第21話 ★トロールウッド
「ジェルケイブス教授の許可を得て、教授が借りている部屋をくまなく調べさせている。おそらくその中にメラニア嬢誘拐の手がかりが何かしら残っているはずだ」
そう告げると同時に、横から封筒が差し出される。彼は王子付きの護衛兼情報収集役だ。早速めぼしい情報を手に入れたらしい。
王子は「ご苦労」と短く告げ、封筒の中身をテーブルに広げる。
「これは……森林の伐採記録、か? なぜ教授がこんなものを」
メモの下には番号が振られているが、前半がごっそり抜けている。
おそらく教授を襲った人物が持ち去ったのだろう。だが通し番号が振られているということは、残ったこれらも完全に無関係ではない。
ここから導き出せる答えが何かあるはずだ。
「メラニア嬢が提出したレポートと共に置かれていました」
「今は亡きビルセルム帝国について記したレポートか。だがこれを提出したのは一年の後期で、今さら特出すべきところは……」
「トロルの侵攻! メラニアさんは、ビルセルム帝国が滅びた原因の一つは過度な森林伐採により、トロルの怒りをかったことではないかと話していました。これなら伐採記録を集めていたことと繋がります」
フランシスカはそう言いながら、記録を地方ごとに分類する。
すると日付順に並んでいた時では気づかなかったことまで見えてくる。
「伐採記録に記された場所の近くには必ずトロールウッドが自生しているのか。だがあの木は空気浄化目的で植えられたもので、乾燥させた木材は火が付きやすくなるから、どこの国でも必要以上に伐採は行わないはずだ」
ビルセルム帝国と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、城下町で発生した火事だ。
帝国滅亡と並び、この火災には未だ謎が多く残されている。火災のきっかけすら判明していない。
謎を深める原因は三つ。
火が発生したと思われるポイントから離れた地点でも、鎮火を試みた形跡がほとんど見られなかったこと。
火災に巻き込まれた人々は、明らかに火とは別のものから逃げていたこと。
前日まで長雨が降り続いていた記録が残っていること。
大規模な火災に進展した理由は、短時間で火が回ったために消火が間に合わなかったことと、避難経路の確保が不十分だったことの二点が最有力だ。
加えて、城下町のほとんどの建物に使われていた木材にも問題があった。
当時の文献にはすでに、トロールウッドが火に弱いと記されていた。だが様々な国と戦争を繰り返していたビルセルム帝国では、橋や船などの整備も急いでおり、住宅を建て直す際に手に入りやすい木材を使用してしまったのだろう。
歴史上最悪の火災と呼ばれるこの事件は、今なお語り継がれている。
子供でも知っているほど有名な話だ。ジニアも家庭教師が付けられるよりも前に、祖父から教えてもらった。
今はどこの国でも火事対策をしっかりと講じた上で、他の木と混ざらないよう、トロールウッドの伐採と管理には申請が必要となっている。
伐採理由は木の老化や土砂崩れなどが理由で倒木の恐れがあるケースがほとんどで、申請すればすぐに許可が下りる。我が国ではトロールウッドの伐採と処理にはそれぞれ補助金が出る。
だが手元にある記録だけでも、六十年ほど前からつい十日前まで伐採は続いている。ここまでの長期間、申請を偽り続けたのはなぜなのか。そもそもなぜ伐採する必要があったのか。
必死で記憶を辿っていると、とある本が頭に浮かんだ。
以前メラニアがプレゼントしてくれた、魔物素材で作る薬について書かれた本。その本の巻末番外編にトロルに関する記述があった。
素材としてではなく、絶対近づいてはいけない魔物として。
彼らの体毛には粉末状にした木が付けられており、近づけば最後、幻の中から出られなくなると書かれていた。
「トロールウッドには幻覚作用があるかもしれない」
ジニアは頭によぎった推測を口にする。
トロールウッドは元々トロルが生息する森で自生していたことから、その名前が付けられている。トロルの生態とトロールウッドの特性に何かしら関係があっても不思議ではない。
普通に伐採し、燃やす分には何も問題はない。
だが根や茎にのみ毒を持つ植物や、特定の工程を含むことで薬になる素材もある。トロールウッドにも似たような性質があるのかもしれない。
例えば雨水にさらした木材を燃やす、とか。
メラニアがレポートに記した『トロル』は、魔物ではなく人々が見た幻影だったのかもしれない。
「なんだと」
「なんですって!?」
王子とフランシスカは揃って目を丸くする。
「あくまでも可能性の一つです。ただこれがただの推測でなかったとしたら」
「取り逃しがいたことになる」
ジニア自身、突飛な考えだと思う。
だがジェルケイブス教授はここから何かに辿り着いていることだけは確かなのだ。ならば最悪の可能性を頭に入れて動くべきだろう。
王子の表情も曇り出す。
すると新たな使用人が現れた。
「王子、ご報告したいことが」
「話せ」
「メラニア様の元婚約者を含む囚人数名の脱獄を確認しました。昨日から城勤めの文官と兵士、厩番の無断欠勤が確認されている他、軍馬も二頭消えているようです」
軍馬が奪われているとなると、探索範囲はかなりの広さになる。
一方で逃走ルートの絞りこみは容易くなる。加えて軍馬はどこかで捨てていくにしても、とても目立つ。国内に潜伏するとは考えづらい。一気に国から出るつもりなのだろう。
「なら、北に逃げたか」
王子はポツリと呟く。ジニアも同じ意見だ。
西側の国とは同盟関係にあるが、北方は違う。
正式な連絡を取るだけでも数日要する。かといって兵士が踏み込んだとなれば、戦争になりかねない。我が国の人間が怪しい薬物を持ち込んだと判明しても同じ。誘拐されたメラニアとて無事でいられる保証はない。
これ以上、悠長に情報を待っているわけにはいかない。
ジニアはいてもたってもいられず立ち上がる。
「……王子、失礼します」
「ジニア、これを持っていけ。我々も準備が出来次第、すぐに追いかける」
王子は護衛から受け取った剣をジニアに差し出す。
王家の紋章が刻まれた、王子の私物である。これがあれば王子とほぼ同等の権限を行使できてしまう。
「お借りしてもよろしいのでしょうか」
「ジニアだから託すのだ。馬は外の二人に借りるといい」
「ありがとうございます。必ずメラニア嬢を連れ帰ります」
ビシッと敬礼をし、生徒会室から飛び出す。
するとそこには王子の使い、ではなく、友人二人が立っていた。
「ルイ、エリザ! 君たちがなぜここに……」
「教室から王子とジニアの姿が見えたから、これは只事じゃないと思ってな。うちの御者に一番早い馬を用意させて正解だった」
「門の前に立っているわ」
「すまない、恩に着る」
「お礼はいいから、早く行きなさい」
「気をつけてな」
二人は何も聞かず、ジニアの背中を思いっきり叩いた。
勢いがついたようにジニアは駆け出す。二人が言っていたように、校門前には一頭の馬を連れた男が立っていた。この一年と少しで何度も顔を合わせた、ルイの家の御者だ。深々とお辞儀をする彼に短く礼を告げ、駆け出す。
北の国境を目指し、最短ルートで進む。
借りた馬は初めて乗ったとは思えないほど、ジニアの指示をよく聞いてくれる。王子から借りた剣のおかげで関所を止められることもない。
ノンストップで進んでいたジニアだが、国境手前で休憩を挟む。
馬を休ませてやりたいというのもあるが、ここから二つのルートに分かれているのだ。
片方は、魔物が棲息している森のすぐ脇を通る山道。
辺境で育ったジニアにとって通常の魔物は敵ではない。だがこの森には例のトロールウッドが自生している。トロルに遭遇して逃げきれるかどうか……。
もう片方は傾斜が急で遠回りにはなるが、安全に整備された山道。荷馬車や乗合馬車はこちらに集中するため、時間のロスは避けられない。
どちらを選ぶべきか。
馬の前でジニアは思案する。ルイの家の御者が持たせてくれた水筒で喉を潤していると、視界が突然黒い影で覆われた。
「ようやく見つけたぞ!」
幼子のような声が至近距離から聞こえてくる。
声の主は突然目の前に現れた毛玉だ。ジニアはもっふりとした固まりを片手で掴み、遠ざける。そして目を丸くした。
「お前、なんでこんなところに……。というか喋れたのか!」
毛玉の正体は、最近とんとジニアの元に帰ってこなくなったモモンガであった。
どこかよい住み処を見つけたのだと思っていたが、王都から遠く離れた地で遭遇するとは……。
「今はそんなことどうでもよい! ベルワリクッス山道に急げ。早く行かねばまた手遅れになる!」
「またってどういうことだ。メラニア嬢はすでに負傷しているのか!?」
「今は無事だ。だから早く!」
モモンガはペチペチとジニアの頭を叩く。
気になることはある。だがこのモモンガはメラニアの元に誘導しようとしている。信頼できるモモンガだとジニアの本能が告げていた。




