第3話 父の背中
帰宅後。自室に戻り、ノートを開く。
父に伝えるべき情報を事前にまとめておこうと思ったのだ。
「まずはアルゲルに身体の関係を持っている女性がいるかも、と伝える。あの令嬢はもちろん、他にも出てくるかもしれないから特定の名前は出さない方がいいかな。サロンのことはどうしよう……。伝え方を間違えて、我が家も違法サロンに関わっていると疑われるような自体は避けたいわ。別の場所で証拠を取り押さえられるのがベストだけど、何が起きているか知っている以上、あそこで起こることを見て見ぬ振りするのも……」
インクの付いたペンでノートをトントンと叩く。
黒いシミがジワジワと広がるのを眺めながら、とある疑問が浮上した。
「そもそも私はなぜこの時間に戻ってきたんだろう」
死んで時間を巻き戻るなんて、小説の中だけの出来事だと思っていた。それに小説の中では、必ず時間を巻き戻るための理由が用意されていた。
例えば国を揺るがす大事を回避するため、とか。
だがメラニアが見てきた十年の間に大きな事件などなかった。
パッと浮かぶのは元婚約者絡みのサロンだけ。そのサロンだって数年内に摘発される。
加えてメラニアの実家は貴族とはいえ司書の家系。サロンを摘発するだけの力を有していない。王子のような兵を動かす力持つ人か、疑いが浮上した段階でも比較的動きやすい騎士の家系が適任だ。
広い範囲の知識が必要となる場合なら、胸を張って当家こそが一番だと言えるのに……。
もしも選ばれた理由が知識ならば。
メラニアは覚えている限りの事件をノートに書き連ねていく。
社交界で起きた小さな諍いや、ジニアも出動することになった魔物の大量発生。はたまた農産物の生産量から他国の王族の動きまで。
書き始めるとなかなか手が止まらず、二ページ目、三ページ目と続いていく。
意外にも覚えているものだ。自分でも感心する。
あまりにも真剣に思い出していたからだろう。
部屋のドアをノックする音にも気づかなかった。
「メラニア。それは一体なんなんだ……」
背後からかけられた声に驚き、肩が大きく震える。振り返ると、顔面蒼白の父が立っていた。
「お父様!? な、なぜ私の部屋に?」
「メラニアが話があると言っていたと聞いたから、急ぎかもしれないと思って来たんだ。だが声をかけても一向に出てこないから……。それで、お前は何を書いているんだ」
手元の内容は見られていたらしい。父は根っからの本好きで、本を読むのも書類を読むのも早かった。見開き1ページ分なんてすぐに読み終わってしまう。
「えっと、これは……その……」
どう説明したものか。メラニアは視線を彷徨わせる。けれど良案は浮かばない。
温厚な父に限ってありえないとは思いつつも、ここでノートを奪われれば終わりだ。
ならば下手に隠すよりも、打ち明けてしまった方がいいだろう。
元より一部の内容は話すつもりだったのだから。
席を立ち、父と向き合う。
「お父様、どうか笑わないで聞いてください」
そう前置きをしてから、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「私は今日、十年後の世界から戻ってきました。今、ノートに書き出していたのは、十年のうちに起こった出来事です。全てではありませんが、私の記憶に濃く残っているものや重要度が高いと判断したものから順番に書き出しています」
「そんな馬鹿なことが……」
「私にとっても信じがたいことです。近く、私達の身に降りかかることも全て夢であればいいのにと心の底から願っております。けれど、もし起こってしまったのなら……」
殺された瞬間と、大好きな両親に迷惑をかけてしまった日々を思い出し、身体が震える。
メラニアの両手に父の手が伸びた。大きくて温かい手だ。両手で優しく包み込まれ、震えが少し和らぐ。
「疑って悪かった。メラニアは嘘を言うような子ではないと、父である私がよく理解しているのに……」
「いえ、私自身、なぜこのようなことが起こったのか理解していないのです。お父様が混乱されるのも無理はありませんわ」
「妖精のいたずら、か……。メラニアは幼い頃、妖精と会っているからあり得ない話ではないな」
メラニアが妖精と初めて会ったのは三歳の頃。
王宮図書館の隅で児童書を読んでいたメラニアの元にひょっこりと現れたのである。とても人間には思えぬほど美しき少年は、メラニアの本を覗き込んできた。メラニアが驚いて顔を上げると、ブロンドの髪を揺らしながらへにゃりと笑った。
『なんだかたのしそうだから』
他にも何度か会話を交わした気もするが、メラニアが覚えているのはこれだけ。
彼は以降も度々メラニアの前に現れては、正面でじっと見ていたり、メラニアと一緒に本を読んだり。だがメラニアの六歳の誕生日を境に、ピタリと姿を現さなくなった。
何かあったのか。
不思議に思って司書に聞いたが、彼らは誰も少年の姿を見ていなかった。児童書のコーナーにはなかなか人が来ないこと、少年がメラニアよりも小柄だったこともあるのだろう。
初めは気にしていなかったメラニアだが、一年経っても彼が現れることはなかった。
メラニア嬢が出会ったのは妖精だったのだろう。
初めに言い出したのは誰だったか。徐々に話が広がり、今では『王立図書館には本好きの妖精が現れる』という噂があるほど。といっても彼と会ったのは今のところ、メラニアだけなのだが。
「本好きの妖精が時間を巻き戻すとなると、やはり本にまつわる事件があったのか? まさか王立図書館が火事に!?」
「いえ、私が知る限り、王立図書館は無事です」
「では一体何があったんだ?」
「……殺されました」
「は」
正直に告げると、父の顔から血の気が抜けていく。今にも倒れそうだ。メラニアは慌てて付け足す。
「けれど殺される直前まで、私は幸せだったのです。心から大切に思える夫と共に暮らしておりました」
「そうか、アルゲル君も結婚後は大人しくなったのだな……」
「いえ、私が結婚したのは他の男性です。アルゲル様は二年生の長期休暇を待たずして、他の令嬢と式を挙げました」
「なんだって!?」
話が長くなるからと父をソファに案内する。
そして婚約破棄に至るまでの経緯を説明した。
「以前からメラニアへの態度が気になっていたが、まさかそこまでとは……」
初めは怒っていた父も途中から呆れてしまった。まさか他家の子供とはいえ、貴族の令息がそんな馬鹿な真似をするとは思わなかったのだろう。
「たとえ妊娠を避けられたとしても、そんな男に娘はやれん! ガルド伯爵家の誇りにかけて、絶対にこの婚約は破棄してみせる。サロンについても探りを入れてみよう」
父はメラニアの手を強く握り、宣言する。
だがメラニアの目的は家族を不名誉な声から守ること。婚約破棄のために危ない目には会ってほしくなかった。
「あくまでもサロンを探るのは最終手段にしてください。怪しいとはいえ、違法サロン。下手に探りを入れて、当家が関わっているだなんて噂が立つのは避けたいです」
「大丈夫だ、メラニア。アルゲル君は当家を役持ち貴族と下に見ているようだが、役持ち貴族には役持ち貴族なりの戦い方があるんだ。それにメラニアが戻ってきたのが妖精のいたずらによるものならば、彼らなりの意図があるはずだ。善意には礼で返さねば。『小さな善意にも感謝と礼を忘れず。耐えかねる悪意には相応の報いを』」
最後に呟いたのは、父が最も気に入っている小説の一節だ。
父の書斎には言語違いで何冊も同じ作品が並んでいる。裏切りも親切も同じだけ与えられた少年が仲間達と新しい国を作る話。悪意に飲み込まれず、真っ直ぐと生きる主人公の姿勢が好きだと話してくれた。
児童書として出版された本の表紙に描かれた少年と、目の前の父の姿が重なって見えた。