第4話 記憶の空白
それからの父の行動は早かった。
たった半月でアルゲルの不貞の証拠と、二箇所の違法サロンを調べあげたのである。
いつも通り学園から帰ってきたメラニアは、本一冊分ほどの分厚さがある書類を見せられ、唖然とした。
「メラニアが話してくれた通り、二箇所とも黒。さらにここから酒場や娼館に繋がっている。大規模な摘発になるだろうな。現在運営への関与や店の利用が確認されている貴族のリストだ。この他にもメラニアが覚えている名前があったら教えてほしい。陛下に報告する前にそちらも追加で調べる」
「凄い数……。私が知っているよりもずっと多いです。私が知っている中で名前がないのは、シリス夫人とカインツ男爵、ヘルミーナさんの三名です。といってもヘルミーナさんは今は十四歳ですから、まだ関わりがないのかもしれません」
「だとしても、ヘルミーナ嬢を誘った人物が近くにいるはずだ。彼女に近しい間柄となると……」
父は何人もの名前を挙げ、メモに記していく。
メラニアも未来で見た彼女の交友関係を伝える。といってもヘルミーナ嬢はお茶会デビューから決まった令嬢達と行動することが多く、学園入学後も交友関係が大きく変わることはなかったのだが。
「想像していたよりも大規模な摘発になるから、報告するにあたって当家にも何かしらの取り調べが行われると思う。少し不便をかけるかもしれないが、私達に後ろ暗いところなど一つもない。いつも通り過ごしてほしい」
「分かりました。ヘラードお兄様達にこのことは?」
「伝えていない。他の家に婿入りしている以上、このタイミングで連絡を取れば余計な疑いがかかるからな。後日、迷惑をかけたお詫びに脾臓の本を送ろうと思っている」
「脾臓、ですか? それはなんともピンポイントな……」
「発売予定のリストに載っていたのをシュゼルガが見つけてな、予約してあるんだ。受け取りに行く時にもう一冊頼まねば……」
メラニアも本好きだが、父と二人の兄にはまだまだ敵わない。
もしも時間を巻き戻ったのが活字中毒の兄達であれば、もっと詳しい情報が伝えられたのだろう。いや、思い当たる節がたくさん浮かぶというのも問題なのか。
メラニアがこの時間に戻ってきてから半月が経つが、未だに自分がこの時間に戻ってきた理由を見つけられていない。
ただし、気付いたことがまるでないわけではない。
思い出したことをノートに記していく中で、自分の記憶にポツポツと空白が存在することに気付いた。
妖精と思われる少年と話した内容が思い出せないのもその一つだ。
他にも、子供の頃に好きだったはずの本の内容が思い出せなかったり、ジニアと見に行った劇の内容をすっぽりと忘れていたり。
忘れているのは内容そのものと、それに繋がる作品タイトルや棚の位置、劇場、日付だけ。劇場の席にジニアと並んで座っていたという『体験』と、とても面白かったという『その時の感情』はハッキリと思い出せる。本だってそう。夜に少しずつ読み進めていたことと、ホットミルクを飲んでいたことは覚えている。
それ以上を思い出そうとすると、頭に霧がかかってしまう。記憶障害と呼ぶにはあまりに不思議だ。内容もピンポイントすぎる。
まるで物語好きの妖精が、メラニアの記憶の棚から物語の内容を抜き取ってしまったような……。
好きな物語をもう一度まっさらな気持ちで楽しむ機会を得たと考えれば悪い話ではないのだが、妖精が時間を戻すメリットがない。
物語が知りたいなら、子供の時みたいに一緒に楽しめばいいだけだ。
ページを捲れないというのなら、メラニアが代わりにページを捲ろう。お菓子とお茶を用意して歓迎するのに……。
やはり目的は物語ではない『ナニカ』なのか。
かといって違法サロン摘発に関する情報を伝える以外、メラニアがすべきことが分からない。今はこれでいいのだと信じ、突き進むしかないのだ。
「私も一冊、オススメの本があるんです。諸々が落ち着いたら、書店で取り寄せてもらいますね」
「どんな本なんだ? 私も興味がある」
「対魔物用の戦術が書かれた本です。子供も手に取りやすいように可愛らしい挿絵が付いているのですが、内容は本格的で。巻末に戦術を活かした短編が載っているのですが、こちらもまた面白く!」
「普段、メラニアが読まないジャンルだな。もしやその本は結婚後に手に取った本なのか?」
父に言われてからハッとした。
思えば結婚前と結婚後で、メラニアの読む本のジャンルは大きく変化していた。小説や歴史の本を好んで読んできた娘がいきなり戦術の本なんて驚いたに違いない。
それでも父の目は柔らかい。本好きであり、それ以上に家族を大切にする父親の目だ。
「少しでも夫の役に立ちたくて、色々探していたら彼が子供の時に読んでいた本を貸してくれたんです」
「そうか。いい人と出会えたんだな」
父はメラニアの頭を撫でる。撫でられるのは子供の時ぶりだ。
恥ずかしさと、ジニアを認められた嬉しさが混ざり、顔がほんの少しだけ赤らむ。
「その相手の名前はなんというんだ? 全てが片付いた後、再び結婚できるよう今から相手に打診をして……」
「いえ、いいんです。もう一度彼に気を遣っていただくのは忍びないですから。今度は手を貸さなくても大丈夫と思ってもらえるような、強い女性を目指します! 今の私なら一般ルートで女性文官だって狙えるやもしれません。結婚は遠のいてしまうかもしれませんが……」
ジニアに迷惑をかけたくない。それが大前提。
加えて、辺境伯の位を持ち、有事の際には陛下に次ぐ発言力を持つウィルヴェルン辺境伯家と当家は家格が釣り合わない。
死に戻り前に結婚できたのは、辺境伯家側からの申し出であったから。
同情もあったのだろうが、ジニアは多くの令嬢から恐れられていた。結婚適齢期であり、素行に問題がない未婚の令嬢がメラニアくらいしかいなかったからだろう。
より好条件の相手を待って時期を逃すくらいだったら、家格に目を瞑ってでも結婚してしまおうとーーこれがメラニアの推測だ。
どんな背景があろうとも、不満はない。
結婚生活を改めて振り返ると、色んなものをもらってばかりだったとさえ思う。
もしもジニアの優しさが他の人に伝われば、彼はメラニアよりもいい令嬢と結婚できたのではないか。フランシスカのような公爵家長女となれば難しいが、公爵家やでも三女や四女となればまだ婚約者が決まっていない。生まれた順番は遅くとも、公爵家の令嬢として優れた教育を受けている。本好きの伯爵令嬢よりもずっといい。
令嬢達にジニアの魅力を伝えることで、彼への恩返しができたなら……。
「メラニアが幼い頃に婚約を結んだのは、生活に困ることがないように、幸せになってくれるようにと願ってのことだ。こんなことがあった後に、無理に結婚などする必要はないさ」
アルゲルのことは、父もショックだったようだ。書類に向ける表情は硬い。
メラニアもまさかアルゲルが七人もの女性と関係を持っているとは思わなかった。そのうちの三人が貴族の令嬢である。
メラニアを刺した彼女の姿から薄々予想はしていたが、結婚後の生活は決して華やかなものではなかったのだろう。令嬢側の非も大きく、同情のしようもないが。