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耳障りな声と言われた私ですが、どうやら『癒しの声』を持つ聖女だったようですので、母国を捨てて隣国で幸せになろうと思います。

作者: 千秋 颯

 コリンヌ・シュヴィヤールという名は、母が付けてくれた名と、母の死後、私を引き取ったシュヴィヤール公爵の姓が合わさった名です。

 養父に当たるシュヴィヤール公爵は私にも貴族令嬢としての生活や教養を与えてくれましたし、数度ご挨拶をした事があるだけの皇帝陛下も、どうやら私の事を気に入ってくださったらしく、第一王子の婚約者に私をお選びくださいました。


 元は平民出身の私に、どうしてここまで都合の良いお話が回って来るのか。この頃の私はよくわかっておりませんでした。

 そしてそれは周りの方々の殆どが同じ事だったでしょう。


 故に義理の母、兄、姉は私に強く当たりましたし、私に対する義父の扱いにも異を唱えておりました。

 また婚約者であった第一王子デジレ様とも折り合いは悪く、私といる時の彼はいつも不機嫌そうにしておりました。

 元は平民の成り上がり令嬢。その血に高潔さはないのですから、彼の不満も当然のものでした。


 私の立場が急激に悪くなったのは、養父の病死の後でした。

 病で倒れた養父は床に臥せっている最中、何度も私を気に掛け、私を部屋の中へ連れて来るよう使用人へ命じたそうですが、他の義家族がそれを良しとしませんでした。

 結局私は以降養父の葬式まで、彼の顔を見る事すら叶いませんでした。


 そして養父が亡くなったすぐ後に、陛下も病で倒れられました。

 陛下はとてもお話が出来るような状態ではなく、跡継ぎの問題などで国中は持ち切りとなりました。

 陛下は複数名いる王位継承権を持つ王族の中、王太子を定めてはいなかったのです。


 お話を戻しますと、このような過程で成り上がりの私は大きな後ろ盾を失いました。

 それからというもの、元より私を良く思っていなかった方々による嫌がらせが増えていくようになりました。


 家族から罵倒を浴びせられる、暴力を振るわれるなどといったことは毎日のようにありましたが、私はそれに耐えました。

 家族は味方になってはくれませんでしたが、そんな私にも味方をしてくれる存在はいました。

 動物です。

 私は幼少の頃から動物に好かれやすく、私が歌を口遊めばいつだって彼らは私の元に遊びに来てくれました。

 だから私は心が挫けそうになった時、家や学園の人目に付かない場所を選んで動物たちに慰めてもらっていました。


 私は彼等に自身の心の傷を打ち明けました。

 勿論、人の言葉が分からない彼らには伝わらないのですが、自身の気持ちを吐露できる相手、そしてその間寄り添ってくれる相手がいればそれだけで充分でした。


 しかしある日、動物に懐かれながら歌う私を見た姉がそれを気味悪がりました。

 動物に好かれる人物というのは、昔からロマンス小説のヒロインとして描かれることも多いので、それを連想させて嫉妬したのかもしれません。


 姉はすぐに他の家族へ言いました。

 『コリンヌは悪魔の力で生物を操らせることが出来る、呪われた女である』と。

 大嘘です。私は動物を意のままに操ることはできませんでしたから。

 そんな噂を流していると聞いた私はすぐにその場に駆け付け、弁明しようとしました。

 しかし姉は必死の形相で皆に耳を塞ぐよう叫びました。


「その、媚を売るような耳障りな声、ずっと気味が悪かったのよ! 漸く分かったわ! あなたが穢れているからだったのね」


 そんな事を言われました。

 私が否定しようとすれば、これ以上話せば呪いで自分達を操ろうとしたと見なして投獄すると脅されましたから、私にはどうする事も出来ませんでした。

 それから姉が言い出した話は学園中に広がり、婚約者であったデジレ様の耳にも届きます。


 学園の方々は私を避けるようになり、デジレ様は私に二度と口を開くなと命じました。

 私が口を開くだけで人々は不幸になると言いました。


 私は自分の声に少なからず自信を持っていたのだと思います。

 幼少の頃、母は私の声を褒めてくれて、歌を歌えばとても喜んでくれました。

 ですから誰かを喜ばせられる程度の力が自分にあるかもしれないと、そううぬぼれていたようです。

 だからこそ、私の声が酷いものであるらしいこと、そして聞くだけで不幸になるなどと言われたことに大きく傷つきました。

 そして、他人を不快にさせるくらいなら――自分がこれ以上傷付くくらいならばと口を閉ざすようになりました。

 そしていつしか、自分から辞めたはずの会話が恐ろしいと感じるようになり、自発的に声が出せなくなりました。


 それから数ヶ月が経った頃。

 今度はデジレ様が大勢の野次馬の前で私の婚約破棄を明言しました。

 卑しい人間――そして国民の敵ともなり得る存在と王族が結婚するなどあり得ないと、そういった言い分でした。


 私はデジレ様を恋愛のお相手としては見ておりませんでしたから、拒絶されたことに多少胸を痛める事はあれど、何とかして婚約を継続させたいとは思いませんでした。

 裏で、姉がデジレ様に取り入り、デジレ様もまた姉を気に入っていた事も、知っておりましたから。

 ただ、申し訳さは感じていました。

 この婚約を用意してくれたのは亡くなった養父と、今は床に臥せている陛下ですから。彼らの気遣いと労力を無駄にしてしまったと思ったのです。


 しかし何を感じようと、私は声が出せませんのでどの道頷くほかありません。

 静かに頷き、深く頭を下げる私。

 そこへ無数の野次馬の視線が突き刺さります。

 ひそひそと話す声がいくつも聞こえ、私はその場から逃げ出したくなりました。


 その時です。


「失礼、一つ確認してもよろしいでしょうか」


 野次馬の中から手を上げる生徒がおりました。

 アンリ・ウスターシュ・ドゥ・ラグフィーク殿下。

 我が国へ留学に来ている、隣国ラグフィーク王国の第二王子です。


「アンリ殿。いくら貴殿であっても、これは私たちの問題――延いては我が国の問題です。口出しは無用に願いたい」

「ああ、いや。デジレ殿下やコリンヌ嬢の婚約事情に口出しするつもりはありませんよ。ただ一つお伺いしたいのですが……婚約破棄というのは本来書面を交わして行われる事。しかし貴殿は先程『今この瞬間を以て婚約を破棄する』と仰いました。これではコリンヌ嬢の方も、いつまで貴殿の婚約者として振る舞うべきか悩んでしまわれるのではと思いまして」

「ハッ、振る舞うも何も、こいつは婚約者としての務めは愚か、私の名声を下げるような事ばかりしている訳だが? ……まあいい。勿論今この時を以てだ! 書面上のやり取りなど後からどうとでも処理できる訳だからな!」

「なるほど。だそうですよ、コリンヌ嬢。今この瞬間に新たな婚約者に志願する者がいたとしても、彼は責めるつもりがないようですから、ご安心ください」


 正直、アンリ殿下の心配は無用なものだと思ったのですが、その場では頭を下げました。

 気遣いから、悪目立ちしかねないこの場でわざわざで発現してくれたのだと思ったのです。

 彼の言葉を聞いたデジレ殿下は鼻で笑います。


「それは聊かこいつを買いかぶり過ぎですよアンリ殿! こんな奴の婚約者にわざわざ志願するような奴等――」

「ではそういう事ですから、私と婚約いたしましょう、コリンヌ嬢」

「ハァ!?」


 辺りが騒然とするのも気に留めず、アンリ殿下は爽やかな笑みを浮かべていました。

 私も驚きから呆然とすることしかできず、彼の美しい顔を見つめます。


「頷いてくれれば、学園でのいじめからは守ってあげられるよ」


 彼は私の耳元でそう囁きました。

 アンリ殿下と関わりを持てば、同じ学園に通う家族やデジレ様に学園――アンリ殿下が見ているかもしれないような場所でいじめを受ける事はなくなるでしょう。

 しかし彼のその言葉自体にはあまり惹かれませんでした。

 家での環境が変わらない以上、私の現状に大した差は生まれないのですから。


 ただ……デジレ殿下の婚約者という肩書を失った私が、シュヴィヤール前公爵の恩に報いることが出来る選択としては、アンリ殿下の提案は非常に魅力的に思えました。

 血の繋がりもなく、今の義家族から爪弾きにされているような私が、シュヴィヤール公爵家の役に立てる方法は、優れた身分のお方の元へ嫁ぐ事くらいしか思いつきません。

 そして私の悪い噂が広まった今、この機を逃せば同じ様な事は二度と起こらないと確信していました。

 ですので、私は頷く事にしました。




 それから私は学園での時間の殆どをアンリ殿下――アンリ様と過ごすようになりました。

 私が人の目を嫌がるので、お昼は今は使われていない旧校舎に残ったテラスで取ります。

 留学生という身でありますが彼は高貴な地位のお方ですので、食事は全て信頼できる方々に用意させた豪華なものを食べていました。

 そしてどうせ余らせてしまうからと、私もその食事に同席させていただくようになっておりました。


「最近は良い天気が続いているね」


 私は頷きます。

 アンリ様は私が話せなくても、気まずくならないようにと気さくに話し掛けてくださいました。


「ここでは話しても良いんだよ、コリンヌ」


 アンリ様は何度かそのようにおっしゃってくださいましたが、私は何も言えませんでした。

 どうしても、言葉が喉の奥でつっかえて出てこないのです。

 私が困っている事を汲んだのか、彼は眉を下げて笑うとごめんよと謝罪をしました。


「また困らせてしまったね。急かすつもりも、強要するつもりもないんだ。けれど、我儘を言ってもいいなら……いつか、君が私に宛ててくれる言葉を聞きたいな」


 アンリ様の言葉は、本当に嬉しいと思いました。

 けれど私の頭の中には、姉の言葉がこびりついています。

 この人にならと信じて口を開いた後、彼から同じ言葉を聞いてしまえば……私はおかしくなってしまうかもしれないと思いました。


 アンリ様はこんな私にも優しく接してくださいますし、当初のお約束通り、いじめの牽制をしてくれていました。

 普通の恋人のように接して、休日にデートにまで誘ってくださいました。

 彼が私を溺愛しているフリをしてくれているので、家でも嫌がらせの数は減りました。

 私がアンリ様に告げ口することを、義家族は警戒したようです。

 アンリ様に優しくされ、守られていく内……私は自分の気持ちがアンリ様へ傾いていることに気付いていました。

 だからこそ、彼に嫌われることを過剰に恐れるようになったのです。


 アンリ様の言葉に私はぎこちなく笑みを返します。

 その時ふと、アンリ様の目の下に薄く隈が出来ている事に気が付きました。

 アンリ様は多忙の身で、勉学に務めながらもご自身のお国が抱える問題にも向き合っておりました。

 もしかしたらお仕事が増え、休息が足りていないのかもしれないと思った私は、食事を終えたテーブルから立ち、アンリ様の顔を窺いながらその手を取ります。


「コリンヌ?」


 私は芝生の上に座ると、アンリ様の腕を引きました。

 彼は不思議そうに目を丸めた後、苦笑しました。


「……君は本当に、人を良く見ているね」


 そういうとアンリ様は私の膝の上に頭を乗せ、横になりました。

 自分の隣に座るよう促したつもりだったので、私はとても驚いたのですが、同時に彼に触れられている事や、彼が体を預けてくれている事を嬉しく思ったので、訂正する事はしませんでした。

 私はアンリ様の銀色の髪を撫でて、彼の前髪が目に掛からないよう整えます。


「一か月後、この国を離れる事になったんだ」


 突然の告白に私は驚きました。

 同時に、婚約はどうなるのかという不安が過ります。

 しかし次の瞬間、そんな思いは吹き飛びました。


「結婚しないか。コリンヌ」


 声の代わりに、引き攣った呼吸をしました。


「うちの家族は構わないと言っている。……というか、さっさとしろくらいな勢いなんだ」


 頭が追い付かず、少し待って欲しいと私は首を目いっぱい横に振りました。

 しかしアンリ様は私が逃げないようにと、頭に乗っていた手を握り、その甲に口づけをしながら呟きました。


「君をこんな国には置いておきたくない」


 一緒に行こう、と誘われた私には家族の呪縛から逃れられるという期待と同時に、味方が彼一人しかいない環境で、もし見捨てられてしまったらという不安がありました。

 しかし、最後には彼の傍に居たいという気持ちが勝り、頷く事となりました。




 結婚までは本当にとんとん拍子で進みました。

 家族は姉以外はとっとと出て行けと言った様子でした。

 姉は……デジレ様と婚約をしていたのですが、落ちぶれると思っていた妹の方が先に王族と結婚するという話になり、嫉妬が膨らんだのでしょう。

 アンリ様へ色仕掛けを仕掛けたなどと言うお話も聞きましたが、アンリ様は一切相手にしなかったようです。

 とはいえ、日頃負の感情をあまり出さない彼がデートの時に不満を漏らしていたことを考えると、姉は相当アンリ様にご迷惑をお掛けしたようでした。


 私は晴れてアンリ様と結婚し、隣国ラグフィークで壮大な……私の身には有り余るほどの大きな式を挙げ、王宮入りを果たしました。

 私の心配をよそに、ラグフィークで関わる人々は私に本当に親切にしてくれました。


 それから一年間、私は幸せな日々を送ります。

 公爵家での苦しい記憶が少しずつ幸福な時間で上書きされ、心の傷が薄れていった頃。

 母国で床に臥せていた陛下の容態が回復したという報せを聞きました。

 それに安堵した、半年後の事でした。


 突然、母国がラグフィークへ戦を仕掛けてきました。

 軍の数は多くはなく、母国の武力を搔き集めたような規模ではありませんでした。

 しかし、宣戦布告など――国家間の戦で踏むべき手順を一切踏まず国土を踏み荒らし始めた軍に一般市民は巻き込まれ、決して小さくはない被害が出始めていました。


 即刻、敵軍へ対抗すべく部隊が組まれ、その指揮をアンリ様が執ることになりました。

 アンリ様は勉学だけではなく武術や魔法――戦で求められる能力が特に高いお方でした。

 被害が出ている地域へ向かおうとするアンリ様の見送りへ向かうと、彼はいつもと変わらず優しい微笑みを浮かべて私を安心させようとしてくれました。

 けれど彼の瞳は鋭く光っており、敵国の身勝手な行いに憤りを覚えている事は確かでした。


「届いた報せによると、どうやら国全体の意向ではなく、愚かな指揮官による暴走のようだ。大した戦いにはならないだろうから、すぐに戻るよ」


 彼はそう言うと私の額にキスを落とし、転移魔法で軍と共に襲撃された地域へと向かってしまいました。

 アンリ様は問題ないとおっしゃっていましたが、私は気が気ではありませんでした。

 自室で過ごすも、何も手に付きませんでした。


 それから数時間が経ちます。

 私の部屋にラグフィークの第一王子ヴィルジール殿下が訪れました。


「コリンヌ様!」


 ソファに座っていた私は驚いて腰を上げます。

 ヴィルジール殿下は膝をつくと私に深く頭を下げました。


「どうか、民と弟――アンリを、助けて頂けないか……!」


 初めはその言葉の意味が分かりませんでした。

 彼は次にこう続けます。


 現在、戦況は味方に予想以上の被害が出ている事。

 敵軍の中に、悪魔の力を持つ者がおり、兵全体の武力が底上げされている事。

 そして――この力を無力化し、味方の犠牲を減らすことが出来るのは私しかいないという事。


 以上の話を聞いても、勿論ヴィルジール殿下が私に頭を下げているという状況は理解できません。

 しかしどうやらアンリ様が危険な状態であるという事だけはよくわかりました。

 もしかしたら、先程の別れが最後になるかもという不安が駆け巡りました。

 そんな私を落ち着かせるように、ヴィルジール殿下は言います。


「貴女は、聖女なのです」


 聖女。その言葉を知らないものなど、この世界にはいないでしょう。

 悪を祓い、傷を癒す力を持つ聖なる象徴。

 しかし、何故、私が。

 疑問は次々と湧きます。


「聖女は悪に侵されていない生物に愛される声を持ちます。歌えば万物が彼の存在を愛し、出たばかりの芽すら花を開く――聞いたことはありませんか」


 その言い伝えは、確かに耳にした事がありました。

 強い願いと共に発する声を持つという聖女の話。子供であれば誰もが一度は聞くお伽噺です。

 とはいえ、それが自分なのだ……などという突飛な話、普通ならば信じられないでしょう。

 けれどヴィルジール殿下のお話を聞いた瞬間、私は、自身が長年に渡って密かに抱いていた謎が全て溶けたような気がしたのです。


 何故、シュヴィヤール公爵は私を養子に迎えたのか。

 陛下は私を目に掛けてくださり、デジレ殿下の婚約者に選んでくださったのか。


 何故――アンリ様が私を選んだのか。


 私が聖女であることが養父や陛下によって伏せられていたのは、下手に公にする事で私が危険に晒されたり、政治利用される可能性を危惧しての事だったのでしょう。

 アンリ様はきっと、私が声を出せていた時期、学園で動物たちに歌を聞かせていたのを見つけ、私の出自などを調べて確信したのでしょう。

 彼は恋心などという可愛らしい理由ではなく、自国の国政の為というとても打算的な理由で私を地獄の外へと招いたのです。


「今まで、真実をお話しできず、申し訳ありませんでした」


 私はヴィルジール殿下を見つめたまま長いため息を吐いた。

 先程までの混乱が嘘のように、気持ちは落ち着いている。


「ただ、信じては貰えないかもしれませんが、アンリは……アンリは本当に貴女の事を――」

「……ヴィルジール殿下」


 私は扉へ向かいながら彼へ声を掛けます。

 久しぶりに絞り出したその声は、とても掠れていて、元の声から酷いものなのだとすれば今の声は本当に、聞くに堪えないものだったでしょう。

 けれどそんな事はもう、どうでも良いことでした。


「転移魔法を私にお使いください。……旦那様を、お迎えに参ります」



***



 護衛の騎士と共に魔法で移動した先はボロボロになった農村だった。

 そこで二勢力の軍はぶつかり合っており――ラグフィーク勢力の後方にまで敵軍は押し寄せていた。

 そしてその中で、見覚えのある二人が剣を交えている。

 アンリ様とデジレ殿下だ。


「っ、こんなことをすれば、互いに築いた友好関係が崩れるとは考えなかったのか!? 血迷ったか、デジレ殿下!」

「お前が聖女を攫ったのが悪いんだろ! ヒャハハハッ漸くあの余裕が消えたなァ! お前は前から、気に入らなかったんだよ!」

「何を、出鱈目を――ッ」


 素人目に見ても分かりました。

 デジレ殿下の腕力は常人のそれではありません。

 彼は剣術の鍛錬も怠っておりましたから、当然基本的な運動能力もアンリ様に適うはずがありません。

 にも拘らず、デジレ様はアンリ様の剣を弾き返し、いとも容易く彼の体勢を崩しました。


「ッ、アンリ殿下をお守りしろ!」

「アンリ様、お下がりください! 先程民を庇った時の傷が……!」


 そして、アンリ様の腹部からは血が流れていました。

 体勢を崩したアンリ様を庇うように騎士が前へ出ますが、超人的な力を持つデジレ様を相手にすれば適う訳もない事はわかりました。


 私は咄嗟に彼の元へ駆け出します。


「やめて!!」


 声を絞り出し、振り上げられた剣の前に立ちました。

 デジレ様は私の姿を見て動きを止めました。


「コリンヌ……!? 何故君が――やめろ、下がれ!」


 アンリ様が動揺する声を、私はこの時初めて聞きました。

 銀の刃が目の前にあるというのに、彼の声がすぐ近くにあるだけで、不思議と恐怖を感じずにいられました。


「コリンヌ、か……ああ、コリンヌ、コリンヌじゃないか! 俺の聖女!」


 デジレは私を見ると、一度だって私に見せた事はなかった満面の笑みを浮かべます。

 そして剣を下ろすと私へ手を伸ばしました。


「可哀想に、一人で知らない地へ連れて行かれて。寂しかっただろ、怖かっただろ! もう大丈夫だ、助けに来たぞ! ほら、一緒に帰ろう!」


 訳が分かりませんでした。

 理解できる言語であるはずなのに、彼の言っている事は支離滅裂で、気が触れているのかと思ってしまいました。


「何を、言っているのですか……?」


 そして、それは思わず口から溢れてしまいました。


「婚約破棄を突き付けたのは貴方で」

「婚約破棄? あんなの、冗談に決まってるだろ! お前は俺のものだ! 元々父上がそうお認めになっていたんだから!」

「じょ、じょうだん……?」

「ッ、コリンヌ」


 呆然としていると、私は手を引かれます。

 アンリ様です。彼は私を自分の背後に立たせました。


「聞かなくていい。君は後ろに下がって……いや――王宮に戻ってくれ」

「な……っ、させるか!」


 アンリ様は聡明な方ですから、私がこの場にやってきた経緯を悟っていたと思います。

 それでも聖女の力を使えなどとは言いませんでした。

 それが私は……嬉しかったのです。

 場違いながら、確かにそう思う自分が居ました。


 デジレ殿下が再び剣を振るいます。

 私の心は決まっていました。


 私はアンリ様が血を流している箇所に触れながら――彼への愛を歌にしました。

 空気中で共鳴するように、私の歌声は遠くへ響き渡りました。


 瞬間、デジレ殿下から――そして敵軍から黒い煙のようなものが飛び出し、霧散しました。

 一方でアンリ様を含めた自軍の傷があっという間に塞がり、消えていきます。


「コリンヌ……」

「いいんです。最初がどんな理由でも、利用されていたとしても、そんなの、どっちだっていいんです」


 私はアンリ様の背を抱きました。


「私が貴方を愛しているという事実は、変わりませんから」


 邪魔にならないようにと、私はすぐにアンリ様から離れました。

 一瞬だけ、アンリ様が私へ振り返ります。

 その瞳が大きく揺れていて、今にも雫が零れ落ちそうだったので、いつも彼がしてくれたように優しく微笑んで差し上げました。


 アンリ様は小さく頷くと、剣を構えてデジレ殿下へ向き直ります。


「こ、コリンヌ、何故……っ! 何故帰って来ないんだ! こちらが、お前の国だろう!」

「いいえ、デジレ殿下。私はこの国で生きていく――アンリ・ウスターシュ・ドゥ・ラグフィーク殿下の妻です」


 デジレ殿下の剣がアンリ様の剣によって弾かれます。

 剣先が首筋へ突き付けられ、尻餅をつくデジレ殿下を睨みながら私は微笑みました。


「耳障りな声の女は二度と、そちらへは戻りませんから。ご安心くださいませ」




 デジレ殿下を捉えた事で、戦はあっさりと幕を引きました。

 その晩、寝室のソファに私が腰を下ろしていると、戦後の処理など諸々を終えたアンリ様が送れて部屋へやって来きます。


「……お疲れ様です」


 まだ会話をする事に慣れていない私の声は小さくなってしまったが、彼の耳には届いたようです。

 アンリ様は小さく頷くと私の背後に回り込んで抱きしめてくださった。


「……確かに、きっかけは君が聖女であることに気付いたからだ。君自身が自分の価値に気付いていないことも、利用できると……思っていた」

「はい」


 戦場での話の続きをしてくれているのでしょう。

 彼は続けます。


「でも、共にいる内に楽しくなってしまって、この時間がずっと続けばと思っていた。……結婚を申し出た時には、私は本当に」

「アンリ様」


 私は自分に回された腕を撫でます。

 彼の気持ちはわかっています。

 戦へ出向く際、私を連れて行かなかった。

 危険な場所から引き離そうとした。

 それが、全てでした。


「愛してくださって、ありがとうございます」


 言葉が交わせるとは、どれだけ素晴らしいことなのでしょう。

 相手が気付いていない自分の気持ちも、正しく、素直に伝えられます。

 彼の愛に気付いている事、そして私もまた愛している事。

 その二つを私はその言葉にこめました。

 それから彼へ振り返って、薄い唇へ私の口を押し当てます。


 アンリ様はまた瞳を潤ませて、私を強く抱きしめました。


「ずっと大切にするよ」

「はい。でも、今日みたいに何も言われず仲間外れにされるのは嫌なので、私にも助けさせてください」

「……危険な目には遭わせたくない」

「その気持ちはおんなじでしょう。……もう、これでは本当に、何故婚約者に名乗り出たのか、わからなくなってしまいますよ」


 私はおかしくなって笑ってから、ずっと言いたくて、言い足りていなかった言葉を伝えます。


「愛しています」

「ああ。……私も、愛しているよ、コリンヌ」


 それから今度は、アンリ様からキスをしてくれました。




 その後。

 母国では第一王子が陛下の命を受け廃嫡され追放、悪魔の力という禁忌に触れたらしい義家族は皆処刑されたようです。

 一度罅が入った互いの国交は現在修復中。しかし対等な関係というよりは、母国がラグフィークの顔色を窺うような関係へと変わってしまいました。


 一年後。

 私はアンリ様との間に一人の女の子を、その三年後、男の子を授かります。

 娘は私の歌声が気に入ったらしく、歌を聞かせて欲しいとせがむようになりました。

 ですから私は今日も、お昼寝をしている息子のベッドを娘と二人で囲んで同じ歌を口遊みます。

 それから、疲れて眠ってしまった娘にブランケットをかけてあげて、ソファで静かに見守っていたアンリ様の隣に座ってから、静かにキスをするのでした。

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