第6話
翌日も変わりなく一日が始まった。学校に来ることにはまだ慣れないのか、和泉だけが教室でもビクビクとしていたけれど、それはやはり沙織相手にだけのようだ。
そういえば、あれがいったい何を言っているのか。それを和泉から聞いたことがなかったなと、はな子はふと、授業中にそんなことを思い出した。
気になった途端に聞かずにはいられなくて、昼休みのチャイムとともに席を立つ。そうしてものすごい勢いで近づいてきたはな子に、和泉は当然ながら怯えた様子を見せていた。
「あれ、何言ってんの?」
「……へ? あ、あれ……?」
「だから、橋本さんの、」
「え? あたしの話ー?」
恵梨香と二人で近くに立っていた沙織が、自身の名前を呼ばれて反応したようだ。くるりと気さくに振り返ると、足取り軽くはな子の元へとやってきた。それに耐えられなくなったのか、和泉が怯えたように立ち上がり、一目散にその場から逃げ出す。
「……また逃げられた……あたし、和泉くんになんかしよった?」
「ううん、しとらんよ」
「沙織が殴ったりとかしたんちゃう? すーぐ手ぇ出るけ」
恵梨香を含めて、いつものグループの女子生徒たちがわいわいと会話を続ける。
はな子から見ても、和泉の逃げ方は普通ではない。いったい何が聞こえるのかと、改めて沙織の後ろにいるそれを見つめてはみたが、やっぱり何を言っているのかは分からなかった。
「逃さない、許されないって、ずっとずっと言ってる」
和泉を捕まえて落ち着いて話せたのは、放課後のことだった。他のクラスメイトたちはすでに家に帰ったために、教室はがらんとしている。はな子は校長から許可を得ているために、いつまで残っていても怒られることはない。
「……それが怖いの?」
「こ、怖いよ……なんだろう、声音かな……すっごくがさがさしてて、高いような、低いような……とにかく、ぞくっとする声をしてるんだ」
そうは言われても、聞こえないはな子や恵梨香には共感のしようがない。二人はそれぞれ悩ましげな反応をしていたが、それに関して何かを言い出すことはなかった。
「……なあ、今思ったんやけど、和泉くんが沙織に怯えだしたんて最近やったやんね? それまでは何も聞こえんかったん?」
「……そういえば、そうだね。今までは聞こえてなかった」
「それっていつから?」
やや前のめりなはな子の問いかけにおされながらも、和泉は思い出すように上を向く。
「いつ……ひと月くらい前、だったのかな……本当に、気がつけば聞こえてて……」
「スキーの後くらいってこと?」
「あ、うん。それの後ではあった」
「……前にも『スキー』って言ってたよね。なに、どっか旅行でも行ったの?」
特別、おかしなことを聞いたわけではない。それなのになぜか和泉と恵梨香は動きを止めると、気まずそうな顔をして目を見合わせていた。
「……なに?」
「……ちょっと変やったん。なあ、和泉くん」
「うん……やっぱりおかしかったよね?」
言いにくそうな様子ではあったが、はな子は容赦無く「何があったの?」と口を挟んだ。するとふたたび目を合わせた二人は、すぐにはな子へと視線を戻す。
「創立記念日にな、全校生徒で一泊のスキー旅行をしたんよ。学年とか関係なく、みんなで一台の大型バスに乗って」
「ふーん。よくある話だね」
「校長先生だけは、挨拶があるとかで自分の車で先にスキー場に行っとった」
「……スキー場には無事着いたんだけどね、僕はすぐに体調悪くしちゃって……変な声ばかりが聞こえたから、気分が悪くなったんだ」
「そうなん。和泉くん、帰るまでずっと真っ青な顔やった」
それのどこがおかしな話なのか。二人はたびたび目を合わせながら、一つ一つを照らし合わせるように話を進める。
「一泊して帰る時も、和泉くんは真っ青やったん。やけ、和泉くんは校長先生の車に乗って帰ることになったんよ」
「その時に、ずっと気にかけてくれてた岡さんが付き添ってくれたんだ。だから、校長先生と僕と岡さんは、帰りはバスには乗らなかった」
「今のところ、おかしいことなんかないけど」
「おかしいのはここからやよ」
和泉も恵梨香も、その日の異変を口に出すのは今回が初めてなのか、お互いの顔色を見ながら慎重に話していた。こうだったよね、そうだよね、なんて、二人のアイコンタクトからそんなやりとりが聞こえてきそうなほどである。
「……校長先生は最後の挨拶回りがあって、うちらだけちょっと遅れてスキー場を出たん。その頃にはバスはもうスキー場にはおらんかった」
「それで?」
「僕たちは普通に、学校に帰ったんだけど……」
「……和泉くんがおかしいと思っとることって、うちとおんなじかな? バスとすれ違わんかったこと?」
「そう! 僕も思ってたんだよ!」
「すれ違わなかった?」
意見がぴったり合って自信になったのか、先ほどまでの気まずさはどこへやら、二人は勢いよくぶんぶんと首を大きく縦に振る。
「おかしいんだよ、だって僕たちは、バスの少し後にスキー場を出たんだ。……神無木さんもこの学校に来る時、あの山道を通ったから知ってると思うんだけどね、学校に来るまでには結構狭い一本道しかない」
「それやのに、うちらが乗った車と、みんなを学校で下ろしたはずのバスが、山道ですれ違わんかったん!」
ずっと胸に秘めていた違和感を吐き出せてすっきりとしたのか、二人はどこか晴れやかな顔をしていた。
――けれどたしかに、おかしな話だ。はな子も、和泉の言った山道を通ってきたからよく分かるが、学校に向かうには一本道のはずである。
「それにな、学校に戻った頃にはみんな、今帰ってきた感じやなくて、その……ずーっと学校におったみたいな感じで過ごしとったん」
「それ僕もちょっと思ってた。一泊のスキー旅行から帰ってきた感じじゃないなって」
「やよね! でも、だーれもなんも言わんかったけ、自分だけが言い出すんもなんかおかしいんかなって黙っとった」
それは和泉も同じだったのだろう。彼は恵梨香の言葉に同意を示すように、こくこくと浅く頷いている。
「橋本さんの後ろから声が聞こえ始めたのは、それからなの?」
「……よくよく思い出してみれば、それからだったかもしれない。……もしかして橋本さん、スキー場で変なものに取り憑かれたのかな?」
「そうかもしれないけど、それだけだと他の現象の説明がつかないね。……神隠し事件とか、目撃証言とかは? スキー旅行の後からだった?」
「……そう……やよね? いや、そうやん! 校長先生が髪切ったあとくらいから変なことばっかりになったんやもん! 校長先生、スキー旅行ん時は切っとらんかった!」
「あ! そうだね!」
ということは、創立記念日を利用してのスキー旅行で何かがあったのは間違いないだろう。
和泉と恵梨香の言葉を受けて、はな子はううんと考える。
スキー旅行帰りに二人が感じたという違和感と、それから起き始めたおかしな出来事。その頃から沙織のそばから変な声が聞こえ始めた、ということもあわせれば、この学校に妖怪やあやかしが増えたのも同時期なのかもしれない。
「……手詰まりだなあ。仕方ない、次の休みにスキー場に行ってみよう」
「え! どうやって⁉︎ 山おりんとバス出てないよ⁉︎」
「そ……それなら僕、お母さんに頼んでみようか。バス乗り場まで連れて行ってって」
「…………じゃあ、お願い、しようか」
ほんの少し間を置いたはな子が、不服そうに和泉に頼む。
はな子はあまり人にお願いごとをしない。はな子は自分と家族以外を信用していないし、自分がすべてをおこなったほうが早いということも、充分に理解しているからである。もしも何かを頼まなければならない場面になっても、だいたいは祖父である十蔵に声をかける。はな子が認めているのは十蔵だけだし、期待した結果が得られるのも十蔵のみであると思っているからだ。
そのため、同級生に頼るなんてことを知らないはな子はついつっけんどんな態度をとってしまった。大人びていても、はな子もまだ高校生である。素直になれないことも多いのだろう。
照れ隠しにつんと顔をそらしたけれど、和泉はそれよりもはな子に頼られたことのほうが嬉しいようで、まったく気にもしていなかった。




