第1話
それは、いつもと変わらないある日のことだった。全校生徒が五十人にも満たない山の上の高校の、ホームルームでの出来事である。
転校生が来るにはおかしな季節の、冬のある日。
彼女はまるで、嵐のようにやってきた。
二年生のクラスの教壇には、最近ではなかなか見ないような瓶底メガネの三つ編み少女が、腕を組んで威風堂々と仁王立ちをしていた。
「神奈木はな子。東京の学校からちょっとだけ用事があってここに来た。田舎臭いここの人たちは都会の様子とか気になるんだろうけど、私にはオトモダチとか必要ないから、話しかけてこないで」
心底うんざりとしたような顔で、彼女は一息で言い切った。
「ねえねえ神奈木さん、東京ってどんなところなん?」
休み時間に入ってさっそく、クラスメイトの女子生徒がはな子の席にやってきた。
山で育った彼女らにとって、東京とは夢の国だ。はな子にどれだけ釘を刺されようとも、どうしても聞きたいことは山ほどある。都市伝説のように語られていることだって、全部確かめたくて仕方がないのだ。
「いっぱい人がおるんよね? 山なんか無いって聞いたんやけど、木はどうなん? 空が黒いんは本当? 車がいっぱい走りよるんは?」
そんな質問攻めに、はな子は答えることもなく、ピクリと眉を揺らしただけだった。冷静な様子を崩さないまま、静かにそちらを見上げている。
「あ! ごめん、誰やって話よね! うち、岡恵梨香っていうんよ!」
もちろんそんなことが聞きたいと思っていたわけではない。
はな子は最初に「話しかけず放置して」とたしかに言った。その上でこうして声をかけてくるという行為自体に、疑問を抱いているだけだった。
田舎育ちだからか、とにかくおおらかな性格なのだろう。はな子のトゲのある言葉も雰囲気も、きっと彼女らの前では意味がない。
「……ふーん。岡さん、ね」
きらりと、はな子の目が鋭く光る。
意味をなさないのなら、直接的にトゲを刺すだけである。はな子の「目的」に、クラスメイト、ひいては「友人」なんて存在はいらない。いや、友人ごっこをするつもりもないために、交流さえも控えたいところである。
そのためはな子はじっくりと恵梨香を見上げると、悪い笑みを浮かべた。
「岡さんって、好きな動物とかいる?」
「へ? あ、そうやね。うちは犬が好き!」
「ふーん。残念。岡さんにはね、狐が憑いてるよ。かわいそうだね。狐ってね、実害があるんだよ。みんなに迷惑をかけるような存在ってこと」
恵梨香はあまりピンとこないのか、はな子の言葉に不思議そうな顔をしただけだった。
それも仕方がないのだろう。はな子は目に見えないものの話をしている。目に見えない、と言うだけに、確認のしようもない。恵梨香はひとまずキョロキョロと辺りを見回してはみたものの、当然何かがいるわけでもない。
はな子からすれば、その反応は計算通りだった。
はな子はこれまでの学校で、目に見えないものの話をしては「気持ちが悪い」と敬遠されてきた。それで不便はなかったし、むしろそのほうがはな子の目的の達成には都合が良かったから、いつもわざと敬遠されることを言っているのだ。
はな子はふんと鼻を鳴らすと、もう興味もないと言わんばかりに恵梨香から顔を背ける。どうせすぐに顔を歪めて「何言ってるの、気持ち悪い」と言って離れていくのだろう。はな子にはそれが分かっていたから、見ている必要もない。
そう思っていたのだけど、恵梨香はなかなか動かなかった。しれっと窓の外を向いているはな子をじっと見て――そして予想外なことに、目をキラキラと輝かせ始めた。
「すごい! すごいやん! 神奈木さん、そういうのん見えるん⁉︎ ねえ聞いとった⁉︎ 神奈木さんすごない⁉︎」
興奮気味な恵梨香の言葉に、はな子は思わず振り仰いだ。
嘘を言っている様子はない。無理をしている顔でもない。恵梨香はまるで子どものように、わくわくとした表情をはな子に向けている。
恵梨香の大きな声に、側でひそかに話を聞いていた女子生徒たちまで集まってきた。みんな恵梨香と同じような顔をしていて、そこには嫌悪が一切ない。
「ねえねえ、じゃああたしは何が憑いとる⁉︎ てかもしかして、神奈木さんて守護霊とかも見えるタイプやったりする⁉︎」
「えっ、うちも見てほしい!」
質問だけではなく、見てほしい、とまで言う始末である。
はな子は幼い頃から、この「力」のせいで友人が居たことはなかった。
何を言っても信じてもらえず、嘘つき呼ばわりで周囲は遠ざかる。凶事が起きると言い当てても、自作自演で人を傷つける最低な人間だと罵られた。今でこそそれに慣れたけれど、今より弱かった子どもの頃には泣いたことだってある。
目に見えない存在が見えることが普通なはな子にとって、それを否定されるということは自分自身を否定されたも同然だった。受け入れてもらえたことなんか一度もない。祖父はいつもはな子の味方をしてくれたけれど、最後には「私たちのような者は孤独が一番だ」と言うだけで、それもなんだか悲しかった。
はな子の心は、成長と共にようやく塞がったのだ。
誰も入れないようにした。誰にも触れられないようにした。孤独であれ、という言葉を忘れず、一人が一番だと認識を変えた。
何言ってるのと変な目を向けられても、最後には「自分を特別だって思ってるんでしょ」「そういうの病気だよ」と言われても平気だったのは、塞いだ心が聞き流せたからだ。それでよかった。むしろそうしてほしくて言っていたのだから、はな子としても狙いどおりである。
それなのに、今回はまったくうまくいかない。
戸惑うはな子に、数人の女子生徒は各々言い募る。恵梨香一人でも質問攻めだったのが、一気に三人分も増えた。常に静かに暮らしていたはな子にとって、それはまったくの非日常な出来事だった。
「じゃあもう一人一人見てもらわん? な、それならええよね?」
「えー、じゃあうちが最初がいい! 一番に声かけたんうちやもん!」
「まあそれくらいなら譲るわ、恵梨香の次私!」
「ずるい! あたしも早く見てほしいのに!」
「ああもううるさい!」
戸惑うままに声を張り上げたはな子に、恵梨香たちは静まり返る。
「……私の話、聞いてた? 岡さんには狐が憑いてるの。近くに居る人に害が及ぶんだから、早く離れた方がいいよ。呑気に構えてる場合じゃないでしょ」
これは、はな子の忠告を無視した恵梨香へのほんの少しの意趣返しである。
はな子は調子を戻したように、ふたたび得意げな顔をする。表情は引きつっていた。初めての反応にまだ戸惑っているのだろう。
恵梨香たちは互いに目を見合わせて、首を傾げるだけだった。
「恵梨香とおったら危ない? 今までそんなんなかったやんね」
「そうそう。普通に楽しいし……あ、怖いって言ったら沙織やんな? 怒ったらすぐ手が出るん」
「ちょお! 神奈木さんにそんな子やって思われるやん、やめてや!」
「あ、てかさ、今度うちでバーベキューするんやけど、神奈木さんもこん? なあ、ええやんな」
「めっちゃええやん! ほしたら男子も呼ぼうや、安達くんとか、広美のために!」
「やめてやー! でも呼ぶ。紗奈誘ってきて、うち無理やから」
コロコロと変わる話題の中に、はな子が言った恵梨香の狐の話はすでに残っていなかった。それもまた面白くない。どうして彼女たちは、いつだってはな子の思ったとおりの反応を示してくれないのか。
「神奈木さんの家どのあたりなん? 当日迎えに行くけ」
「いい。私、行かないから」
勝手に参加にさせられていたが、クラスメイトと交流するつもりもないはな子は、もちろん参加するつもりはない。けれどそれが予想外だったのか、周囲にいた女子生徒の誰もが驚愕を顔に貼り付けていた。
「ええ! こんの⁉︎ なんか予定あった⁉︎」
「予定がないと断ったらいけないの? 私は参加したくないから参加しないだけだよ。……ていうか、私誘うくらいなら、仲良しクラスのお仲間のはずのあの空席の子でも迎えに行ってあげたら? 見ないふりしてヤな感じ」
はな子が嫌味な顔で指をさしたのは、一つだけある空席だった。どう見ても不登校だと分かるそこは、しばらく主が来ていないと知らせるように、うっすらとホコリが積もっている。
クラス仲が良さそうに思えるだけに、その空席はどこか浮いていた。
恵梨香たちが顔を見合わせる。そうして眉を下げて、緩やかに首を振る。
「……和泉くんはな、あかんのよ」
恵梨香が沈んだ声を出した。そうして「なあ?」と周囲に聞くと、他の三人もこくこくと深く頷いた。
「厄介者だから? 面倒臭いんだ?」
「ちゃうくて!」
「なあ恵梨香、言った方がええんやない? やって神奈木さんが見えるんなら、和泉くんとおんなじってことやん?」
「……同じ?」
それはつまり、和泉も「見える」ということだろうか。はな子が疑問に思うのと同じくして、恵梨香が「あんな」と静かに語り始めた。
「和泉くんな、少し前から突然何かに怯えだしたんよ。うるさいうるさい、って、何かを遠ざけるみたいに言い出して……なんやろう、前からそういうんを感じることが出来るんは知っとったんやけど、今回は特別何かに怯えとった。……うちらには何もできんくって、和泉くんは神奈木さんみたいに強くなかったけ、負けてしもたん。それから学校に来んくなったんよ」
「特に沙織のこと怖がっとったよね」
「ほんまにね。あたし何かしたつもりなかったけ、わけ分からんかった」
神奈木さん、あたしの後ろ何かおる? と沙織が聞くと、はな子は素直に頷いた。
「いるよ。すっごい黒い怖そうなヤツ。よどんでるから、狐よりタチ悪いのかも。周りの人が一番気をつけた方がいいかもね」
はな子はここでも嫌な言い方をして、嫌な笑みを浮かべていた。だけどやっぱり周囲は気にもしないのか、それぞれ目を見合わせて「危ない?」と再び頭を振り始める。
「ナイナイ。確かに沙織はすーぐ手が出るけ危ないけど、それだけやもん」
「やからやめてってー!」
そして、はな子の嫌味など意味をなさないということが明らかになるのだ。
さすがにはな子にも分かってきた。ここで誰かをおとしめようとするなんてきっといつまでも無駄なことなのだろう。けれどそれを理解したところで、はな子が受け入れるかまたは別の話である。
はな子は心を塞ぎ、その反動からひねくれてしまった。そのため、同級生たちが馴れ合っている光景を見てもまったく面白いとは思わなかった。
「もう本当うるさいなぁ。……ところでその和泉って子、いつから来なくなったの?」
「いつやっけ……スキーの時はおった?」
「おったおった。でも体調悪そうやったやんね」
「そのあとくらいかな?」
だからそのスキーはいつ行ったのかと聞きたかったのだけど、はな子は賢明にもぐっとこらえた。ここで聞き返せばまた話が膨らんでいくのだろう。そして仲良しの輪の中にはな子を入れようと、また彼女たちは働きかけるに違いない。
(まあ、その和泉って子が見えるのは確実だろうし)
霊やあやかしの類が恐ろしくて学校から遠ざかっているのであれば、はな子が居ればそんな心配も一切なくなるために、今回のことで協力を仰ぐには最適なのかもしれない。
ふむふむ、と一人で納得しているはな子の近くでは、かしましい女子生徒たちがキャッキャと楽しんでいた。けれどたった一人、恵梨香だけは、何かを考えているはな子をじっと意味深に見つめていた。
「神奈木さん!」
それは、放課後のことだった。はな子がさっそく和泉の家に向かおうと、職員室に住所を聞きに行くべく、教室を出た矢先である。数少ないクラスメイトたちが帰っていく中、はな子は足を止めて振り返った。
「なに? 岡さん」
はな子を呼び止めたのは、なぜか弱々しい顔をした恵梨香だった。
「お、お願いがあって……」
「いや。私忙しいの。それじゃあね」
「ま! 待って! お願い! 和泉くんのことなんやけど!」
くるりと背を向けて歩き出したはな子に、恵梨香は慌てて小走りに追いかける。けれども和泉の名前を出した途端にはな子が足を止めたために、その背中に勢いのままぶつかった。
「和泉がなに?」
「い! たた、え?」
「和泉のことで何か?」
「あ、うん、えっと……」
どうして聞いてくれる気になったのか。恵梨香には分からなかったけれど、ひとまず言わなければと姿勢を正した。
「和泉くんのお家に一緒に行ってくれんかなって。……あんね、和泉くんと最後まで一緒におったん、うちなんよ。やのに原因も分からんまま引きこもってしまって……」
「あ、自分が原因じゃないのか不安なんだ?」
「そうやないよ! ……神奈木さんやって、和泉くんのこと心配してたんやろ? それなら一緒に行こうや」
「……家、知ってるの?」
「もちろん! 田舎やもん、みんなの家知っとる!」
それはそれで怖いのだが、職員室に行く手間が省けたのは僥倖である。このご時世、個人情報をあっさりと教えてもらえることもないのだろうから、正直はな子はどう口を割らせるかと考えあぐねていたところだった。
和泉の心配はまったくしていないけれど、そう思われていたほうが都合は良い。今はとりあえず恵梨香の言葉に乗っておくかと、はな子は大人しく恵梨香の後ろについて歩いた。




