第1話
「……はな子。今回は変な因縁も何もつけず、よく無事に戻ったな」
神社に戻ると、祈祷をしていたのか、袴を身につけた十蔵がはな子を待っていた。
東京の中心街より離れたところにある、大きな大きな神社である。神ノ神社というこの神社は古くから愛され続けて、毎日のように御祈祷の予約が入っている。
神ノ神社には「神様」が居る。そんな噂があるからだ。
「『耳』を見つけたからね」
「ふむ。その『耳』も東京に引っ張ってこれたのは僥倖だ。……あの神使憑きのお嬢さんも、なかなか高位のモノに好かれているようだな。うまく使える場面もあるだろう」
十蔵の言葉に、はな子が一つ頷く。
「神の恩恵を受けるあのお嬢さんなら、太郎の病室に入れる。あの子を連れて見舞いに行け。もちろん『耳』も忘れるな。……おまえはもう、失敗ができない」
「……分かってるよ」
はな子と十蔵は、静かな拝殿で向かい合っていた。振り返れば、境内を散策する和泉と恵梨香が居る。
「……じいちゃん。あの二人、協力してもらう代わりにうちに住ませるから」
「ん? 今なんと?」
「うち部屋余ってるでしょ。それに一緒にいたほうが仕事もしやすいし」
「それはそうだが……珍しいな。おまえが他人を許容するなど」
十蔵は目をまん丸にしていた。これまで他人を遠ざけていたはな子がそんなことを言い出すとは、少しも思っていなかったからだ。
しかしはな子はそんな十蔵を無視して「とにかくそういうことだから」と続けると、二人の元に向かうべくゆるりと立ち上がった。
二人を家に連れると、はな子の母が出迎えた。祖母は昼間は祖父と一緒に動いているために、だいたい社務所に居る。父は普通の商社マンなために、今家にいるのは母だけである。
「話は聞いていますよ。お部屋に案内しますね」
はな子とは違って穏やかな母は、これまたはな子とは違ってにこやかに二人を案内した。和泉も恵梨香も何度も何度も母とはな子を見比べていたけれど、はな子がそれに「何が言いたいの?」と突っ掛かればやめたようだった。
それにしても広い家である。普通の高校生だった二人には見慣れない広さで、終始緊張した様子でキョロキョロと家を見渡していた。
「はーおいしい! 信じられん! 都会にはこんなに美味しいケーキがあるん⁉︎ ほっぺが落っこちそうや!」
荷物を置いてさっそく、二人はリビングに連れられた。はな子だけはまだその場にはおらず、慣れない場所に二人は緊張していたのだが……恵梨香はやっぱりおおらかなのか、出されたケーキを一口食べると、緊張なんか忘れてしまったらしい。
今は頬を押さえて満足そうに、顔をとろけさせている。
「まあ恵梨香ちゃん、まだ若いのに味が分かるんですね。ふふ、もてなし甲斐があってとっても嬉しいです」
「おばさん……って言うと失礼なくらい若いんやけど、お名前はなんて言うん?」
「ああ。それなら、私のことはどうぞより子と呼んでください」
「より子さん! ケーキおいしい! ありがとう!」
「どういたしまして」
より子が嬉しそうに、控えめに笑う。
和泉はまだ緊張していた。朗らかな恵梨香の隣に居るからか、余計にその表情の固さが目立つ。
「千歳くんのお口には合いませんでしたか?」
「え! あ、いえ、そうじゃなく、」
「それなら……何か、不思議な声でも聞こえるとか」
和泉の肩が大きく揺れる。
「……話ははな子ちゃんから聞いていますよ。とても気難しい子ですけれど、本当はとっても繊細で優しい子なんです。だから太郎ちゃんが入院する原因を作っていることを、ずっと気に病んでいるみたいで……千歳くんのお話を聞いたときは、本当に嬉しく思いました。お手伝いすることを選んでくれて、ありがとうございます」
和泉と恵梨香が目を見合わせる。そうして二人とも、ふるふると首を振った。
「あ、た、助けられたと言うなら、その、僕のほうが……僕、変な声ばっかりが聞こえて、本当に自分が大嫌いだったんです。なんでこんなふうに生まれてしまったんだろうって何回も悩みました。誰からも受け入れられないし、誰にも言えないから一人で抱えるしかなくって……でも、神奈木さんが僕を『すごい』って言ってくれて、すごく心が救われたんです」
「うちだってそうやよ。うちなんか和泉くんみたいに何かが聞こえるわけやないん。やけど神奈木さん、うちが側に行って探偵ごっこに参加しても何も言わんかったん。助けてくれたりもしたんよ。神奈木さんが素直やないんは知っとるし、うちらのほうが絶対救われとん。ね、和泉くん」
「うん」
「あらあら……」
より子の目が一瞬、リビングの扉へと流れた。
すりガラスの嵌め込まれたそこには、人影が一つある。話を聞いてしまい、入るタイミングを逃してしまったのだろう。
「はな子ちゃん」
より子がとても楽しそうに呼びかける。すると影は驚いたのか一度跳ねると、それでもすぐに扉を開く。
「え! 神奈木さん⁉︎」
「わー、いつもの感じとちゃうやん! なんでいっつもそうしとらんの⁉︎」
入ってきたはな子は、瓶底メガネをかけていなかった。三つ編みも解いていて、癖が残っているのか緩やかにウェーブしている。
何もかもを取っ払えば、より子とよく似て綺麗な顔をしていた。それにはつい、二人もじろじろと見てしまう。
「神奈木さん、顔隠しとんもったいないよ! なあ和泉くん」
「え、あ、うん、そう思う……」
「ふん」
顔をそっぽ向けると、はな子はより子の隣に腰掛けた。
「はな子ちゃんは素直じゃないだけなんですよ。今はすごく照れくさいだけですから、許してあげてくださいね」
「分かっとるよー」
恵梨香が軽やかに笑う。それを見て、より子も嬉しそうに微笑んだ。
隣に居る和泉は時折、何もないところへと振り返っていた。弾かれたように動くから、どこかから何かが聞こえるのだろう。
「……千歳くんには、この家はすごく騒がしいんじゃないでしょうか?」
「え! なんでそれ……」
はな子はそんな会話に構わず、出されていたケーキに躊躇いもなくフォークを突き刺す。
「……はな子ちゃんから聞いていませんか。わたしもともと、巫女の家系でして……悪霊や悪い妖怪は寄ってこないのですが、神様や良いあやかしには好かれるんです。座敷童子も集まっているので、我が家は毎日お祭り状態ですよ」
「だ、だから子どもの声もするんですね……」
「和泉の隣に一人居る。岡さんのところの狐はすっごく撫でまわされてるけど、無視してるね」
「そうなん⁉︎ やっぱりすごいなぁ神奈木さん!」
満面の笑顔を浮かべた恵梨香をチラリと見て、はな子はまたしてもふんと鼻を鳴らした。そんなはな子を見て、より子はどこか不思議そうな顔をする。
――はな子から「二人ほど家に住まわせる」と聞いたときには、十蔵同様に、より子もたいそう驚いたものだ。だってはな子は他人が嫌いである。いや、幼い頃にその力の強さから敬遠され続けて、これ以上傷つきたくないから最初から遠ざけている、というのが正しいのか。
とにかく、そんなはな子が家に誰かを住まわせることを許可するなんて、はな子の家族の誰もが思ってもいなかった。
けれど。
和泉や恵梨香の人柄を見て、より子もようやく納得する。
こんな二人だったから、はな子も招くことをよしとしたのかもしれない。
「そう、うちのはな子ちゃんはすごいんですよ」
「……余計なこと言ってないで。あんたたち、転入はいつになるの?」
「うちは一回おばあちゃんが来てくれるけ、そん時にお父さんと一緒に手続きするって言いよった。お父さんは今度挨拶がてらこっち来て、そのまんまおばあちゃんと一緒に学校に行くって。来週くらいやないかなぁ?」
「……おばあちゃん?」
転入の手続きをするのなら母親が出てきそうなものではあるが……そんなはな子の疑問に気付いたのか、恵梨香はすぐに苦笑を浮かべた。
「言っとらんのやったっけ。お母さんはな、うちを産んですぐに死んだんよ」
あまりにもひょうひょうと語るのは、母親の記憶がないからだろうか。無理をしている様子もない表情に、その場の誰もが慰めさえ浮かばない。
「まあ進んで言うようなことでもないけ、言わんかったんかなぁ? 気ぃ遣わんといてよ。お母さんのことなんも知らんし、別にお父さんとも仲が悪いわけやないし」
「……お父さんは単身赴任って言ってたよね? それならあの田舎にはおばあちゃんと暮らしてたの?」
「うん。おじいちゃんもおったんやけど、おじいちゃんはうちが中学生の時に亡くなった。それからおばあちゃんと二人暮らししよる」
「えっ! それじゃあこれから岡さんのおばあちゃんはあの田舎で一人暮らしするの⁉︎ こんなこと言うとあれだけど、大変だよね⁉︎」
「この機会にこっち来るって言いよったよ。お父さんも、自分の母親が田舎で一人暮らしは心配みたいやって」
恵梨香の言葉にひとまず安堵したのか、和泉は少しばかり浮かせた腰をソファに戻す。馬鹿にするわけではないが、あの山奥で老人の一人暮らしは不便ばかりになるだろう。
「はな子ちゃん、千歳くん。あまり不躾に深入りするものではありませんよ。お母様が亡くなった話なんて……誰も進んでしたいとは思いません」
「あっ、そっか、そうだよね……ごめん、岡さん」
「いやいや、本当にいいんやって! より子さんも気ぃ遣わんといて!」
「……はぁ。まあ、なんでもいいけど……和泉は? いつ転入になるの?」
「うちも岡さんと同じくらいになると思う」
「あっそ。……それならそれまでに、太郎の病室に一回行くからね」
「あ! 前に言いよった、神奈木さんの弟さんやんね!」
「憑いてるものが何を言ってるのか、聞いたら良いのかな?」
「そう。ただ……病室に入れるのは、もしかしたら岡さんだけかもしれない」
「え! うちだけ?」
ケーキを食べ終わったはな子は、そこでようやく顔を上げた。
「太郎の病室には今、神様が住み着いてる。基本的には誰も入れない。母は入れるみたいだけど、この人祓う力なんかないし、そもそも見えても聞こえてもないから戦力外。じいちゃんでさえずっとは居られないくらいには大物が住んでるの」
「……な、なんでうちだけ入れると思ったん?」
「その狐」
はな子の目が、恵梨香の足元で丸くなっている狐に落ちた。気付いているだろうその狐はピクリと微かに耳を揺らして、不愉快そうに尻尾を揺らす。
「神様の使いだって言ったと思うんだけど、その神様っていうのがたぶん、力が強い神様なんじゃないかって私とじいちゃんは思ってる。だから入れると思う」
「……そうなん?」
恵梨香はあまりよく分かっていないのか、首を傾げている。しかしうーんと軽く唸ったあと、いつものように明るい笑顔を浮かべた。
「やっとうちも神奈木さんの役に立てるんやね! 和泉くんには負けんよ、頑張って神様とお友達になってみる!」
「……え、いや、頑張るのはそこの狐なんだけど……」
はな子の狙いは、狐が恵梨香を守るために病室にいる神様とうまく話をつけてくれることだった。恵梨香自身に何かができるとは最初から思ってもいない。それでも恵梨香が張り切っていたために、はな子にはなんとなく、何も言えなくなってしまった。




