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カンナギ  作者: 長野智
第2章

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第10話





「えっ……わああああああ!」


 まるで投げ捨てられたかのようだった。

 手は恵梨香を引っ張って、そのままどこかに消えていた。

 恵梨香が放り出されたのは、とある山の上空である。


「無理やってええええ!」


 重力に逆らうことなく、恵梨香はぐんぐん落下していく。もちろん命綱もパラシュートもない。このままでは地面に叩きつけられるどころか、木の枝に串刺しにされて終わるだろう。

 とうとう山の詳細が見えてくる頃には、恵梨香はすでに号泣だった。いっそ意識がなくなればまだ楽に死ねるのに、こんなときばかりはっきりとしている。


「死にたくないいいー!」


 恵梨香が叫ぶのと同時だった。

 恵梨香の体を、先ほど恵梨香を引っ張ったあの美しい手が包み込んだ。恵梨香がすっぽり入ってしまうくらいには大きな手だ。

 落下速度が緩和する。そこからゆっくり、ゆっくりと手が降下すると、恵梨香はとうとう無事に山に降り立つ。

 そこは、とある小さな滝のほとりだった。


「……何? ここ……」


「岡さん!」


 ガサガサと草が揺れたかと思えば、そこからはな子が飛び出した。


「神奈木さん! なんでここにおるん⁉︎」


「なんでって……」


「てか何ここ⁉︎ うちさっきすっごい上から落ちてきてたんやけどな、神様がうちの魂食べるんやって言いよったけ、それを待っとったはずなん」


 離れたところから「待ってよ〜」と弱った声がした。どうやらはな子の動きに追いつけず、和泉が頑張っているらしい。


「……あ、神奈木さ、」


 ようやく追いついた、と和泉が安堵する間も無く……はな子が大きく息を吸い込んだ。


「このバカ女!」


 それにはまったく関係のない和泉も震えて、直接言われた恵梨香はもっと体を強張らせるほどだった。


 沈黙が落ちる。誰も動かない。


「神様と約束をすることがどういうことか、前の一件で分かったんじゃなかったの⁉︎ 軽々しく太郎を助けるために神様と交渉するとかバカとしか思えない!」


「なっ……やって、あんときはそうしやんと! 太郎くんがどうなっとったか!」


「そんなの岡さんが病室出ただけでどうにでもなってたからね! 偽善者ぶって太郎を助けようとしたのかもしれないけど、本当無駄なことだから!」


「ちょ、神奈木さん、そんな言い方しなくても……」


 ようやく追いついた和泉が、膝に手をついて必死に呼吸を整える。


「この子はこれくらい言わないと分からないの! 泣かせるくらいじゃないと、どうせまた同じこと繰り返すんだから!」


「っ……! そんな言い方せんでええやん! そんなんやから神奈木さんには友達おらんのんやろ!」


「はあ⁉︎ 論点がまったく違う! 私は今岡さんがどれほど軽率かって話をしてるんだけど!」


「だから! 落ち着いてってば!」


 和泉が二人の間に立つのと、それが上空に現れるのは同時だった。




 人型になった光が、水の上でふわりと浮いている。力が強い神様なために、はな子にさえもそれはただの「光」にしか見えなかった。もちろん和泉と恵梨香にも同じである。恵梨香にも見えているのは、神様が恵梨香の魂を食らう上で何らかの作用を施しているのかもしれない。




『それを寄越せ、神ノの。その娘と我は交渉を済ませた』


 はな子はとっさに、恵梨香を背に隠す。人型の光は、少し黙り込んだ。


『…………ほう。ほうほう。面白い。干渉してくるに飽き足らず、それを寄越さぬとは』


「干渉した……? そういえば神奈木さん、移動しながらそこかしこにお札貼って回ってたけど、何だったの?」


「今和泉が言ったとおり『干渉』をしたんだよ。神様の空間には到底アクセスできない。だけど、その場に私の結界を作れば話は変わる。このあたりの空間だけ私のものにした。人間の世界はそもそも人間のものだからね。人間の世界で、私みたいに力が強い者が張った結界の中では、神様も好き勝手できない」


「あ! うち、さっきすっごい綺麗な手ぇに引っ張られたん! あれって神奈木さんの……?」


 だけどあの手は、人のものとは思えないほどには美しかった。


 恵梨香は半信半疑で聞いたのだけど、はな子からは「さあね」という言葉とともに、ニヤリと意味深な表情が返ってきた。


 いよいよ神奈木はな子という存在が分からない。


「と、ところで神奈木さん……あの光……いや、神様の声って聞こえてるの?」


 和泉の素朴な疑問に、はな子だけでなく恵梨香も振り向いた。二人ともキョトンとして、少しだけ幼い印象を与える。


「聞こえてないけど?」


「うちも。……さっきまでは聞こえとったんやけど……今はあの光しか見えん」


「私もそんな感じ。……たぶん岡さんがこれまで聞こえてたのは神様の空間に居たからだとは思うんだけど、」


「そんな場合じゃないよ! あの神様怒ってるよ! 岡さんを寄越せって言ってる! ていうかさっき岡さんを庇ったのは何だったの⁉︎」


「とりあえず後ろに下げとかないと、頭から食べられるんじゃないかって思って」


 和泉の肩ががくりと下がる。緊張感を持っているのが何だか馬鹿馬鹿しく思えてくる雰囲気だ。いつでもどうにでも出来るからかはな子は余裕があるし、恵梨香も相変わらずの独特なペースである。真面目な和泉だけが、何だか無駄にいきり立っているようだった。


『娘よ、禊を済ませろ』


 光が恵梨香に語りかけると、恵梨香の頭が大きく揺れる。


 一番近くにいたはな子はすぐに異変に気がついた。そうして歩み出そうとする恵梨香の腕を強く掴むと、不思議な文字が記された護符を恵梨香の額に貼り付ける。


「わ!」


 すると突然、恵梨香の目が見開いた。


「びっくりした! なんしたん⁉︎ いきなりはっきりしたけ、驚いたんやけど!」


『邪魔をするな』


 ゴロゴロと地が唸り、大きく揺れた。それは山全体が揺れているようで、カラスが一斉に飛び立つ。


 空には分厚い雲が広がる。神様の機嫌はすこぶる悪いようだが、はな子には焦る様子はなかった。


「諦めなよ。ここが人の世である限り、絶対に私には敵わない」


『戯言を』


「神奈木さん! すごい怒ってる! 怒ったこと言ってる!」


「分かってるって!」


 はな子はお札を取り出すと、ためらうことなく水に飛び込む。


「神奈木さん⁉︎」


 叫んだのは和泉なのか、恵梨香なのか。はな子は振り返ることもしないまま、ザブザブと滝のほうへと水の中を突き進む。


 もちろん神様が大人しく見ているはずがない。はな子の前に降り立つと、はな子の体を軽く弾き飛ばした。


「っぅ、!」


 水から飛ばされたはな子は、二人の元へと戻ってきた。地面を滑り、木の元でうずくまる。


 はな子は結界を張っていた。そのため神様があまり動けないだろうと油断していたのがいけなかったのだろう。まんまと軽い力で抵抗された。


「神奈木さん、大丈夫⁉︎」


 二人が慌ててはな子に駆け寄る。二人がはな子に追いつくと同時、すぐそばに光が降りて、ずいっとはな子を覗き込んだ。


『貴様も食らってやろうか』


 光が膨れ上がる。それにはな子が身構えると、三人は光に包まれた。


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