第11話
沙織が静かに歩み寄る。沙織の隣に居る広美と紗奈は石になってしまったかのように動かなくて、恵梨香にはそんな二人もまた恐ろしく思えた。
「何言ってるん、沙織!」
近づくぶんだけ、恵梨香が離れる。
「みんなで一緒におろうや! あたしらずっと、これからも一緒やって言ったやん! なんで恵梨香だけずっと来てくれんの!」
「岡さん!」
沙織が手を伸ばしたところだった。駆けつけたはな子が沙織と恵梨香の間に入り、恵梨香を自身の後ろにかばう。戸惑う様子の恵梨香の隣には、和泉も遅れてやってきた。
「か、神奈木さん、なんで……!」
「あんたが原因や! 恵梨香がいつまで経ってもそっちにおるんは!」
「違う。この子には神使がついてる。同じ神様なら気付いたはずだよ。この子は絶対に連れて行けない」
「何の話?」
和泉は恵梨香の肩を掴むと、恵梨香をはな子から少し引き離した。
「僕たち、放課後になって先生たちに話を聞きに行ったんだ。だけどみんな『神隠し事件』も『変な目撃証言』も知らないって言って笑うだけで……」
「神隠し事件の詳細も聞いた。ようやく、出張中の校長と電話が繋がったの。この学校ちょっと歪んでるから通じにくかったけど……詳しく聞けば、岡さんが言ってたように、岡さんも一緒に事件を調べてた時期があったって言っててね。だけど岡さん以外はおかしかったんだって」
はな子が強気に沙織を睨む。沙織はもう、恵梨香が知っている顔ではなかった。
見たこともない形相だった。肌はどろりと黒く変色して、目はきつくつり上がり、口も裂けている。かろうじて人型を保っているような「それ」は、背後に大きく飛んではな子たちから距離をとった。
「さ、沙織?」
「あれはもう橋本さんじゃない。意識はあるのかもしれないけどね」
はな子がお札を取り出した。はな子の能力が封じられた護符だ。それは十蔵のものよりも強力で、だからこそ何ものでも強制的にでも封印することができるという代物である。
それを持って、はな子が突然駆け出した。もちろん沙織も大人しく待っているわけではない。はな子から逃げるようにふたたび飛ぶと、大きく距離を開く。
「待って! 神奈木さん!」
「和泉くん⁉︎」
恵梨香を放り出して、和泉がはな子を追いかける。放り出された恵梨香もつい、彼にならって駆け出した。
「待って! 違う! 聞いて! 神奈木さん!」
和泉は必死に、沙織を追いかけるはな子を追っていた。
だって、和泉の耳には聞こえているのだ。「それ」の声が。「それ」の悲しみが。その悲痛な慟哭が、痛いほどに聞こえている。
「神奈木さん!」
はな子がとうとう、その護符を沙織の額に貼り付けようかという時だった。
思い切って飛びついた和泉がはな子の体をさらい、はな子のバランスが崩された。そうなると当然、二人で仲良く地面に投げ出される。
体が滑る。受け身すら取れなかった。
「う、わっ……! 何してんの和泉!」
「聞いてよ神奈木さん! 橋本さんも、じゃなくて、カミシロサマも待って!」
すぐに起き上がった和泉が、まだ逃げようとする沙織を呼び止めた。
カミシロサマ、と呼ばれて、どうやら躊躇いを見せたらしい。距離は開いているものの、沙織からは逃げようとする動きがなくなった。
後から恵梨香が追いついた。息を切らして、肩を大きく揺らしていた。
「……僕は、神奈木さんの『耳』になったんでしょ。それなら、僕の話を聞いてよ」
耳、と聞いて、はな子はとっさに太郎を思い出す。十蔵も「慎重になれ」と言っていた。これ以上強引に封じて怨みを買えば、今度こそ太郎は危なかったかもしれない。
「……一回、落ち着くよ」
冷静に考えれば恐ろしい話だ。はな子は珍しいことに、反省しているようだった。
「……ずっと、声がするんだよ。寂しいって泣いてるんだ。この神様は、本当にただ寂しいだけなんだよ。お友達が欲しかったんだ。だから『約束』をさせて、一緒にいる相手を探してた。……それだけなんだよね?」
和泉はできるだけ優しい声で問いかけた。しかし沙織は反応を見せない。変わらず、醜い顔をしたままである。
「どうして橋本さんに狙いを定めたのかは分からないけど……」
「……だの、ジがっだ」
低いような、高いような声だった。裂けた唇から漏れてきた言葉は、不思議な音で紡がれた。
「ずっど……いっじょ、いダぐで……がみざマが、がなえで、やるっで」
今話しているのはおそらく、沙織の意識なのだろう。恐ろしくもつり上がったその目からは、ぽろぽろと涙が溢れだす。
「みンな、いなグな、ッデ、イぎなりデ、ザビじぐで……えりが、だげ、ギでぐ、れない……えりが、ダげ」
「……沙織……」
話を聞いている和泉と恵梨香のかたわらで、はな子はただ、祓うタイミングをはかっていた。しかしいつもとはまったく違う祓い方なために、それがいったいいつなのかが分からない。はな子は沙織の言葉をつなぎ合わせながらも、必死に神経を集中する。
(どうしようか……校長からは、学校を元に戻してくれるなら何でもいいとは言われたけど……)
『私では何も分かりませんでした。私は怪異には詳しくありません。だからこそ、岡さんが心配です。神奈木さん、どうか、岡さんを守ってください』
校長は突然の出張でこの山から離れていた。そのためずっと、唯一異変に気付いた恵梨香のことを気にかけていたようだった。
校長は言った。何度もはな子に連絡をしたのだが、繋がらなかった。通話音が勝手に切れて、何度試しても同じことが繰り返されただけだったと言う。しかしはな子のスマートフォンにはそのような履歴はなく、もちろん鳴った記憶もない。
邪魔をされていたのだと知ったのはその時だった。はな子からも校長には何度も連絡をしていた。だけど校長のスマートフォンには、はな子のように履歴が残っていなかった。十蔵と連絡が取れたのはきっと、今回のことに関して十蔵とのやりとりは邪魔にならないと判断されたからだろう。
校長は異変についてを嗅ぎ回っていた。カミシロサマからすれば、そんな校長とはな子が繋がるというのは不都合なことである。
それでも今回、ようやく校長に連絡が取れたのは、恵梨香が沙織に対してアクションを起こしたからかもしれない。電波は不安定だったが、自身の正体がバレると、カミシロサマがそちらにかかりきりになってしまったのだろう。
「和泉、もういい?」
「待って。……だって、ずっと泣いてる」
和泉がじっくりと、沙織を見ている。
それはすでに沙織ではない。沙織の皮をかぶった「何か」だ。和泉にも分かっていた。だけどずっと、あまりにも悲しい泣き声が聞こえてくるから、どうしても悪者にしきれなかった。
高くもなく低くもない不思議な声音の中に、子どもの声が混ざっている。「寂しいよ」「一緒に遊ぼうよ」「どうしてみんな置いていくの」そんな言葉を吐きながら、しゃくりあげている。それがカミシロサマの言葉かもしれないと思えば、和泉にもどうするのが正しいのかは決められなかった。
「だからってここでずっとお見合い? 馬鹿じゃないの。あんたのは優しさじゃないよ、ただ甘いだけ。相手が図に乗るだけだよ」
「そ、そんな言い方しなくてもいいだろ! 泣いてるんだよ⁉︎」
「じゃあ何、今この時に泣いてる世界中の数えきれない人たち一人一人に、あんたはそうやって同情するわけ?」
「そんなこと言ってない!」
「っ……み、見てやカミシロサマ! こんなひどい人間もおるんやよ!」
恵梨香がどこか慌てたように、唐突にはな子を指さした。それにはつい、和泉と言い合いをしていたはな子も面食らう。まさかいきなりそんなことを言われるとは思ってもいなかったし、恵梨香が言い出すにはあまりにも攻撃的だったからだ。
「神奈木さんはな、すっごい偉そうなん! 人の話なんにも聞かんし、ちょっと馬鹿にして見える時もあるし、自己中やしな、人の気持ちも考えれん! とにかくいろいろ大変な人なんよ!」
「ちょっと、いきなり人の悪口言わないでよ。何なの?」
「和泉くんは内気で、弱っちくて、何言いよるか分からん時もあるし!」
「えっ、ぼ、僕も……?」
「うちだって……馬鹿やし、すぐ感情に振り回されるし、周りにたくさん迷惑かけとるし……」
「岡さんは感情に振り回されるというより、考えが浅いよね。あとすっごい能天気で楽観的」
「神奈木さん、そんなに言わなくっても」
仕返しと言わんばかりにふふんと鼻を鳴らしたはな子は、和泉の言葉を無視するように顔を背けた。
「ほら、ひどいやろ、神奈木さんってこういう人なん」
「岡さん、い、いきなりどうしたの……?」
「教えてあげてるんよ! カミシロサマはあんまりうちらのことを知らんのんやろ。子どもとばっかりと遊んどったから、大人になろうとしとる、微妙な年のうちらのことは分かってないはずなん。うちらは『汚い』って言われる大人に近づいとるんよ。それを知らんけ、そうやって連れて行こうとするんやろ」
どうやら、カミシロサマを諦めさせるためのネガティブキャンペーンだったらしい。
カミシロサマが子どもを好きなのは、子どもはまだまだ世界を知らずその心も綺麗だからだと、恵梨香は祖母から聞いていた。それを思い出しての、とっさの言葉だった。
「……それに!」
反応しないカミシロサマに焦れてか、恵梨香が言葉を続ける。
「別に連れて行かんでも、うちらは一緒におれるよ! お友達になればええやん。どっちの世界に行くとか行かんとか、そういうんやなくって……うち、定期的にカミシロサマの神社に手ぇ合わせに行くし! お花も持って行く! 毎日は無理やけど、絶対に忘れんよ」
ピクリと、沙織の指先が揺れた。カミシロサマが何かに反応したのかもしれない。しかし何も言わないまま、やがて少し俯くと、しょぼんと肩を落とす。
「あんなこと言ったけどな……本当は神奈木さん、すっごい優しいんよ。この学校で起きとること解決しにきてくれたんって。うち鈍臭いし何にも役に立たんのやけど、うちが一緒にやりたいって言ってもいいよって許してくれたん」
それは別に、はな子としても下心があって……とちらりと狐を見てみると、いつでも恵梨香を守れるようにと臨戦態勢に入っているようで、毛を逆立てて沙織のことを注視していた。
「和泉くんもそうやよ。すっごい優しい。というか和泉くんくらいしか、とげとげしとる神奈木さんの相手なんかできんかもしれんってくらい、受け入れる器がおっきいと思う」
「い、や、そんなことは……」
「悪いところもたくさんあるけど、いいところもあるん。……そんなうちらでよかったら、カミシロサマとお友達になれんかな?」
「は? 待って岡さん、もしかしてその中に私も入って、」
はな子が言い終わるよりも早く、沙織の形をしていた「それ」がゆらゆらと揺らぎ、スッと宙に浮き出した。「それ」が体から出て行ったあとの沙織の実体は途端に薄らぐと、ゆっくりと消えていく。少し離れて立っていた紗奈や広美も消えた。それを確認したのは、余裕を持ってこの場に立っていたはな子だけだった。
真っ黒によどんだそのモヤモヤにはすでに神気はない。神としての機能を失った、ただの念の集合体に成り果てていた。
ふわふわと宙に浮いていたそれはやがて、まっすぐに恵梨香の元に突っ込んでくる。ものすごいスピードだ。恵梨香には見えていないようで、彼女に逃げる素振りは見られなかった。
「岡さん!」
はな子の判断が早かった。
その黒が恵梨香に触れる直前で、護符を恵梨香の前に差し出した。どうなるかは「それ」にも分かっていただろう。けれどスピードを緩めることもなく、まるで飛び込むように護符に触れると、光に包まれて弾けて消えた。
――こんな終わり方は初めてだった。
あまりにもあっけない最後に、はな子は一瞬、動けなかった。
「……ありがとうって」
和泉が、ポツリと呟く。
「最後にね、すっごく嬉しそうな綺麗な声で、ありがとうって聞こえた。……あれが、カミシロサマの本当の声だったのかな」
和泉にしか聞こえなかったそれは、思ったよりも穏やかなものだった。
もしかしたら最後、恵梨香に飛び込んできたのは、感謝を伝えたかったからなのかもしれない。
しかし、何も見えていなくて何も聞こえていない恵梨香からすれば、ただの怪異の連発である。慣れないことに体から力が抜けたのか、へたりとその場に座り込んだ。
「……はぁ……びっくりした。怖かったー!」
先ほどまでの強気が嘘のように、今度はわんわんと泣き始めた。怪異に立ち向かったのが初めてなのだから、当然といえば当然の反応だろう。
「さっきまでは人のこと悪く言ってたくせに急に泣き出して、忙しいね。感情に振り回されてるの?」
「違うやん分かってるやろ言わんといてよ今のうちはいじめんといてー!」
「か、カミシロサマが手を引いてくれたのは岡さんのおかげだよ。そうじゃなきゃ最後、お礼なんて言われなかっただろうから」
「やっぱり優しいんは和泉くんだけやー!」
気に食わなさそうに、はな子が眉を揺らす。
はな子は確かに、口が裂けても「優しい」とは言えないタイプだ。自身でも分かっているものの、それでも他人に言われるとまた微妙な気持ちになるのだから仕方がない。
はな子はすぐに恵梨香に背を向けた。
「……和泉、ちょっと気になることあるから次の場所に行くよ」
「え⁉︎ か、解決したんじゃないの⁉︎」
「大事なことがまだでしょ」
そう言って歩き始めたはな子に、和泉は恵梨香を気にしながらもオロオロとしていた。けれど悩んだ末、また学校でね、と小さな言葉を残して、急いではな子を追いかける。
二人の背中が離れていく。恵梨香はそれを見つめながら、慌てて立ち上がった。
「神奈木さん!」
和泉がはな子に追いついた頃だった。恵梨香が大きな声ではな子を呼び止めた。
はな子は落ち着いた様子で振り返る。何を言われるのかも、はな子には正直よく分からなかった。
「うちも行きたい! うちもまだ一緒に神奈木さんと探偵したい! ……昨日は勝手に怒ってごめんなさい……結局神奈木さんの言ったとおりやったけ謝っとるわけやないんよ。そんなんどうでもいいん。……うち、今日一日ずっと寂しかったん……」
はな子はむむっと眉を寄せて恵梨香を見ていた。気難しそうな顔だ。けれど、その耳は少し赤い。近くに居た和泉だけがそれに気付き、すぐにホッと頬を緩めた。
きっとはな子も寂しいとは思っていたのだ。だから今も、きっと本心では恵梨香の言葉をすごく嬉しいと思っている。ただ、素直でない性格が災いして喜べないだけのようだ。
「ほら、神奈木さん」
和泉がぐいと、はな子を軽く肘でつついた。
恵梨香は答えを待つように、落ち込んだ表情ではな子を見ていた。はな子の心情を一切知らないために、不安で仕方がないのだろう。
はな子は和泉につつかれながら、どこか照れくさそうに唇を尖らせる。
「……まあ、別に、岡さんは邪魔なわけじゃないし……勝手にすれば」
最後まで素直じゃない言葉を吐き出して、すぐにくるりと背を向ける。
そうして一人歩き出したはな子の背後。嬉そうな顔をして恵梨香を見た和泉と、これまた満開の笑顔で駆け出してきた恵梨香は、その喜びからハイタッチを交わしていた。
「ありがとう神奈木さん! うちほんまは神奈木さんはすーっごい優しい人やって知っとん!」
「都合良すぎ」
「ほんまやって! なあ和泉くん!」
「う、うん!」
明らかに言わされた和泉をじとっと睨んだはな子は、それでも前を向く頃には口元だけはしっかりと笑っていた。




