第6話
「何騒いでるの?」
はな子は躊躇いもなく、リビングに続く戸を開いた。和泉が慌てて後ろについて行く。
入ってきたはな子が真っ先に見たのは、元気な姿で立っている、パジャマ姿の太郎だった。
「太郎⁉︎ 何してるの⁉︎」
つい大きな声が出た。しかし太郎は驚きもなく、一目散にはな子の元にやってきた。
「姉さん! 大変なんだよ! 岡さんが消えたんだ!」
はな子の肩をひっ掴んで、必死な顔をして叫ぶ。冗談を言っているようには思えない。太郎の後ろに居たのはより子と十蔵で、はな子が帰ってきたのを見て肩の力を抜いていた。
「太郎よ、落ち着かんか。事情を説明しろと言っているだろう」
「だっておじいちゃん、そんな時間がないんだよ! 変な光が現れて、岡さんを消しちゃったんだ!」
「待って、太郎、ついていけない。どうしてここにいるの? 容態は?」
「だからそんなことっ、」
「太郎くん」
和泉が、はな子と太郎を引き離す。その表情はどこか固く、顔色も悪かった。
「……事情を話して。もしかしたら僕、それについて知ってるかもしれない」
落ち着いた声音だった。和泉のそんな様子に我に返ったのか、太郎は数度軽く頷くと、ソファへとゆっくりと歩んだ。
リビングの広いソファには十蔵とはな子が並んで座り、和泉は絨毯の上に直接座っていた。エル字に折れたソファの端に太郎が腰掛けて、より子は聞いても仕方がないために、夕食の準備を始めたようだ。
トントン、と軽快な音が響く。その音を聞きながら、はな子たちは太郎の言葉を待っていた。
「岡さんと話してたら突然、あの声が聞こえたんだ。いつも聞こえてくる女の人の声。……それからいきなり苦しくなった。息ができなくて、意識も曖昧で……でも、近くで岡さんも苦しんでることは分かった」
「……それから?」
うながしたのははな子だった。
「……光が見えた。そこから声が聞こえたよ、たぶん男の人の声だった。岡さんに話しかけてて、岡さんが助けてって言ったら、岡さんに運命を教えてやろうって……」
太郎の言葉に、和泉の肩がピクリと跳ねる。その表情はやっぱり怯えているようだった。
「いろいろ言ってたけど、最後にはおれを助けてくれるならって……岡さんはそう言って、女の人と一緒に消えた。見えたんだ、そのとき。おれに憑いてた女の人……すごく綺麗な人だった。その人の手をとって『一緒に探しに行こう』って笑って、消えた」
「探しに行くとはなんぞ?」
「女の人の記憶がね、少しだけ流れてきたよ。たぶん岡さんはもっと見えてたと思う。……おれに憑いてた女の人は、男の人を探してるみたいだった。だからたぶん、その人を探しに行こうって言ったんだと思う」
はな子はそこで、篠山の話を思い出す。あの話はやはり本当のことだったらしい。
「おれ、それから嘘みたいに体が軽くなったんだ。だけど岡さんだけが居なくて、姉さんに知らせないとって……」
「和泉」
はな子が振り返る。和泉は大袈裟に震えて、伺うようにはな子を見ていた。
「狐とあの女神様が何を話してたのかを教えて。――あんたは何に怯えてるの」
「……どういうこと?」
当然ながら、太郎には意味が分からない。けれど先ほど「それについて知ってるかもしれない」と言われたことを思い出した。
空気が張り詰める。それでも和泉はためらっていた。
「何か、知ってるんですか?」
太郎の震える声に、和泉の視線が持ち上がる。そこでようやく口を開いた。
「……――岡さんは、神様への生贄らしいんだ」
生贄? と聞いたのは誰だったのか。和泉は俯いたままで、微かに頷いた。
「その神様は、岡さんの『魂』が成熟するのを待ってるんだって。……あのとき狐さんは、あの女神様にそれを伝えてた。女神様よりも強い神様への生贄だから手は出すなって。この娘は何も奪わないと、説得もしてたよ」
「……生贄? そのようなことを望む神なぞ、この時代には聞いたこともないが……はな子よ、何か知っとるか」
「じいちゃんが知らないことを私が知ってるわけがない。私も初めてだよ、わざわざ神使をつけてまで監視して、生贄を待つ神様なんて」
今までの狐の言動が、すべて繋がっていく。
「ふむ。まあ古くからそうだったのであれば、味をしめているのやもしれんな。清い人間の魂は美味いとも聞く。家系でそうだったのならば、その血筋の味を好んでやめられないこともあるんだろう」
「……そういえば岡さん、お母さんが亡くなったって言ってたよね?」
「そうだね、言ってた。岡さんを産んで亡くなったって。……それじゃあ、もしかしたらお母さんも……?」
「そんなことどうでもいいよ! 岡さんが消えたんだよ! どうしてそんなに落ち着いてられるんだよ!」
太郎がとうとう立ち上がった。泣きそうな顔だ。握り締められた拳は、小刻みに震えていた。
「……岡さんは死んだわけじゃない」
はな子の言葉が、やけに強く響く。
「なんでそんなこと言い切れるんだよ……!」
「遺体はどこ? 消えただけなんでしょ? それならまだ、取り返せるかもしれない」
「でもっ、」
「太郎くん。これでも、僕たちも混乱してるんだ。だけどここでがむしゃらに動いても、岡さんは戻ってこない。……一緒に次の一手を考えよう」
悔しそうな言葉がにじむ。太郎はそれにハッとしてはな子を見ると、はな子も難しい顔をしていた。いつも冷静なはな子にしては珍しい表情だった。それにようやく落ち着きを取り戻すと、太郎はソファに腰を落とす。
「……あの子はどこの出身だったか」
投げ掛けたのは十蔵だった。
「岡さんは関西の山奥の村に住んでました。出身もそこで……お父さんは単身赴任でこっちに居るみたいですけど」
「ふむ? 詳細を教えてくれ」
和泉はすぐに、スマートフォンの地図アプリを起動した。そうしてかつて自分も暮らしていたそこにピンを立てて、住所を十蔵に見せる。
十蔵は少しばかり周囲を確認して、大きくしたり小さくしたりを繰り返しながら目を細めていた。何かを考えているらしい。おそらく、心当たりがないかを探っているのだろう。十蔵はもう長いことこの仕事を続けているために、地方の神様や信仰には詳しいのだ。
「……ふむ。ここには力の強い神様がおったな。なんぞ、特有の名前で親しまれとる神様じゃったか」
「カミシロサマじゃない?」
「おお、たぶんそれか」
カミシロサマ、と聞いて、和泉が思わず息をのむ。
「……そ、その、カミシロサマが関係あるんですか」
「……日本の最高神である天照大御神にも、親がおるだろう。伊邪那美命、伊邪那岐尊は有名な話だと思うが」
「つまり?」
答えを急くはな子が先をうながした。十蔵は「ふむ」と頷くと、スマートフォンを操作しながら言葉を続ける。
「わしの記憶が正しければ、ここいらは大昔、日照りが続いて飢饉に悩まされておった地域じゃ。そこで、生贄の風習が生まれたんもその頃か」
「生贄……? それって……」
「カミシロサマにも親はおる。その親がどの範囲を見る神様なのかは知らんがな。……わしの知る限りでは、この地方におるのはカミシロサマだけではなかった」
はな子が和泉を見るけれど、和泉も分からなかったのか首を振っただけだった。和泉もあの土地にずっと暮らしていたわけではない。
「……和泉が聞いたのは、さっき言ったことが全部なの?」
「……うん。僕が聞いたのは、岡さんが生贄だってことと、その魂が成熟するのを待ってるんだってことだけだった。あの狐さんは別に、他には何も……」
そこまで言って、和泉が不自然に言葉を止めた。
「…………いや」
そういえばあのとき、狐は不用意な一言を残していたのではなかったか。
「そうだよ。そうだ。あの娘は過程が足りていないからまだ食えないがって……そうだよ、生贄になるには過程がある。ねえ神奈木さん、人間が生贄になるのに必要な過程って何?」
「過程? ……禊くらいじゃない?」
「それだ! 狐さんが言ってたんだよ! 『あの娘は過程が済んでないからまだ生贄にはなれないが』って! だけど太郎くんは奪わないから安心しろって! それってつまり、やっぱり岡さんはまだ死んでないってことなんじゃないかな!」
「ありうる」
ニヤリと口角をつり上げた十蔵が、ふたたびスマートフォンへと視線を落とした。
「生贄には禊が必要だ。神様は人間臭いままでは好まれない。子どもは特に気にならないらしいが、魂がこちらに馴染みきっている年齢になると、それがなければ魂も食らえんという」
地図アプリを右に左に、何を探しているのか十蔵の指は忙しない。
「でもじいちゃん、あの狐がそんなポカすると思う? 罠なんじゃないの?」
「……神様はな、基本的には人が好きなもんだ。魂を食らうようなもんは別として、あの神使はもしかしたら、あの子を救ってほしかったのかもしれんな」
そこで太郎はふと思い出す。そういえばあの狐は、病室から出てきてすぐに太郎を意味深に見つめていた。もしかしたら「どうにか娘を救ってやってくれ」と、そう言いたかったのかもしれない。
指を止めた十蔵はすぐに「ここかのう」と、スマートフォンの画面を二人に見せた。
「その昔、この地方の人間は、神事が行われる際にはここに禊に訪れていたという。古い記憶だから定かではないが……」
「もしかしたら、岡さんはここに居るかもしれない?」
和泉の期待する声音に、十蔵は一つしっかりと頷いた。




