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第20話 ★忘れてしまった妻と、忘れてしまいたい君への想い

 授業中。一足先に問題を解き終えたジニアは窓の外を眺めていた。


 頭に浮かぶのは、他の教室で授業を受けるメラニアのこと。

 事件と婚約破棄騒動が落ち着いてからも彼女の側に残り続けたのは、妻に繋がる情報欲しさだったのに。彼女に妻の面影らしきものを感じる度、メラニアのことを考える時間が増えていく。


 まるで妻への愛おしさを上から塗りつぶされていくかのよう。

 彼女の声も姿も、共に過ごした記憶さえも忘れてしまったジニアに残されたのは、妻への想いだけだというのに……。


 メラニアへの想いも忘れてしまえればどんなに楽だろうか。

 そうは思うものの、記憶をなくしたとしても、再び彼女を探し出す自分が容易に想像できてしまう。そして幼い頃から変わらず優しい笑みを向けられた途端に恋に落ちるのだ。あの笑みに抗えるはずもない。


「はぁ……」

 愛する妻がいながら他の女性にも思いを寄せるなど。こんなにも自分が浮ついた人間だなんて気づきたくなかった。ジニアは小さく溜め息を吐く。



 すると視線の端に見覚えのある姿が映った。

 メラニアだ。授業中であるはずの彼女が、早足で廊下を歩いている。廊下の先にあるのは図書室のみだ。


 だがジェルケイブス教授の授業で資料が必要な時は、必ず事前に指示が出される。ジニアも何度か資料探しを手伝っている。それに周りには他の生徒はおらず、他の生徒がいないというのも気になる。


 授業が休講になったのだろうか。だとしてもメラニアが急いでいる理由が気になる。


 例えば誰かを待たせている、とか。

 ジニアはもちろん、エリザとルイも他の授業を受けている。他にメラニアが共に過ごす相手に心当たりはないが、これをきっかけに他の男子生徒が近づいてこないとも限らない。


 婚約破棄騒動が収まってからというもの、メラニアは男子生徒の間でひそかに人気になっているのだ。


 派手さはないが、愛らしい顔つきは庇護欲をそそる。それでいて、元婚約者の目を気にしなくなった彼女は様々な教科で頭角を現し始めた。ガルド家の家格が上がったことも大きい。


 メラニアを妻に迎えられればどんなにいいことか。


 ジニアはメラニアと共に自習する男子生徒を想像し、自然と手に力が入る。ペンがミシッと音を立てたが、気にすることはない。


 一刻も早く、下心に満ちた男から引き離したい気持ちでいっぱいだった。




 授業に身が入らぬまま、ジニアは時が過ぎるのを待つ。

 すると突然、ガラッとドアが開いた。


「授業中失礼します」


 ドアの向こうに立っていた王子は教授に一礼する。

 そしてそのままスタスタとジニアの元まで歩いてくる。


「と、突然どうされたのですか」

「急ぎの用事だ」


 短く言い放った王子の表情からは緊張が伝わってくる。ジニアは手早く荷物をまとめ、彼の後に続いた。


「何があったのでしょうか」

「メラニア嬢が失踪した」

「なっ! ですが今は授業中でしょう。そうだ、授業はどうなったんですか。授業が始まってすぐ図書館に向かうメラニア嬢を見かけたのですが」

「今日は急遽休講になったんだ。だから一緒に自習しようと、フランシスカがメラニア嬢を誘った。その時に彼女が少し気になることを言っていたものでな、教授のことを早急に調べるよう指示を出すため、彼女を一人で図書館に向かわせてしまった」

「気になること?」


 淡々と説明する王子。だがいつもよりも歩調の速い足取りが焦りを物語っていた。


 生徒会室に入ると、フランシスカの姿があった。

 普段は影から王子を護衛している者たちに付き添われ、今にも泣き出しそうだ。幼い頃から王妃教育を受けている彼女が感情を露わにするほど、ショックを受けている。


「私が一緒に着いていけばこんなことには……」

 フランシスカは小さく震えながら、自分を責める。


「フランシスカのせいではない。今朝の時点で、詳しくジェルケイブス教授から聞き取りを行うべきだった」

「ジェルケイブス教授が誘拐に関わっているのですか」

「いや、教授は被害者だ。今回も、そしておそらくジニア達が時間を遡る前も、メラニア嬢を助けようとしたのだろう」


 時間を遡る前もメラニアを助けようとしたとはどういう意味なのか。

 確か以前の彼は……。そこまで考えて、ハッとした。


「ジェルケイブス教授の記憶もない……」


 教授の記憶もまた、妻に関わる情報と共に忘れていたのか。

 忘れてしまった記憶は自発的に思い出そうとしない限り、気付くことすらできない。


 ジェルケイブス教授の授業は受講したことがなかったため、忘れている対象だと考えたこともなかった。


 だが忘れているということは、ジェルケイブス教授もまたジニアの妻と関わりがあったということになる。


 彼女も教授の授業を取っていたのか、例の摘発絡みなのか。


「メラニア嬢に贈る予定だった『絶対防御のジェルフラワーの種』を所持していなければ死んでいてもおかしくはなかっただろうな。教授が妖精に支払った対価は専門分野に関する知識と記憶。対価にメラニア嬢に関する知識が含まれていたため、一連の出来事を忘れ、その後のぎっくり腰についてしか覚えていなかった。荷物が散乱した自室を確認していれば、朝の時点で異変に気付けたはずだというのに……」


 ジェルフラワーの種はどれも高額で取り引きされる。

 ましてや所有者が指定した期間、どんな攻撃も全て無効化する絶対防御の能力は、どの国も喉から手が出るほど欲しがる一品だ。値段はおろか、よほど伝手か運がなければ一生のうちに目にすることさえないはずだ。


「なぜ教授はそこまでメラニア嬢のことを……。もしや恋心を!」

「教授はメラニア嬢の才能を高く評価している。以前からメラニア嬢の卒業後は彼女を弟子として迎えたい、ゆくゆくは自分の研究を彼女に引き継いで欲しいと周りに話していたようだ。ジェルフラワーの種も、彼女本人への贈り物というよりガルド公爵を説得するための材料だったのだろうな」

「弟子……」


 想像もしていなかった言葉を思わず繰り返す。だが言われてみると、思い当たる節がまるでなかったわけではない。


 ルイとエリザと共にメラニアを迎えに行くと、教授と二人で話していることがしばしばあった。教授の声が弾むようだったことも覚えている。


 授業に高い関心を持つ生徒がいることに喜んでいるのだと思っていたが、まさかジェルフラワーの種を差し出そうとするほど気に入っているとは思わなかった。


 メラニアを弟子にするために手に入れた物が、結果として教授本人を助けることとなったのだから、運命とは不思議なものだ。


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