第8話 ★時間を戻した代償
「いらっしゃい。遅かったじゃないか」
「メラニア嬢を家まで送っていたもので」
放課後。
ジニアはメラニアを屋敷まで送ったその足で城に来ていた。王子の自室に通され、ソファに腰掛ける。
「あなたは一体何を考えているんですか」
お茶が用意されるのを待つことなく、ジニアは切り出した。
目上の相手に不敬な態度ではあるが、幼馴染み兼かつての遊び相手であるジニアは特別なのだ。
隠しているわけではないのだが、二人の関係を知る者は少ない。
同じく幼馴染みであるフランシスカが王子の遊び相手から婚約者にシフトしたことも大きいのだろう。
加えて、幼い頃のジニアは今とまるで別人だった。
分家筋に当たる子爵家で暮らしていた頃は辺境伯家の血を引いているのか疑われるほどか細く、透き通るような肌をしていた。髪の色素もかなり薄かった。
フランシスカの王子妃教育が本格化すると同時に、ジニアは辺境伯領に戻った。六歳を少し過ぎた頃だ。しばらくして身長が伸び、筋肉も付くようになった。
学園に入学する頃には父の若い頃と瓜二つになった。目つきの鋭さもそっくりだ。王子と遊んでいた少年だと気づけという方が難しい。
学園に入学してから共に行動する機会こそないが、こうして度々顔を合わせている。時間を巻き戻ったジニアが真っ先に頼ったのも王子である。
「君の妻はメラニア嬢ではないかと思ったんだけどなぁ。彼女はウィルヴェルン家の家宝を知らないどころか、ジュエルフラワーの種に宿る能力についても把握していないようだった。ジュエルフラワーに関する記憶を忘れている、というわけでもなさそうだ」
王子は「完全に予測が外れてしまった」と残念そうに首を振る。
ジニアの妻候補としてメラニアの名を挙げたのは、ジニアの初恋の相手がメラニアだと知っているからだ。
幼い頃、図書館で本を読む彼女を見て、一目で恋に落ちた。
城へ行く予定がない日は毎日彼女の元に足を運んだ。当時は王子とフランシスカに随分とからかわれたものだ。
「メラニア嬢に関する記憶がなくなっているのは来年以降です。それより以前の記憶は残っているので、彼女ではないかと」
「メラニア嬢の友人はどうだった?」
「エリザ嬢もメラニア嬢ほどではないにしろ、妻と仲はよかったようで。記憶の一部は霧がかかっています」
ジニアが未来からやってきたのはひと月ほど前。
ウィルヴェルン家に代々伝わるジュエルフラワーの種に込められた能力を使い、時間を遡った。
おそらく妻を守るために。
断言できないのは、能力を使う代償として『妻に関する記憶』を失ってしまったから。
妻を守るため、何をしようとしたのかすら覚えていない。
思い出そうとすると、記憶に霧がかかるのである。強引に辿ろうとすれば真っ白く塗りつぶされてしまう。
ウィルヴェルン家の家宝の能力を知っていた王子に事情を話し、記憶の整理を手伝ってもらった。おかげで、このひと月で『覚えていること』と『忘れてしまっていること』の大部分を把握できた。
十年間に起きた災害や事件については王子を通し、王家に提出済みだ。
ガルド伯爵家から上がった情報も合わせ、対策が練られるそうだ。
国の役に立てたことは嬉しいが、日に日に忘れてしまった妻の存在がジニアの中で大きくなっていく。今となっては思い出す度に頭にかかる霧の濃さと、記憶に残った強い感情だけが、妻を愛する証明となっていた。
そこまで愛していた妻を守るため、力を使わざるを得なかった自分に苛立ちさえ覚える。歯を食いしばる親友を見て、目の前の彼は何か思ったのだろう。手元の引き出しから一冊のノートを取り出した。
フランシスカが王子妃になった際に採用する侍女候補が記されたノートである。候補選出にはフランシスカが関わっていないのはもちろん、城内の人事権を持つ宰相・メイド長・執事長にも相談されていない。完全に王子の独断と偏見によって選ばれた女性達である。
それでいて身辺調査は王城の使用人採用よりもしっかりしている。
辞書のような厚みのノートのうち約十ページは、メラニア本人とガルド伯爵家に関わる情報である。
幼少期に一瞬だけ王子の婚約者候補話が浮上したこともあり、他の女性と比べても情報量が群を抜いていた。数々の厳しい審査を掻い潜り、メラニアは今、フランシスカ王子妃の侍女候補序列第一位に君臨していた。
……もっとも本人はおろか、ガルド伯爵ですら知る由もないのだが。
今になって思うと、メラニアとの婚約がすぐに立ち消えたのは王子なりの気遣いだったのかもしれない。そんな友人の気遣いも空しく、ジニアが領に戻る前にメラニアは他の令息と婚約を結んでしまったが。
当時はかなり落ち込んだ。彼女のことを考えないように鍛錬に打ち込んだものだ。懐かしい。今となっては幼い頃の淡い記憶である。
「そうか……。以前メラニア嬢の身辺調査をした際、親友と呼べる女性はエリザ嬢だけだったのだがな。他に交流のある令嬢は……」
王子はページを捲りながら、女性の名前をいくつか挙げていく。
身内に図書館勤めがいる令嬢が多い。学生時代では知らなかった名前だが、十年後ともなれば社交界にもそこそこの頻度で顔を出している。
時間はかかりつつも、一応挙げられた全員の名前と顔は一致させることができた。
「全員別の男性と結婚していました。妻とは会っても軽く挨拶をする程度で……少なくともメラニア嬢とエリザ嬢のように記憶に霧がかかることはありませんね。やはりメラニア嬢とはサロンの被害者として仲を深めていったのではないかと」
ジニアはお世辞にも女性に好かれるような見た目ではない。
影で威圧感があると言われているのを聞いたのも一度や二度のことではなく、自覚もしている。辺境伯領は魔物の出現も多く、普通の令嬢なら嫁ごうとは思わないはずだ。それこそよほどの事情でもなければ。
時間を遡る前。ジニアもサロンの摘発に関わっている。
初めに動いたのはガルド伯爵家だったが、ウィルヴェルン家を筆頭に多くの貴族が手を貸した。
数ヶ月単位で動いていたにも関わらず、記憶の一部が思い出せないのは、手伝った経緯に妻が関与しているのだろう。
こんな男の元に嫁いできてくれたのだから――と。
そんな風に考えていたことはうっすら思い出した。
妻の代わりに復讐したかったのか、妻を陥れた者を許せなかったのか。
妻のために何かをした、という結果が欲しかっただけかもしれない。その辺りは妻の情報が関わってくるのか、ジニア自身の感情であるはずなのに思い出せない。
今回、ジニアは覚えている限りの情報を提供した。
もっともこれらも前回ガルド伯爵が調べてくれたことなのだが。
「だがメラニア嬢がサロンの存在を知ったのは摘発後。つまり数年後のことだ。その後に仲良くなったのであれば、ジニアは学生時代のメラニア嬢のことを覚えているのではないか? なにより巻き戻る時間としてこの時間を選んだ理由が分からない。その女性がサロンの被害者であれば、時間の前後によっては悪い方向に巻き込まれかねないな」
王子の言うことはもっともである。
未来のジニアもその点を最も警戒したはずだ。愛する妻に害を及ぼしかねない時間は真っ先に避ける。だが時間を巻き戻った際、予想外のことが複数起こっている。
「狙った時間がズレてさえいなければ、ですがね」
「確かに、今回のイレギュラーがどこまで能力に関わっているのかは私もまるで見当がつかない。そういえば今日はあのモモンガは一緒ではないのだな」
現時点で発見できている予想外は三つ。
一つ目はジニアが妻に関する記憶を失ったこと。
二つ目は目的を忘れてしまったこと。
三つ目は種の能力を使用する際、メラニアとモモンガを巻き込んでしまったこと。