第1話
座り心地の良いシートに深く腰掛けて、男は自身の手元を見下ろしていた。
移動中の車内。男の手には写真があり、三人の男女が写っている。
エンジン音の小さなその車内では、男が軽くため息を吐く音すら大きく聞こえた。
「いかがなされましたか、御伽様」
御伽と呼ばれた男は、それでも写真から目を離さなかった。
その視線は一直線に、写真に写る男女の一人――神奈木はな子へと向けられている。その瞳には感情はなく、ただじっとつまらなそうな色を宿していた。
「……神奈木も落ちたよね。こんな凡人と連んでさ」
御伽は少しばかりそれを見ていたが、すぐに写真を男に渡す。
「神奈木家のはな子様ですが、田舎の高校に出向いていたところ、役割を終えたため、手続きを終えた本日学校に戻られるようですよ」
「……ふぅん……興味ないね」
「写真に写っている二人も共に来られるそうです」
男の言葉に、ようやく御伽がその目を男に移した。
「……神奈木はな子が連れて来たのか?」
「少し前のニュースですが、こちらを」
スマートフォンを操作した男は何かのページを開いてすぐ、デバイスを御伽に渡す。
表示されていたのはニュース記事だった。田舎の学校での怪事件。その田舎は現在大混乱で、渦中の校長が事態の収拾に努めているらしい。御伽はそれを静かに読み、デバイスを男に返した。
「……また派手なことをしたのか」
「業界は騒がしいですよ。また神奈木がひとつ怪異事件を解決したと。業界の神奈木家への信頼はうなぎ上りです」
「だからなんだ。おれには関係がない」
「そうです。あなたには関係がありません」
ぐしゃりと、男が写真を握りつぶした。しかし御伽は咎めることなく、ゆったりとシートにもたれて寛いでいる。
「神頼家の長男である御伽様には、このようなことなど些事です。……あなたは誰のことも気にせず、これまで通りの生活を続けてください」
*
「こ、こここ、ここが東京の学校……!?」
田舎出身の恵梨香は、視覚から得る大量の情報に戸惑いながらも、その綺麗な校舎を見上げていた。
綺麗な校舎。たくさんの生徒。化粧をしているキラキラの女の子。スカートの丈も短く、恵梨香は何度も瞬きを繰り返す。
「す、すごい……なあ神奈木さん、ほんまに大丈夫なん? うちら一緒の学校に転入させてもらえたけど……」
「大丈夫大丈夫。裏口ってやつ。ほら、うちって意外と結構大きな家だから」
「う、裏口……ここ進学校だよ……? 僕たちついていけるのかな……」
和泉はやはり、はな子の後ろに隠れるように小さくなっていた。
「ていうか和泉くん、声聞こえんのん? 大丈夫なん?」
「う、うん、大丈夫……神奈木さんがそばに居てくれるから……」
「朗報だけど、多分岡さんと居ても声は聞こえなくなったと思うよ」
「え、うち? なんで? 狐さんおらんなったよね?」
恵梨香はキョトンとしていた。しかしはな子はそちらを見ておらず、恵梨香の足元を一瞥する。
女の子が一人。静かに恵梨香のスカートの裾を掴んでいる。
「神奈木さん?」
「あんたたち、私と同じクラスだからね。ほら行くよ」
はな子が歩き始めると、和泉と恵梨香も慌てて続いた。
「神奈木さんって、学校では普通の生活してるん?」
「普通のって何?」
「ほら、田舎に来たんは依頼があったからやろ? 普段の学校生活ではなかったわけやんか。やけ、普段はどうやって生活してるんかなって」
和泉も気になるのか、窺うように上目にはな子を見ている。
「あのねえ、怪異事件なんてそうそう起きるものじゃないの。この間のだって、岡さんに憑いてた神様のせいでしょ。普通はそんなこと起きないから」
「え〜、そうなん? つまらんや〜ん」
昇降口にやって来た三人は、早速靴を履き替える。はな子の言った通り、靴箱にはすでに和泉と恵梨香の名前があった。
「つまらないって……神社に帰ったらじいちゃんの手伝いだからね? 和泉は家族がこっちに引っ越してくるまでだけど、岡さんはずっとだよ」
「ええよ、うちはめっちゃ楽しみ!」
「岡さん、僕たちは職員室に行かないと」
和泉の呼びかけに、恵梨香は「そうやった!」と言ってはな子に手を振った。二人は転校生であるために、一度職員室に行く必要がある。それでも靴箱を知っていたのは、それこそはな子曰くの「裏口」あればこそである。
騒がしい二人が離れ、はな子は教室に向かった。
はな子は遠巻きに見られていた。騒がしい廊下もはな子が来れば静まり返り、みな目を逸らす。
そんな中、
「神奈木はな子、久しぶりだね」
涼やかな声がはな子を呼び止めた。
はな子は足を止め、ゆるりと振り返る。立っていたのは、はな子とは違うクラスの同級生の男である。
黒い髪は短く、丸い頭を綺麗に見せている。目元はやや垂れており、微笑んでいるからか柔らかな雰囲気と優しい印象を与えていた。
「……神頼御伽。久しぶりかな? あまり関わらないから覚えてないけど」
一瞬、御伽の眉が揺れる。しかし微笑みは崩れることなく、一歩、はな子に近づいた。
「ニュース見たよ。さすがは神奈木家だね。おれたちみたいな偽物一家には恐れ入る功績だ」
周囲から人が失せた。通学時間の校舎内であるというのに、教室付近の廊下にははな子と御伽以外には誰も居ない。
はな子との距離が一メートルになったところで、御伽はようやく立ち止まる。
「……何か用?」
「いや? 凡人と連むようになったんだなって。どうしたの? 高尚な人間でも、孤独に耐えられなくなったのかな?」
「……残念ながら、私は高尚な人間なんかじゃない」
興味もなさそうに、はな子は目を逸らす。しかしその視界の片隅には、黒い何かが取り残されていた。
「はは! それこそ嫌味だろ」
不快を滲ませた笑い声。それでもはな子はそちらを見ることなく、どこか退屈そうに窓の外に目を向けている。
「おれたちにとっては最高の嫌味だね。まあ、せいぜい牙を剥かれないことだけ願っていなよ。そうやってきちんと目をそらしてね」
ぽんと、男がはな子の肩に手をおいた。それは、はな子の隣を通り過ぎる際の、ささやかなアクションだった。けれどもはな子の目は窓の向こう。まったく御伽を視界に入れない。
すると、肩に置かれた手に、微かに力が宿る。
「窓の反射にも気をつけなよ。……反射でもなんでも、それと目があったら終わりだ」
直後、唐突に肩が軽くなった。御伽が手を離したからだ。
御伽が静かにその場を離れる。それでもやはり、はな子は御伽の背を見ることすらなかった。
HRでは、早速和泉と恵梨香の紹介がされた。席は三人とも離れたが、やはりはな子の宣言通りである。
恵梨香はすぐに周囲の生徒と打ち解けていたが、和泉は終始体に力が入っているようだった。
そんな日の、休み時間。授業合間の十分程度の休憩である。和泉と恵梨香はすぐにはな子の席にやって来た。
「なあなあ、やっぱり東京の人はみんなええ人やなぁ。お隣の佐藤さんとかな、うちのこのヘアピン可愛いって!」
「す、すごいなぁ岡さん、コミュ強すぎる……見習いたいよ」
和泉はお腹を押さえながら、落ち込んだように目を伏せる。恵梨香にはなぜそんな反応をするのかが分からないようだった。
「教科書とか前の学校のんでええんかな? 教科書って学校共通?」
「当たり前でしょ。学校ごとに変わってたら教育水準変わって大変じゃない」
「確かに! 神奈木さんってやっぱ頭ええなぁ」
念のため教科書は持って来ていたが、やはり不安にはなったらしい。恵梨香は照れたように首を傾げるが、はな子は呆れたように肩を竦めた。
ふと、和泉が廊下に目を向ける。その先には何もない。和泉は見えるわけではないために、何かを感じとってのだろう。
「……和泉? どうかした?」
はな子の声を聞いて、和泉はすぐに振り向いた。
「この学校、少し変じゃない?」
「変? なにが?」
恵梨香も興味ありげに顔を寄せる。
「……どこかから、声が聞こえるんだ。でもどこか分からなくて。すごく小さな声だから何を言ってるかは分からないんだけど……」
先ほどまで和泉が見ていた視線を追って、はな子はそちらを一瞥する。
「それの何が変なん? 声が聞こえるんなんかいっつもそうやん」
「そうなんだけど、この声はなんかこれまでのものと違う気がするんだ。神様が濁っていたカミシロサマとも違う……難しいんだけど、関わりたくない声だなって」
「和泉、岡さん」
呼ばれて、二人ははな子に目を向けた。
「ひとつ、約束してほしいことがある」
「なに?」
はな子が改めてそんなことを言うなど珍しく、和泉も恵梨香も戸惑っているようだ。二人は互いに目を見合わせたが、すぐにはな子に視線を戻した。
「神頼御伽って生徒には近づかないこと」
はな子がそう言うと同時に、チャイムが鳴った。そのためどうしてそんなことを言うのか聞けなかった二人は、やはり腑に落ちない顔をして席に戻っていった。




