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カンナギ  作者: 長野智
第2章

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第13話



「和泉?」


 はな子はすぐに気がついて、緩やかに振り返る。

 和泉はどこか不思議な顔をしていた。訝しげに眉を寄せて、何かに反応して白を見渡している。


「……聞こえる」


「なに?」


「聞こえるんだよ! こっちだよって言ってる!」


 和泉がはな子の手をひっつかんだ。そうして声の聞こえるほうへと早足に進む。


「待ちなよ! あんたさっき取り込まれそうになったんだよ! その声も罠って可能性もある!」


「確かに知らない声だけど、絶対こっちだよ!」


「なんで分かるの! って、ちょっと離してよ、本当に時間がないの!」


 早くしなければ、恵梨香が本当に神様に食われてしまう。食われてしまえば終わりだ。二度と戻ってはこない。それなのに和泉は尚も突き進んで、はな子の言葉をまったく聞き入れない。


「和泉!」


 何度目かにはな子が叫んだ時だった。

 和泉が突然動きを止めた。


「僕だって急いでる! 絶対に岡さんを助けたい! いい加減に物を言ってるわけじゃないんだ。この声は確かに怪しいのかもしれないけど、なぜか大丈夫だって思える」


 和泉には珍しく、強い言い方だった。

 それにははな子も驚いて、口を挟むこともできない。


「僕を信じてほしい」


 しっかりと目を見て言われたからか、その言葉はやけにはな子の頭に響いた。


 はたして、和泉はこんなことを言う男だっただろうか。はな子の記憶にある和泉はいつもおどおどとしていて、どこか自信がなさげだったはずだ。

 この状況もあるのだろう。焦っているのが、和泉の目からありありと伝わる。

 だけど、だからこそ言葉の重みが伝わる。


「……分かった」


 なんとなく、断ってはいけないような気がした。和泉はこんな状況で冗談を言えるほどいい加減な男ではない。自然とそう思えたから、はな子は抵抗することをやめた。

 和泉の歩みに迷いはない。はな子を掴んだまま、振り返ることもなくひたすらどこかに突き進んでいた。


「……お、女の子だ」


 やがて小さく言ったのは、和泉だった。

 視線の先に、少女が立っている。少女の前には真っ赤な鳥居があった。


「……誰?」


「私が知るわけない」


 二人はやや警戒しながらも、少女へと歩み寄る。少女は鳥居の奥を見ていた。しかし二人の気配に気付いたのか、少女は突然くるりと振り向いた。


『こっち』


「……きみが、呼んでくれてたの?」


 和泉の問いかけに、少女が嬉しそうに頷く。

 鳥居の奥には、洞窟らしき闇が広がっていた。内側は石造りだ。奥は見えなくて、二人は鳥居の前で立ち止まる。


『私の、お友達でもあるの。お父さんに、食べられちゃった』


 和泉には、少女がなにを言っているのかが分からなかった。はな子は一瞬目を細めて、考えるように少女を見下ろす。

 漂う雰囲気はどこか異様だった。すごく澄んでいるようにも思えるし、ひどく禍々しいようにも思える。


『助けて』


 少女の言葉に、どちらともなく踏み出した。

 はな子が先導するように前に出ると、和泉は大人しく後ろについた。それまでの強気はどこに行ったのかとも思えるほどには怯えているようだ。


「離れないように」


「もちろん」


 自然と二人の手が繋がる。これで離れることはないだろうと、互いに捕まえておくためである。

 ごくりと喉を鳴らしたのは、いったいどちらだったのか。


 二人は同時に踏み出した。


 中は真っ暗闇だ。音もしない。足裏にはごろごろとした石の感触はあるけれど、五感の中で正常に感じ取れるのはその感触くらいのものである。


 繋いだ手は震えていた。どちらが震えているのかは分からなかった。


「……光だ」


 かすれる声で、本当に小さく和泉がつぶやく。

 少し先に、ぼんやりとした光が見える。いや、光というのかも分からない。蝋燭の灯火なのか、ゆらゆらと不規則に揺れている。


 はな子はさらに慎重に歩みを進めた。ここで何かを間違えれば、自分だけではなく和泉さえ戻れなくなるだろう。それが分かっていたから、すべての意識を集中していた。


 蝋燭の揺れる灯が増えていく。最奥に到達したのだと気付いたのは、そこが一際明るくなっていたからだ。


 そこには、一人の女が座っていた。蛍のような光の粒が複数浮遊しているその空間で、女は穏やかに笑っている。


「あなたは……」


 つぶやいたのははな子だった。

 はな子は彼女を知っている。それは少し前、彼女が無残に殺されて、神様の生贄になる光景を見たからである。

 女は着物を身につけていた。やはり薄っぺらく、汚れたままだった。足は擦り切れて痛々しいけれど、靴は履いてはいなかった。


「……ここは、どこですか」


 はな子は緊張したように、固い声音で問いかけた。

 彼女はすでに死んでいる。それも、百年とは言わないほどには大昔にその命が奪われたはずである。それでもこうして当時のままの姿で居るのは、命を落としたからこそなのか。


 はな子も死者と話すのは初めてだったために、心臓がやけに大きく跳ねていた。


「ここは、あのお方の宝箱の中。奥の奥に隠している、とっても柔らかいところ」


 女はそう言って、近くにあった光の粒をはな子に差し出す。


「これが、あなたのお友達です」


 差し出されたそれを、はな子はつい受け取った。


「……つ、連れて行っていいんですか」


「もちろん。みんな、連れて行ってくださいな」


 楽しそうに女が笑う。一粒一粒はな子に導くと、女は一人取り残された。


「……あなたは、行きませんか」


「ええ。私は、ここに」


「どうして?」


 当然とも言えるはな子の問いかけに、女は優しく首を傾げて、光の粒を指さした。


「通常、食われた魂は、そのようになります」


 とある一粒が恵梨香と言われたことを思えば、その発言に違和感もない。はな子は素直に一つ頷く。


「けれど私は、そうはなりませんでした」


 ぎゅう、と和泉が強く手を握り締めた。繋がれたそこはやっぱり震えている。はな子が連れて行かれないようにと、和泉も必死なのだろう。


「私は、この姿でここに座っていられることが、すごく嬉しいのです」


「……神様は、怒らない?」


「ええ。私が、この姿を失ってでも、引き止めてみせましょう」


 神様と女の間になにがあったのかは分からない。もしかしたら神様は時折ここに訪れて、今でも女と会話をしているのかもしれない。二人のやりとりを知っているはな子には、女が言う「引き止める」という言葉の強さが伝わった。


 はな子が女に背を向けようとした時、「約束を」と小さな言葉が追いかけた。


「ここを出るまで、なにがあっても、振り返らないでくださいね」


 女は最後までにこやかに微笑んでいて、それが逆に恐ろしかった。


 光の粒に包まれながら、二人は来た道を戻る。

 やはり音はない。足裏はごろごろとしていて、異様な雰囲気に包まれている。静寂の音が聞こえてきそうな中、和泉がごくりと喉を鳴らした。


 手には汗をかいていた。もはやどちらのものかは分からない。震えも、息遣いも、緊張が最高潮に達している今、同じほどに混ざり合っていた。


「神奈木さん! 待ってや、早いってー!」


 突然、静寂を裂くように元気な声が響いた。二人は思わず肩を震わせる。和泉は反射的に振り返りかけた。


「和泉! 振り返ったらだめ!」


 しかしはな子の言葉で動きを止める。和泉は小刻みに頷くと、ぎゅっと目を閉じて前に向いた。


「なんやの! うちが役立たずって言いたいん! 役立たずやけ置いていくん⁉︎」


「千歳!」


 今度は和泉の母の声がした。

 和泉はただ目を閉じて、はな子の気配と手の感触だけを頼りに心を保つ。


「和泉、走るよ!」


 すると突然、はな子が和泉の手を引っ張った。

 和泉が目を開く。真っ暗だ。だけどはな子の背中は見えて、とにかくそれに遅れないようにと足を動かす。


「待ってや!」


「千歳、はな子ちゃん! お友達が泣いてるわよ!」


 二人は一心不乱に洞窟を駆け抜けた。いまだかつてない全力疾走である。決して後ろを見ないまま突っ走り、そうしてようやく光が見える。


「神奈木はな子」


 美しい声が聞こえると同時、はな子の足が突然止まる。少し先で気付いた和泉も動きを止めたけれど、振り返ることができないために「どうしたの?」と震える声しか出せないようだ。


 緊張感が高まっているのは、この洞窟にいるからだろうか。

 和泉には背後の様子が何一つ分からなくて、ただそこではな子を待つことしかできない。


「どこに逃げる。わたしたちに、逃げ場などないのに」


 男なのか女なのかも分からない。だけどそれはどこかゾッとする音で、和泉の指先は微かに震える。


「……神奈木さん?」


 反応はない。足音も聞こえない。本当にそこにはな子が居るのかも不安になるほどの暗闇の中、和泉は勇気を振り絞って呼びかける。


「神奈木さんっ……!」


「和泉! 行くよ!」


 和泉の震える指先を、はな子の手が乱暴に掴んだ。そのまま引っ張られてしまえば和泉の動かなかった足も自然と踏み出す。もつれそうになるのも堪えて、和泉は必死にはな子に続いた。


 声はもうしなかった。けれど何かが笑っているような気配がして、和泉の恐怖心は先ほどよりも煽られていた。


 暗闇にぽつんと見えていた光が近づく。

 出口が見えてきた。そう思うとさらに加速して、二人は一気に光に飛び込んだ。


 その、直後だった。

 洞窟から出た矢先、大量の水に叩きつけられた。



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