第12話
そうしてはな子がやってきたのは、学校から出て少し歩いた先の、スキー場へと向かう山道だった。途中、遠くに行くのかと思った和泉が「お母さんにお願いしようか?」と言ったのだけど、はな子は「どうせそのうち見つかるから」とそれを断った。
はな子の考えが正しければ、そう遠くないところで見つかるはずである。はな子はひたすら、山道から崖の下を覗きながら歩いていた。
「……え、あれ……」
「……ガードレールが……」
学校から出て、百メートルほど歩いたところだった。その先にあるガードレールが突き破られて、大きく破損しているのが見えた。タイヤ痕もあり、事故現場であることは一目瞭然である。
「え、何で? 今まであんなのなかったのに……!」
「どういうことなん? 神奈木さん」
「そういうことだよ」
一人冷静に、はな子はゆっくりと歩み寄る。
確信を持ったのは、沙織が消えた時だった。紗奈や広美も消えて、三人に実体がなかったのだとそこで初めて気がついた。
あとは簡単だ。これまでの違和感を繋げていくだけである。
どうしてスキー旅行のあとから学校がおかしくなったのか。どうして沙織はカミシロサマと「約束」をしたのか。沙織が言っていた「恵梨香だけがきてくれない」というのはどういう意味だったのか。
旅行から遅れて帰った和泉と恵梨香が感じた違和感の正体は。学校にあやかしや妖怪が多かったのは。図書室に当番が居なくて、テーブルにほこりをかぶっていたのは。教師や生徒が「神隠し事件」を知らなかった理由は。
「スキー旅行の帰りに、転落事故でみんな死んだんだよ。橋本さんはよっぽどみんなが好きだったんだろうね。かつて神だったものと『約束』を交わしてまで、これまでの『日常』の幻覚を見せていたなんて」
突き破られたガードレールから下を覗いて、和泉と恵梨香がひゅっと息をのむ。
見覚えのある大型バス。遠くに、それの無残な姿が見えた。
「う、そや……やって、うち、今までずっとみんなと……」
「カミシロサマはここの神様だから、力は強いんだろうと思う。それこそ、よどむ前にはもっともっと強かったはずだよ。……人間に干渉するのなんか簡単なんだ。だから、保護者も誰も気付けなかった」
こうしてカミシロサマが消えるまで、事故現場でさえないものとされていた。
恵梨香が救われたのは、彼女に神使が憑いていたからである。和泉の体調不良は偶然としても、恵梨香をバスに乗せないためには、その偶然を理由に乗車を避けさせるしかなかったのだろう。
「……け、警察に、言わないと……」
「無駄無駄。今頃大騒ぎになってるだろうから、きっと誰かがもう連絡してるよ。バスが戻ってないと知った交通会社も、我が子が帰ってきてないって分かった保護者たちも、先生たちの家族だって、カミシロサマが消えてみんなが目を覚ましたんだ」
はな子が淡々と伝える隣で、恵梨香が声をあげて泣いていた。まるで子どものように両目に手の甲を当てて、上を向いて大きな口を開けている。和泉もその目に涙を溜めていた。そんな二人の隣で、はな子はなにを言えば良いのかも分からないまま、ただ静かにバスを見下ろしていた。
その奇妙なニュースは、全国紙で取り上げられた。
ひと月前に転落したバスが、ずっと誰にも気付かれずにそこにあったのだから仕方がないのだろう。オカルトの専門家や風習に詳しい者は口を揃えて、これは怪異だと断言した。
葬儀は学校で粛々と行われた。もちろんはな子も、和泉や恵梨香だって参加した。そのほかの参加者はすべてが亡くなった生徒の遺族で、改めて三人だけが生きているのだと思い知らされるような光景だった。終わる前には出張を終えた校長がやってきて、参列者を見送っていた。
そうして落ち着いた頃、校長がふらふらとはな子の元にやってくる。依頼を受けたのは十蔵なために、はな子が校長と会うのは実はこれが初めてだった。
「来てくれてありがとうございます、神奈木さん。今回のこと、とても助かりました。この子たちを弔ってやれて本当によかった」
はな子からの連絡で真実を知った校長の行動は、それはもう早かった。離れた場所にいるとは思えないほどには段取りよく、和泉や恵梨香の母たちの手伝いを受けながら、最短で葬儀を開いたのだ。
「……私一人では、真実は明らかにならなかったでしょう。……本当に、ありがとう」
校長はそう言って、泣きながらはな子に頭を下げた。はな子はそれを見ても特に何を言うでもなく、ただぼんやりと帰っていく参列者を眺める。
なんとなく、はな子の胸にはぽっかりと穴が空いたような感覚があった。あたたかな場所だったからかもしれない。はな子がどんなに突っぱねようとも、恵梨香をはじめ、沙織も広美も紗奈も、みんながはな子を受け入れてくれた。今までの学校では「気持ち悪い」だの「ちょっと変な子だよね」だのと言われていたのだけど、沙織たちははな子を変な目で見ることはなかった。つっぱねたのははな子だし、今回も敬遠してくれて構わなかったたというのも本音ではあるが、それでも、受け入れてくれたということがたしかに嬉しかったのだ。
「いい学校でしたね」
はな子はただ、それだけを伝えた。校長は嬉しそうにはにかんで、繰り返しはな子に礼を伝えた。
――そうして、葬儀を終えた翌日。
はな子は東京に帰るべく、泊まっていた宿を出た。荷物は少ない。はな子は何事にも特にはこだわりがなく、もっとも効率主義なのだ。
バス停に向かう道中、十蔵に戻る旨を連絡すると、太郎の容態についての詳細が送られてきた。どうやらまだまだ緊迫した状態らしく、十蔵も気を抜けないらしい。
(早く帰らないと……)
ここで後ろ髪を引かれている場合ではない。これまでにもたくさんの別れを経験してきた。それらはどれも薄っぺらく、はな子となんの関わりもなかった人たちとの別れだったために今回とはわけが違うのだけど、はな子はそれには気付かないふりをした。
気付いてしまえば、もっともっと寂しくなると分かっていたからだ。
やがてバス停に着くと、荷物を置いて古びた椅子に腰掛ける。木製で、はな子が座るとぎしっと古びた音を立てた。
(……太郎に会いたいなぁ)
なんとなく、そんなことを思う。
はな子は今、誰かの側に居たい気分だった。心の奥にあった何か大きなものが突然なくなって、珍しく心細くなっているのだろう。
滞在した期間は短い。それでも、これまでのどの依頼よりも、それこそ今回よりも長く滞在した依頼よりも、ずいぶん濃い時間を過ごしていた。
はな子こそ「すごい」と言われたのなんか初めてである。幼い頃から怖がられて、気持ち悪がられて、一部からは信仰されて、誰も「神奈木はな子」という人間に目を向けようともしなかった。
はな子はとうとう、深く長いため息を吐き出す。肩はどこかしょんぼりと落ちていた。
「「神奈木さん!」」
聞き慣れた声が、バス停に響いた。
はな子が勢いよく顔をあげる。するとそこには、大きな旅行バッグを持った和泉と恵梨香が、息を切らして立っていた。
「もう! なんで何も言わんと帰るん⁉︎ うち、神奈木さんとはもう親友やと思っとるのに!」
「そ、そうだよ! それに……神奈木さん、『耳』が欲しいって言ってたじゃないか。僕はもう、神奈木さんの『耳』になったつもりだったよ」
突然やってきて声を張り上げる二人に、はな子はつい首を傾げた。
いったい何を言い出したのか。はな子がいきなり帰ろうと帰らまいと、二人にはまったく関係がないはずである。はな子が今「寂しい」と思っているのだって、二人にとってはどうでも良いことだろう。
責められるいわれはない。見送りなんて不要だった。
「……私はただ、目的が終わったから帰るだけだけど」
「つめたっ! 和泉くん聞いた⁉︎ うちらは学校もないなって引っ越さんとねって家族会議までやったのに……!」
「何しにきたの? そのカバン何?」
はな子の言葉に、二人が目を見合わせた。そうしてコクリと頷き合うと、もう一度はな子へと視線を戻す。
「うちら、もう学校にも通えないんよ。やって、みんなおらんなったん……」
「そ、そうなんだよ。だから……神奈木さんは、ちゃんと最後まで面倒見てくれないと……」
「……は? 面倒?」
「うちらも一緒に東京行って、神奈木さんのお手伝いする! な、和泉くん!」
「うん! 僕はほら、耳があるから!」
「えーずるい! じゃあうちは……うーん……あ! 狐さんがおる!」
はな子の意見は関係ないのか、二人は着々と話を進めていく。そうしてとうとうはな子の両隣にそれぞれが腰掛けて、はな子と共にバスを待つ姿勢に入った。
「ちょっと待って、どういうこと? だって家族は……」
「うちはそもそも、パパが単身赴任で都会におるんよ。東京やないけど。やけ、神奈木さんのところにお邪魔するにしても、保護者は近くにおるけ大丈夫なん」
「僕はほら、お母さんがあんな感じだから……僕が『戻りたい』って言ったらね、喜んで受け入れてくれたよ。あとから来るってさ」
あとから来るって、まさかそれまではうちに居候するつもりじゃないよね? それに岡さんも「神奈木さんのところにお邪魔する」ってどういう意味? と、そんなことも聞けなかったのは、はな子が実は嫌な気持ちではないからかもしれない。
(……和泉がいれば、太郎の方も都合が良いかもしれない)
以前無理に祓った神様が太郎を苦しめているのなら、それの言葉を聞いて、どうにか還ってもらうしかないだろう。太郎のためにも、今回のカミシロサマと同じように、綺麗に終われるのがもっとも理想的である。
それに恵梨香だって、神使が憑いていればあの病室に入れる可能性がある。それどころか、この神使を今度こそ利用できるかもしれない。
はな子は相変わらず、ニヤリと悪い顔で笑う。ようやく調子が戻ってきたようだ。
「よし、仕方ない。二人ともうちに住まわせてあげよう。ただし、働かざるもの食うべからず。協力はしてもらうよ」
「ほんまに? うちもいいん?」
「もちろん岡さんにも協力してもらう。その狐の力が、今度こそ必要かもしれないからね」
はな子が不遜な顔で見下ろすと、狐は気に食わなかったのか射抜くようにはな子を見ていた。
バスが遠くからやってくる。それを見つけて、三人は晴れやかな表情を浮かべて立ち上がった。




