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カンナギ  作者: 長野智
第2章

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第3話



 神奈木太郎の人生は、とても窮屈で、とても寂しいものだった。


 神奈木家に嫡子として生まれたために余計である。姉のはな子が優れていたから、その分太郎への期待も大きかった。


 しかし太郎は力を一つも持たなかった。それどころかより子が持っているような「加護」もなく、ただ憑かれやすいという体質だけが取り残された。


 そのため、神奈木の本家から分家まで、すべてが分かりやすく失望した。そうして太郎を切り離し、はな子に後を継ぐようにと尽くし始めた。


 太郎に構い、太郎を顧みたのは、皮肉にもはな子だけである。


 太郎がひとりぼっちになったのは、はな子が原因と言ってもいい。けれど太郎を一番に気にかけたのは、はな子ただ一人だった。


 太郎はどう思えば良いのかも分からなかった。姉が嫌いなわけではない。それでも複雑なことには変わりない。いっそ姉が嫌な人間であれば、潔く恨むこともできただろう。


 神奈木太郎はいつも真ん中で揺れていた。姉を慕う気持ちと姉を妬む気持ちに挟まれて、どっちつかずに十六年が経っていた。






 ——ねえあなた、起きてくださいな。狐が娘を入れましたの。この娘はわたくしからあなたを奪わない子だそうよ。






 遠くから声が聞こえた。鈴の鳴るような、美しい声音だった。


 聞き覚えがある。いつも夢うつつのところで、太郎に話しかける声である。


 太郎が目を開くと、そこには知らない少女が居た。年の頃は太郎と同じくらいだろう。少々野暮ったい印象はあるが、その人相から悪人ではないのだと分かる。


「誰?」


 太郎の問いかけに、ベッドサイドに座っていた少女が身を乗り出した。


「うち、岡恵梨香っていうん。初めまして、太郎くん」


「……はい」


 寝起きの頭では、突然の出来事についていけない。体を持ち上げようとして、気怠いことに気がついた。今日はどうやら調子があまり良くないらしい。


「あ、起き上がらんでいいよ。……うち、太郎くんのお姉さんのお友達なん。あ、ちゃう! 親友なんよ!」


「……姉さんの? 親友?」


 にわかには信じられない言葉に、太郎の眠気も吹き飛んだ。


 あのはな子に「親友」が居ることに素直に驚いた。太郎から見てもはな子は気難しい人種だ。太郎以外には興味がないのではないかと思えるほどには他人が嫌いで、常に周囲を遠ざけている。協調性もない。調和しようと努力をするわけでもない。おまけにマイペースで、思ったことがすぐに口から飛び出してしまう。


 太郎もはな子の人間性はよく理解していた。はな子が太郎を一番、心の底から思ってくれていることも分かっている。だから太郎も、はな子を拒絶しきれなくて狭間でいつも揺れていた。


「……それはすごいですね」


「え? や、やっぱり? うちも思っとったんよねぇ」


「……その……姉さんとはどこで?」


「あ、うん。あんな、うち田舎におったんやけど、神奈木さんはお仕事でそこに来とったん。いろいろあって……神奈木さんにたくさん助けられて、今はうちが神奈木さんのお手伝いできんかなって、ここにおるん」


 はな子が引っ張ってきたのではなくて、恵梨香は自らの意思でここに居るという。そのことにもまた、太郎は驚きを見せた。


「……そうですか。……おれには、なぜ会いに?」


「それ! それなんよ太郎くん!」


 突然恵梨香が、食い気味に身を乗り出した。


「太郎くんに憑いとる神様のことをな、太郎くんが何か知ってるんやないかって思って」


「……おれに、憑いてる?」


「そう。今も苦しんどるんやろ? 神奈木さんな、それを無理やり祓ってもキリがないって、今回は別の方法を試しよん。出来るだけ穏便に済ませるのに、うちが協力しとるんよ」


 それでわざわざ田舎から東京まで来てくれたのかと、太郎はそれにも衝撃を受けた。


 はな子の親友、というのも、あながち独りよがりな思い込みではないのかもしれない。


「そうですか。……だけどおれ、姉さんみたいに力がなくて……見えないんです。意思の疎通もできないし」


「そうなん⁉︎ そうなんや……うーん、どうしよか。……うちも狐さんのことわからんしなぁ……」


 太郎はそこで、そういえばとふと思い出す。


 夢うつつで聞こえる声があるではないか。


「女の人の声が聞こえることはあります。すごく優しくて、すごく温かくて……おれを大切にしてくれているんだなぁと、そう思える声」


「女の人……ほしたら太郎くんに憑いとんは、女神さんなんかもしれんね」


「女神……神様なんですか?」


「そうやって聞いとるよ。やけ、この病室にも誰も入れんらしいん。神気? が強くて、普通の人には耐えられんのんやって」


「……でも岡さんは……」


「うちはほら、なんか、別の神様に好かれとる? らしくって、神気とかは平気なんやって」


 自分ではよく分からんのんやけどねと、恵梨香はそう付け足してへらりと笑った。


「その声が聞こえ始めたんはいつからなん?」


「いつ……気がつけばこんな状態だったから……でも、一番最初に声が聞こえたのは半年くらい前からですかね。『見つけた』って、言われたのが始まりです。入院するまでになったのはもっとあとですけど」


 太郎はそれからいくら聞いても、よく覚えていないようだった。


 結局恵梨香と太郎は楽しくお話をしただけで終わり、恵梨香は約三十分で病室を出る。


 外でははな子と和泉が、神妙な面持ちで待っていた。


「……どうだった?」


 聞いたのははな子だ。和泉はやや俯いて、伺うように恵梨香を見ているだけである。


「うん。太郎くんな、あんまよく分からんのんやって。ただ、女の人の声は聞こえるって言っとった。半年前くらいに『見つけた』って言われたときからなんやって」


「……見つけた?」


 はな子がちらりと和泉を見た。


「……岡さんを敵視していた声も女の人のものだったよ。……太郎くんに憑いてるのは女神様なんだね」


「なるほどね。……半年前、とある家にお祓いに行った記憶がある。その家系の男児は女運に恵まれず、こっぴどく振られたり浮気をされたり、人が変わったみたいに突然悪い態度を取られるようになるらしくってね。あんまり続くからこれはおかしいって占い師のところに行ったら、悪い女神が邪魔をしてるって言われたんだってさ」


「それで神奈木さんのところに相談をしに来たの?」


「占い師は祓うまではしてくれないからね」


 そのときも十蔵が別の仕事に出向いていたために、対応したのははな子だった。


 十蔵ならば言葉を聞けただろう。けれどはな子はやはり構わず、無理やり祓うことで終わらせた。


 しかしそれで太郎のところに報復に来たとして「見つけた」と言うのは違うのではないだろうか。


 まるで太郎のことをずっと探していたかのような言葉である。


「その家に行ってみようか。何か、その神様について知ってるかもしれない」


「そうやね! そうしよ!」


 二人が強く決意するかたわら、和泉だけがどこか暗い顔をしていた。



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