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カンナギ  作者: 長野智
第1章

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第2話

 和泉の家に行くまでの道中で知ったのは、和泉は恵梨香たちのようにこの山で生まれたわけではなく、高校への入学を機に都会から引っ越してきたということや、和泉はこれまで「見える」と言ったことは一度もないらしく、いつも「聞こえる」としか言わないということだった。


 恵梨香もそれは不思議だったようで、他のみんなが「見えるらしいよ」と言っていたからそうなのかなと思っていただけで、本人はそんなことを言ったことがなかったらしい。


 もしもそれが本当なら、はな子にはますます好都合かもしれない。今回和泉の家に行く決断をした自分を、褒めてやりたくて仕方がなかった。




「すみませーん! 岡です!」


 すりガラスがはめ込まれた木製の引き戸は、恵梨香が軽く叩いただけでも思った以上に大きな音を立てた。


 都会にいたはな子にはまったく馴染みのない建物である。もう今すぐにでも崩れるのではないかと、そんなことを思ってしまうくらいには古びて見えた。


「あら、また来てくれたの。ありがとうね、恵梨香ちゃん」


 ガラガラと砂を噛んだ大きな音を立てながら、引き戸が開く。顔を出したのは、和泉の母だった。


 室内もやっぱり古びていると感じたはな子は、床が抜けないようにと出来るだけそっと歩いた。はな子の家も都会の中ではわりと田舎にあるものの、こんなにも危なそうに思える家を見たことはなかった。


「今日は新しいお友達がいるのね」


 二人にお茶を出した和泉の母が、ようやくはな子の存在に触れる。クラスメイトが少ないからこそ、全員の把握はできているのだろう。


「この子は、今日転校してきたばっかりの神奈木はな子さん。神無木さんは東京からきてて、都会っ子なん」


「へえ、そうなの! それじゃあここは不便でしょう」


「まあそうですね。コンビニもないし、バスも頻繁に来ないし。虫が多いし。クラスメイトはやたらと喋るし」


「うちらみーんな神奈木さんのこと知りたいんやもん」


「うるさいだけじゃない」


 悪びれもなく、はな子はまっすぐに本音をぶつけた。だってはな子はこの大人に気に入られたいわけでも、お友達ごっこがしたいわけでもない。今はとにかく、和泉と話がしたい一心である。


 和泉の母はそんなはな子を見ても、嫌な顔をしなかった。大人の余裕とでもいうのか、穏やかに微笑むばかりである。


「素直な子ね、おばさん、そういう子って嫌いじゃないわ。……ところで恵梨香ちゃん。千歳のことで来てくれたのよね?」


 千歳、とは和泉のことだろう。話題が変わったことに気づいたはな子は、すぐにその目を和泉の母へと向けた。


「息子さんとお話したいんですが」


「まあ、あなたが?」


「そう! あんね、おばさん。神奈木さんは幽霊とか見えるんやって。やけん連れてきたんよ。ほら、和泉くんもそれで悩んどるし、どうにか解決出来んかなって……」


 恵梨香の言葉は、言葉尻を揺らして消える。直後、リビングの外からギシッと床の軋む音が聞こえた。


 リビングにいた三人が同時に振り返った。そこには、和泉が怯えたように立っていた。


「和泉くん!」


 恵梨香が立ち上がる。しかし和泉の目は、はな子から離れない。


「今の、本当?」


 まるで初めて人間を見た小動物のように、和泉はリビングの扉からひっそりと三人を覗いていた。真っ黒な目は少し上目に、まだまだ幼い印象を与える。けれどそこには確実に、救いを求めるような色が浮かんでいた。


「本当だよ。私には、みんなが見えないものが見えるの。……和泉には何が見える?」


 じっくりと間をおいた和泉は、はな子の言葉にゆるく首を振る。


「僕は、見えない。聞こえるだけだよ」


 恵梨香も、和泉の母も、二人のやりとりを黙って見守っていた。


 和泉はずっと部屋から出てこなかった。恵梨香が何度訪れても引きこもったままで、帰って、と繰り返すばかりだった。そうしていつも「岡さんの近くにいるヤツも怖いんだ」と、ますます怯えて終わっていた。


 だけど今回は新しいアクションがあった。黙って見守っていたというよりも、二人には何も言えなかった、というのが正しいのかもしれない。


「じゃあ、この子の隣にいる狐は? 何を言ってるか聞こえる?」


 和泉の目が少しばかり見開く。だって彼は一言も、恵梨香の近くにいるそれが怖いと口に出していない。それなのにはな子はそこに「狐」が居るのだと断言した。


 つまり、はな子が見えると言ったのは、和泉を引っ張り出すための嘘ではないということだ。


「ほら、あんた何かしゃべってよ。ゴロゴロしてないでさ」


 恵梨香の隣には、普通より大きな狐が横になっていた。


 その狐は、はな子の言葉で気怠げに目を開く。そうしてちらりとはな子を見上げると、やれやれ、とでも言いたげに呆れた様子でそっぽを向いた。


「ちょっと」


「あ、神奈木、さん? えっと、その狐? が……」


「なんて?」


「本当に小生意気な娘だ、って」


「はあ? あんた、今すぐにでも封じてやろうか」


 狐の煽るような言葉に、はな子はとうとう立ち上がった。


 しかし和泉はそんなはな子を見て、ふと違和感に気付く。それは恵梨香も和泉の母も気にしなかったけれど、抱くには当たり前の「違和感」だった。


「……神奈木さんには、聞こえないの?」


 だって、見えているはずなのに。その言葉は続かなかったものの、はな子にはその困惑がしっかりと伝わったようだ。はな子はくるりと振り返り、不遜な態度を崩さないままで、ふたたびゆるりとソファに座った。


「私の話をしよう。ここに来た理由も説明するから、こっちにきてくれない?」


 そこでようやく、和泉は躊躇いながらもリビングに踏み入れた。




 ――はな子の家は、古くからある大きな神社である。


 知る人ぞ知る、というのか、界隈ではとても有名な神社で、なぜ有名かというと、単純に神主の「力」が強いからだった。


 力、とはそのまま、霊力のことである。


 現在の神主ははな子の祖父がつとめている。そしてはな子は「先祖返り」とも言われるほどに力が強く、今は神社を継ぐべく祖父の仕事の手伝いをしている。


 しかし、すべてが円満というわけではない。


 はな子はたしかに「祓う」力には長けていた。それこそ祖父の十蔵と同じほどで、まだ高校生という年齢でその力の強さは十蔵も目をみはるものがあった。


 しかし、はな子はなんと、霊やあやかしの姿が「見える」だけで、その言葉が聞こえなかった。


 そのため、たとえば取り憑いていても悪気はなかったとか、たとえば守る意味でおこなったことが裏目に出て怯えさせてしまっただけだとか、そういった事情を一切無視して一方的に祓ったり封印したりするものだから、はな子は霊やあやかしからは特別嫌われる存在だった。


 不運はそれだけではない。


 はな子には「太郎」という弟がいる。太郎ははな子のような力を持たなかった、ごくごく普通の少年である。今は高校一年生で、体は丈夫ではなく入退院を繰り返し、ほとんどを病院で過ごしている状態だ。


 それもこれも、霊やあやかしから恨みばかりを買うはな子のしわ寄せが、すべてそちらに向かっているからだった。


 太郎は取り憑くには最適な存在だったのだろう。どれほど祓ってもキリがなく、はな子に取り憑いて報復できないならと、太郎ばかりが狙われた。


 そんな状態に、十蔵もとうとう口を出した。


 いいかげん、弟のことを考えて行動をしなさい。とはいえどうすれば良いのかは十蔵にも分からないのか、十蔵はひとまず「耳を探せ」とだけはな子に言った。




「じいちゃんが神社を離れられないから、私が代わりに依頼をこなしにきたの。太郎のほうは今はじいちゃんが守ってくれてるけど、相手は神様とかだからできることに限りがあるし、太郎も限界が近い。今のままじゃいけないとは私も思っていたから、ちょうど『耳』が欲しかった」


 説明を終えたはな子が、じっと和泉を見る。


 けれど緊張しいの和泉は眉を下げて、勢いよく首を横に振りだした。


「む、無理だよ! 僕にそんな大役がつとまるわけがない! だって僕は、何も自慢できることがないし……自信もないし……もしかしたら聞こえるのだって、ただの僕の妄想かもしれないし……」


「うるさい。私が大丈夫って言ったら大丈夫なの。あんたはすごい、胸を張ればいい」


「……すごい?」


 和泉はビクビクとした様子を隠しもせず、疑うような目ではな子を見る。


「和泉は、私のことがすごいと思う?」


「お、思うよ! だって、同じ歳なのに全然違う。神奈木さんは自信に溢れてて、お祓いもしてて、すごい力も持ってる。すごいよ。尊敬する」


「だけど和泉は、そんな『すごい私』にできないことが、できるんだよ」


 はな子にはできないこと。それは、和泉にはこれまで厄介でしかなかった、憎むべき体質のことである。


「……で、でも僕は……」


「とにかくすごい! ほら、岡さんを見て! 何もできないのにニコニコ笑って暮らしてるだけじゃない! 役に立ってるのかも分かんない岡さんだって幸せに暮らしてんだから、役に立てる和泉はもっともっと胸を張るべきだよ!」


「え! 待ってよ、うちを引き合いに出さんといて〜! 恥ずかしいやん!」


「……今の、照れるところじゃないんだけどね」


 本当に、恵梨香のテンポはどこかがおかしい。それにはな子がうんざりとした顔を向けていると、見ていた和泉がようやく微かに口元を緩めた。


 和泉は今まで、すごい、なんて言われたことがなかった。自分のことが大嫌いだったし、こんな体質もどれほど憎んできただろう。


 ――たった一人で良かったのだ。誰か一人でも和泉を肯定してくれたなら、心が救われていたはずだった。その一人がようやく現れて、ずっと張り詰めていた糸が途端に解ける。


 肩から力が抜けた。変にドキドキとしているけれど、悪くない動悸だった。


「あ、ありがとう、神奈木さん。……僕……頑張ろうかな……」


「そうしよう。それに、私に協力すると、あんたにとっていいことがある」


「……いいこと?」


 和泉には思い当たることがなかったのか、すぐに恵梨香に問いかけるようにそちらを見る。けれど当然、恵梨香にも分からなかったらしい。


 二人してキョトンとして、はな子の言葉を大人しく待っていた。


「私は『気』が強くてね、私がいるところには悪いものは寄ってこられない」


 それって……と、和泉の口が小さく動く。はな子はそれには得意げな顔で、一つ大きくうなずいた。


「つまり、和泉が今まで悩んできた『悪いものの声』が聞こえなくなるってことだよ」



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