第28話 幸せを願う
ジェルケイブス教授の記憶が失われたことで、残りの授業はレポート提出形式に変わった。
レポートをチェックするのは教授の友人・ニール教授だ。月に一度、学園まで足を運んでくれる。その際、過去に提出したレポートに対して『優』『良』『可』『不可』の四段階評価が下される。
三年生は卒業までに『良』以上の評価を三回獲得するのが単位認定条件である。
三年間ジェルケイブス教授の授業を受講し続けているメラニア達からすれば、かなり緩めのハードルである。
ただレポート作りに慣れていない一年生はそうともいかず、早くも進級試験後の補習講座が予定されているのだとか。新たな講師が見つかったとしても、来年の受講生は一気に減りそうだ。
レポート作りも資料選びも慣れてしまえば、他の授業の課題もサクサクとこなせるようになるのだが……。
メラニアは自習中の教室横を通りながら、心の中でひっそりと一年生にエールを送る。
「メラニアさん、何かあったの?」
「あ、いえ。なんでもないです。遅れてすみません」
今は図書館で見つけた資料を手に、生徒会室に向かうところ。少し先に進んでいたフランシスカは足を止め、振り返る。
例の事件以降、彼女は以前にも増してメラニアを気にかけてくれるようになった。ジェルケイブス教授の授業改めレポート作成の時間も、一緒に行動することが多い。
もちろん王子も一緒だ。前方から何か言いたげな視線をヒシヒシと感じる。
「メラニア嬢」
「は、はい!」
メラニアは早足で二人の元へと急ぐ。
王子は小さく頷いてから言葉を投げる。
「先日の件、考え直してくれたか?」
「その件でしたら、私は遠慮させていただこうかなと。トロールウッドの件もありますし、ジェルケイブス教授とお話しする時間も確保したいですから」
「ほんの少しだけ。ダメかしら?」
フランシスカは首をこてんと傾げる。小さい子が何かをねだるようなポーズだ。あまりの可愛らしさに胸がズキュンと撃ち抜かれそうになる。だがここで折れるつもりはない。
メラニアは思わず首を縦に振ってしまわぬよう、フランシスカからほんの少しだけ右に視線を逸らす。
もしもこれがただの買い物なら喜んでお供する。荷物持ちにだって名乗りをあげよう。だが二人が提案しているのは、いわゆるトリプルデートというやつだ。
王子とフランシスカ、ルイとエリザは仲のいい婚約者同士である。だがメラニアとジニアは違う。
王都に戻ってからは何事もなかったかのように過ごすジニアだが、彼には妻がいる。ただでさえトロールウッドの件を手伝ってもらっているのだ。これ以上、学外で一緒に過ごす時間を増やして関係を誤解されるわけにもいかない。
もっともメラニアが学外で共に過ごしている相手はジニアだけではない。
お礼兼お見舞いにお邪魔してからというもの、ジェルケイブス教授との交流は月に二度のペースで続いている。
今までの研究を綺麗さっぱり忘れてしまった彼の情熱は今、他の分野に注がれている。その中でも一番関心が高いのは精霊と魔物。メラニアも魔物については結婚後によく調べたものだ。
教授の家にお邪魔させてもらう度、ついつい時間を忘れて盛り上がってしまう。教授の息子さんとその奥さんはももちゃんのことをとても可愛がってくれるもので、ももちゃんもメラニアがお邪魔する度に一緒に着いてきてくれる。
先日は夕飯までご馳走になってしまった。そんな楽しい時間を言い訳に使うことに申し訳なさはある。
お詫びに、今度お邪魔する時は妖精モチーフのお菓子を作っていこうと心に決める。
そしてフランシスカにはお出かけ話をなんとか諦めてもらおうと言葉を紡ぐ。
「エリザとルイは乗り気でした。ジニア様もお二人が誘えば参加されるかと」
「それだとジニアだけ一人になってしまうだろう。あの二人だってメラニア嬢が来ないなら行かないというに決まっている」
王子は溜息混じりに応える。彼らもジニアが結婚していることを知らないのだろう。知っていたら何度も誘っては来ないはず。
かといって第三者であるメラニアの口から伝えることはできない。結婚を公にしていないのは、何かしらの理由があるのだろう。
踏み込んで、ジニアの口から「他人のくせに」と言われるのが怖かった。
夫婦であった時から信頼されていなかったという事実に直面したくないのだ。
だから今日もメラニアは曖昧に笑う。
「そんなことはないと思いますよ。二人ともフランシスカ様のことを尊敬していますから」
「そこで私の名前を出さないところが実に君らしい」
「私はみんなでお出かけしたいのに」
フランシスカはぷくっと頬を膨らます。実に可愛らしい。王子の表情もデレデレだ。
死に戻る前から変わらないどころか、以前にも増して仲を深める二人が羨ましい。ルイとエリザもそうだ。
変わったのはメラニアだけ。結婚指輪からは家族の証しであるエメラルドが消え、二度と左手に飾ることは許されない。
一度目の人生と違う道を歩むことになったとしても、ジニアが幸せを手にしてくれさえすればいい。
それが二度もジニアに救ってもらったメラニアにできる、せめてもの恩返しなのだから。




