まあ、こういう関係もあるのかな、と最近では割り切っている。
神饌祝詞は長いものではない。自然と耳に入っていた声が止んだ。
「ユウ」
手招きをする良明を訝し気な目で見つつ、小走りで駆け寄れば、いきなり何かを持たされた。
落とさないよう慌てて持ち直し、手の中の物を見て、良明の方を向いた。良明に渡された物、それは「黒龍の涙」が入った水器だった。
どんぐりのような形状をした白い陶器。その中に少量ではあるが、確かに「黒龍の涙」はあった。一見水道水となんら変わりない水。だけど、これは、悠が必死になるほど、何よりも大事な水であった。
これをどうしろっていうんだ?
良明は口元に悪戯気な笑みを浮かべると言った。
「撒け」
「は?」
まさに、開いた口がふさがらないとはこのことだろう。良明には、毎回そうさせられている気がする。
「今回は、お前のおかげで『黒龍の涙』も用意できた。お前が閉めるべきだろう」
にかっと笑う良明は、少年のような無垢さが醸し出されていた。
ほいほいこんな大役、神職でもないただのガキにやらせて大丈夫なのかよ、と心配しつつも、悠は「黒龍の涙」を瀧壺に撒いた。
半円を描く水は、瀧の上げるしぶきとはまた違い、太陽の光に反射して光の粒そのもののように輝いて消えた。
「……綺麗だな」
ぽつりと野良が言う。野良の隣に立つ華菜多は、言葉無く頷いた。
ただ、水を撒いただけなのに、こんなにも印象深く残るのは、神が鎮座する場所だからなのか。それは、誰にもわからない。だが、「涙」を呑み込んだ白龍の瀧が、水神としての力を保ちつつ、この町を守り続けてくれればそれでいいと悠は思った。
◇
例の水が悠の手で撒かれた瞬間、一団から少し離れた場所にいた奏には、背筋が凍るような寒気を感じた。
曖昧な記憶と根拠のない直感。ふらつく足場で必死に立っているような世界で、さらに窮地に落とされた、そんな嫌な胸騒ぎがしたのだ。
ふっと息を吐いて空を仰ぐ。
空だけは、いつもと変わらないような気がした。
◇
「見つけた」
交差点の真ん中で一人だけ時間が止まったかのように立ち尽くしているのは、十代後半の少女だった。
交差点の真ん中で立ち止まる少女を睨みつけながら通る人々。だが、少女はそれすら気づかないほど、とある一点を凝視していた。
最愛の人でも見つけたと言わんばかりに、少女は頬を赤らめると、嬉しそうに笑った。




