第4話
家に戻ると、すでに十蔵が帰っていた。神社での仕事を終えるには早いが、今日ははな子たちが太郎の元に行っているからと早めに切り上げてきたのだろう。
いち早く事情を聞きたかったのか、十蔵はリビングでゆったりとくつろいでいた。
「帰ったか、はな子。ほれ、そこの子らもそこいらに座れ」
はな子たちがソファに座ると、より子が「おかえりなさい」と紅茶を出した。
「して、どうじゃった。何か分かったか」
十蔵が身を乗り出す。はな子は今日出た結論を十蔵に説明して、ひとまず紅茶を口に含んだ。
一通り聞き終えた十蔵は、難しい顔をして腕を組む。
「……なるほどな」
唸るように呟いて、何かを考えているのか目を閉じてしまった。
「何か分かる?」
「分かるわけがなかろうが。しかしまあ、はな子の言うようにその家に憑いていた神様が太郎のところにおるんなら、そこに事情を聞きに行くしかないだろうな」
「だよね」
はな子の視界の端で、和泉がビクビクと断続的に震えていた。ともなればどうしても気になって、ついそちらを見てしまう。
声が聞こえるのだろう。そんなはな子の視線を追った十蔵も、和泉の様子にニヤリと笑う。
「見えもせんのに聞こえるのは厄介じゃろうな。わしは見えとるし聞こえとるから面白いもんだ」
「あんまりビクビクしてると逆に遊ばれるよ。悪戯好きなものが多いからね」
「え、そうなの⁉︎ でもいきなり耳元でしゃべるからびっくりして……」
「だから遊ばれてるんだって」
「わ!」
「ほら。今座敷童が走ってった」
どこか和やかな三人に、恵梨香だけがついていけなかった。
恵梨香には見えないし聞こえない。狐が憑いている、と言われても、あまりピンとこない。そのため置き去りにされたようで、なんだか面白くはなかった。
(……うちやって、役に立てるもん)
和泉のようにはな子の力になれなくても、今回あの病室に入ることができた。情報はあまり得られなかったけれど、糸口は見つけられたと思う。
それでも恵梨香はあの輪には入れない。落ち込んだ気持ちで、恵梨香はカップを持ち上げる。
「恵梨香ちゃんのおかげで、太郎ちゃんが早めに楽になれそうですね」
察したように、より子が声をかけた。
三人は気付かない。恵梨香はなんだか嬉しくなって、「ならええんやけど」なんて、照れくさそうにつぶやいた。
和泉と恵梨香の転入が差し迫る中、はな子たちはさっそく件の家に向かった。
行こうと決めた翌日のことだった。はな子は太郎のことになると一生懸命になるために行動も早い。
とはいえどこの家だったかを調べたのはより子だ。受付は彼女が担っているから、調べるのもお手の物である。
恵梨香は同行しなかった。うちは太郎くんのところに行って出来るだけ話を聞いてみる、とはりきって、太郎の病室にやってきたからだった。
「……今日は一人で来たんですね」
恵梨香が病室に入ると、太郎から一番にそんなふうに言われた。それがなんだか不思議だった。前回も今回も、病室には恵梨香しか入っていない。それなのに太郎はどうして、恵梨香が前に誰かと来ていたことを知っているのだろうか。
そんな恵梨香の疑問を察したように、先回りした太郎が答える。
「ふふ……姉さんはね、『氣』が強いんです。だからかな……おれ、姉さんの『氣』にだけは敏感で、分かっちゃうんですよね」
「神奈木さんの気配は分かるんやね」
「……はい」
少し落ち込んだ声だった。それを聞きながら、恵梨香はベッドサイドのパイプ椅子に腰かけた。
「今日も、おれの話を聞きに?」
「……そう、うん、そうなんよ」
にこやかな表情の下に、影が見えた。太郎はそれを見逃さなかったけれど、何かを聞けるわけもない。
沈黙が落ちる。少しだけ気まずい間だった。
「……ごめん、太郎くん……うち、今嘘ついたん……」
耐えられなくなったのは、恵梨香だった。
俯いて眉を下げて、申し訳なさそうに口を開いた。
「……ほんまは、太郎くんにはもう聞けることはないんよ。でもうち神奈木さんとか和泉くんとおりたなくて……」
「……一緒に、居たくない?」
「そうなん。……親友なんはほんまやよ。うちが思っとるだけかもしれんけど……ううん、たぶん、うちの独りよがりなん。分かっとるんよ。やけどうち、何も神奈木さんの役に立てんけ、親友とでも思っとらんと、なんにもなくなるん」
短くため息を吐き出して、きゅっと拳を握り締める。落ち込んでいるというよりは、悔しそうな声音だった。
「和泉くんは神奈木さんの役に立てるんよ。和泉くんには『声』が聞こえるんやって。神奈木さんが聞こえんから、和泉くんはすっごく役に立ててるん」
「そうですか。姉さんは『耳』を見つけたんですね」
「知らんかったん?」
「この病室には誰も入れないんでしょう? 来てくれてもおじいちゃんだけだったから……おじいちゃんはおれに気を遣って、そういう話をあまりしませんし」
太郎は控えめに笑うと、すぐに「おれね」と言葉を続けた。
「劣等感がすごいんです。姉さんがすごい人だから、おれはいつも比べられてて。……神奈木家の長男がって、いつもいつも後ろ指さされてました」
「そんなん、太郎くんが責められるんなんかおかしいやん!」
「そうなんですよね。おれもそう思えたら良かったんですけど。……おれのそういう劣等感とか嫉妬は全部、姉さんに向いちゃって。だからおれ、いまだに姉さんと顔を合わせるの苦手なんです。嫌いなわけじゃないから、ちょっと複雑」
どうして突然そんな話を……恵梨香は思って、すぐに気付く。
「……う、うちと一緒やね!」
恵梨香は思わず身を乗り出した。驚いた太郎は目を見開いて、けれどすぐに柔らかく微笑む。
「そうですね。おれ、岡さんの気持ち分かりますよ」
「うん! うちも、太郎くんの気持ちわかるよ! やってうち……今日も神奈木さんと和泉くんについていけんくって、ここに逃げてきたようなもんなんよ。……ごめんな、太郎くん大変やのに、逃げ場所にしてしまって……」
「気にしてません。おれが岡さんでも、きっと同じことしてました」
太郎が優しく笑う。それには恵梨香も落ち着いて、ようやく肩から力が抜けた。
太郎は恵梨香を邪魔に思っていない。それだけで気も緩むというのに、同じ気持ちだったと言われればさらに解れるというものだ。恵梨香だってはな子を嫌いになったわけではないから、複雑な気持ちを持て余している。そんな中、太郎から「それでもいいんだよ」と肯定された気がして、途端に太郎に親近感が湧いた。
そのときだった。
――ああ口惜しや、そこの狐。わたくしをたばかりおってから。
恵梨香が思わず振り仰ぐ。太郎も同じようにあたりを見回しているけれど、その声の正体は何かが分からない。恵梨香にも太郎にも力がなく、見ることはできない。
「た、太郎くん、今の……」
「う、ん……今の声が、おれがたまに聞く声だよ」
「やったらここにおる女神様ってことやんな⁉︎」
恵梨香が太郎を見下ろすと、太郎の体が突然ふらりと揺らぐ。
「太郎くん……?」
ベッドに埋もれるようにして、太郎は苦しげな吐息を漏らす。呼吸が出来ないのか、喉元を押さえて暴れていた。
「太郎くん! ちょお、女神様! なんでこんなことするん!」
太郎を気遣いながら、誰もいない空間に言葉を投げる。標的は見えない。恵梨香はやっぱり、何も出来なかった。
「お願いやからなんもせんといて! なんでこんな……恨むんなら神奈木さん恨みや! 太郎くんは関係ないやん!」
――誠にやかましい小娘よ。
ズキリと、脳に痛みが走った。言葉が聞こえた直後だった。
――わたくしから愛しい人を奪うなど、許されぬことぞ。
恵梨香は痛みに耐えきれず、頭を抱え込むように地に伏した。動けなかった。それほどの痛みが頭から全身に広がっていた。
それでも太郎を気遣って、なんとかベッドにしがみつく。太郎はまだ苦しんでいるようだった。恵梨香はどうしようもない中で、ただ太郎を支えるようにその手を握りしめていた。
「っ……太郎、くん……!」
こんなとき、恵梨香にはな子のような力があったなら、太郎は苦しまなくて済んだだろう。和泉のように神様の言葉を聞ける耳があったなら、穏便に終わらせることができるのかもしれない。途方もないそんなことを考えて、何も出来ないことに焦りを募らせていく。
——本当は恵梨香にだって、一つだけ手はある。だけどそれの使い方を知らないし、意思の疎通もできないからと、考えないようにしていた。
「助けて……」
だけどもう、なりふり構ってもいられない。
はな子も和泉も居ない。こんな場面で、躊躇っている場合でもない。
このままでは太郎も恵梨香も死んでしまう。神様に殺されてしまう。人知を超えた能力を前に、あっさりと終わってしまうだろう。
「どうにかしてや! 狐さん!」
力を振り絞って叫ぶと、病室に光が溢れた。
目も開けられないほどの光だった。
『狐よ、よくぞ我を呼ぶ判断をした。褒めてやろう』
鼓膜から言葉が響く。女神の声が頭に直接聞こえていたために、それにはどこか違和感を覚えた。
恵梨香が視線を持ち上げた。けれどそこは眩しくて、何も見えなかった。
『ふむ。……まだ成熟しておらぬな。その魂、我が食らうにはまだ早いようだ』
「……だ、誰?」
『礼儀を知らぬのは気に入らぬが……色は悪くない』
音が一切なくなった。張り詰めた空間の中で、恵梨香は動くこともできない。
そうしてはたと思い出す。太郎は、と振り返れば、ベッドにぐったりとして動かない姿が見えた。
呼吸が止まったのかもしれない。そんな可能性を思いつけば、恵梨香の中からその「光」に対する恐れはなくなった。
「あなたは狐さんなん⁉︎ ほしたらお願い! この子、ずっと苦しんどん! 助けてあげてほしいんよ!」
『……言葉遣いも知らんのか』
呆れたような声だ。
しかし光は大きく膨れ上がると、人のような形になり、恵梨香にぐっと距離を詰める。
『己の運命を知らぬ愚かな人の子よ。……そのように叫ぶのなら、我が力を貸してやろうか』
どくりと、恵梨香の心臓が大きく打った。
恵梨香は力が欲しかった。そうすれば、はな子や和泉に置いていかれることもないだろう。
けれど同時に、心の奥には恐怖心もあった。それはかつて、カミシロサマとのことがあったからかもしれない。
――神様と約束はしてはならない。
あの土地で育ったからこそ、そんな意識が根付いているのだ。
カミシロサマと約束をすれば、カミシロサマの世界に連れて行かれてしまう。それなら今はどうだろう。
相手が何者かは分からない。だけどこの雰囲気は、妖怪やあやかしなんて可愛いものではないと分かる。
きっとあの狐に通ずる「神様」だ。恵梨香は直感で、なんとなく理解していた。
心臓が嫌な音を立てる。
もしもここで、恵梨香がこの光からの提案を拒否する選択をすれば、太郎はどうなるのだろう。恵梨香はいい。這ってでも太郎から離れられたなら、女神の怒りもおさまるのは想像に難くない。けれど残された太郎はどうなる。女神が怒ったままだと、今度こそ命が奪われるかもしれない。
ただでさえ「限界だ」と言われている状態である。今以上に悪化させればどうなるのかは、火を見るより明らかだ。
「うちも……強くなれるん?」
『ふ……はは、強欲なものだ。人間はやはり好かんな、醜くてならん』
恵梨香の目の前にある「光」は蔑むように笑うと、愉快そうに言葉を続ける。
『良いだろう……愚かな子よ。死に急ぐ貴様に、運命を教えてやろう』




