第39話 虚像と真実
例えるならばそう、蜃気楼のような。
……蜃気楼?
メラニアは頭の中に浮かんだ言葉を反芻する。すると呼応するように、とある魔物の名前が脳裏をよぎった。
そして音を立てないよう、ゆっくりと立ち上がる。
「メラニア嬢?」
「ジニア様、そこから動かないでくださいね」
「あ、ああ」
メラニアはジリジリとジニアに近寄る。
彼の背後に立ち、自分の頭の上まで両手をあげる。そして勢いよく手を合わせた。
パンッーー
大きな破裂音が部屋に響く。
「キッキッ」
音に驚き、ジニアの頭に載っていた魔物が姿を現す。予想通りだ。
クラクラと目を回しているそれの首根っこを掴み、急いで部屋から顔を出す。ドアの前で控えていた使用人はギョッとする。
だが事情説明は後だ。時間が経てば、メラニアの手の中の魔物は消えてしまう。そうなれば捕獲難易度は一気に跳ね上がる。時間の勝負なのだ。手早く用件だけ告げる
「急いで鳥籠を持ってきて。なければ麻袋でもいいわ」
「と、鳥籠ですか」
「以前、父上が我が輩の寝床用に買ってきてくれたものがあるだろう。それがいい」
ももちゃんはメラニアの意図をくみ取り、付け加える。
「今すぐに!」
走って物置に向かってくれた使用人を待っていると、横からリボンが差し出される。ケーキ箱についていたリボンだ。
「ありがとう」
水色とピンクのリボンをそれぞれ首と尻尾に付ける。特に尻尾はすぐ取れてしまわぬよう、少しきつめに。
専門の首輪をつけるのが一番なのだが、今はこれで十分だ。姿を消したとしてもこれを目印に見つけ出せる。
「お持ちしました!」
「ありがとう」
お礼を告げ、手元の魔物を籠に入れる。ケージを閉めたら、ひとまず安心だ。ふうっと息を吐く。
「メラニア嬢、それは」
部屋で待っていたジニアが遠慮気味に尋ねた。
「ミラージュモンキーと言って、負の感情を食べる魔物です。食糧を確保するために弱っている人間に寄生し、負の感情を増幅させることもあります。ジニア様の悪夢もこの魔物によって増幅されていた可能性があります」
「ミラージュモンキー? 初めて聞く名前だな」
素直な感想に、メラニアの知識がぶわっと溢れだす。
「上手く飼い慣らせばセラピー動物にもなりますが、この子の好物は他にもありまして。畑の害虫も食べてくれるんですよ! 無農薬農法の一つにミラージュモンキー農法なんてものもあり、効果も実証されています。一匹でかなりの広さを賄えるのも素敵な点ですね。私も以前論文で読んだだけで、個体差や食の好みはあるかと思いますが、ウィルヴェルン領の農地の八割をカバーできるかと。捕獲自体は簡単なのですが、普段は姿を消しているのでなかなか見つけられなくて。こうして捕まえられたのは幸運ですよ。ウィルヴェルン家のお役に立つはずです! 躾は私に任せてください。姿を消しても認識できるように専用の首輪を用意する必要があるのですが、どんな見た目が好みとか」
籠を持ったまま興奮気味に語る。だがジニアの小さな笑いでふと我に返った。
ただの友人でしかないメラニアがいきなり家の役に立つなんて言ったら困らせるだけだと分かっていたのに……。
捕獲できた興奮で今の状況をすっかり忘れていた。恥ずかしさで赤らんだ顔を片手で隠す。
「すみません……。私、勝手に盛り上がってしまって」
「いや、メラニアは本当にウィルヴェルン領を愛してくれているんだなと思ってな。長年、俺はその思いを利用し続けた……。確かに重い代償だ。これ以上対価に相応しいものはない」
「代償? 頭が痛むんですね。今すぐ部屋を用意します。無理はなさらず、横になっていてください」
メラニアは踵を返し、再びドアに手をかける。だがジニアが止めた。背後から背中を包み込むように、メラニアの手に自身の手を重ねる。
「ジニア様?」
「全て思い出したんだ」
「え」
メラニアは思わずミラージュモンキーを確認する。籠の中で目を回したままの魔物に、何か特別な力があったというのだろうか。
今まで読んだ論文や本の内容を必死で思い出す。だが記憶の中にそれらしき記述はなかった。発表されていないだけか。だとしたら大発見だ。手放すのは惜しいが、今後の魔物研究のためにも国に渡すべきかもしれない。
頭の中をいくつもの考えが駆け巡る。
だがそれらすべてをジニアが否定する。
「ミラージュモンキーは関係ない。俺の気持ちの問題だったんだ」
ジニアはそう話し、メラニアの手を引く。向き合ってソファに座る。
先ほどと違い、机の端に籠が置かれている。室内に広がる空気感もまた、穏やかとは言い難いものへと変わっていた。
「気持ちの問題というと、痛みや悪夢を引き起こすトリガーを意識しないようにする方法に気付いた、ということでしょうか。昨日気を失ったばかりですし、睡眠不足や栄養失調はすぐに治るようなものではありません。ですからどうかご無理はなさらずに」
「メラニアはこんな俺でも気を使ってくれるんだな」
「当然です!」
「そんなメラニアだから、俺はまた君に惹かれてしまったんだ。……過去をやり直せれば、メラニアが俺を選ぶことはないことなんて分かっていたのにな。都合よく忘れて、迷惑をかけた。お詫びと称してこんなケーキまで用意して、我ながら未練がましいな。気持ち悪かっただろう。すまなかった」
深々と頭を下げるジニアは、先程までとまるで違う表情をしていた。
メラニアがよく知る、結婚後の彼とよく似ている。ここ一年で見慣れた、学生特有の幼さはない。
この一瞬で、彼の身に一体何が起きたというのか。
「ジニア様は一体どこまで、その……」
思い出したと聞くべきか、覚えているのかと聞くべきか。あまりにも急なことで適切な言葉が浮かばない。
「メラニアが刺された後、ジュエルフラワーの種を使ったこと。そして種の中からそいつが出てきたことも全てだ」
ジニアが指さしたのは、生クリームで口を汚したももちゃんだった。想像もしていなかったまさかの言葉にメラニアはぎょっとする。
一方、ももちゃんは平然とした様子だ。カップに口を付け、はぁ~と息を吐く。いつもと何も変わらない。
「お前は全てを知っていて、俺達の前に現れた。残りの代償を回収するために。さぞかし俺は滑稽だっただろう。全て最前列で楽しんで満足か」
「満足などできるものか! 我が輩が望んだ物語はこんなところで終わらない。お前はいつまで気持ちを隠し続けたまま諦めるつもりだ」
ももちゃんはジニアをギロリと睨みつけ、悔しそうに空をぺちぺちと叩く。たいそうご立腹な様子だ。
ももちゃんが好む物語はハッピーエンドのものが多い。特に妖精や魔女が仲間として出てくるものを好む傾向がある。
本を読みながら、自分と妖精を重ねていたのだろうか。
だからあの時、誘拐されたメラニアを助けるために尽力してくれたのかもしれない。
「諦めたわけではない。長年、目を背けていた現実と向き合っただけだ」
「何年も前の、腐りかけの現実など知るか。今を見なければ何の意味もない」
「だから今のメラニアが俺を拒んでいるのが真実だろ!」
「なんだと!?」
プリプリと頬を膨らましたももちゃんは、メラニアの肩に乗る。そしてビシッとジニアを指さした。
「ぬしよ、このネガティブ男に真実とやらを教えてやるのだ」
「ええ!? 真実と言われても……」
「ぬしの気持ちを伝えるだけでいい。なに、恐れることはない。我が輩が付いている」
「……分かった。ジニア様、私の願いはあなたが笑ってくれることです。余り物の私よりずっと相応しい人と一緒に、二度目の人生ではもっと幸せになってほしい」
改めてジニア本人に告げるのは気恥ずかしくもあるが、紛れもないメラニアの本心である。
死に戻りから一年。いや、死ぬよりもずっと前から彼の幸せを願い続けてきた。ウィルヴェルン領を好きになったのも、力になりたいと思ったのも、全てジニアのことが好きだから。
すうっと息を吸い、ジニアの顔をまっすぐと見る。
固まってしまっている彼をもっと驚かせるかもしれない。それでもももちゃんが折角作ってくれた機会だから。全て打ち明けてしまおう。
「私はあなたのことが好きです。だからどうか、幸せになってください」
メラニアは微笑む。ジニアの目は揺れていた。表情もこわばっている。やはり困らせるだけだったかもしれない。




