第2話 死に戻り
「え~、であるからして、アンデルンダ大陸唯一の独立区が設立されたわけでえ~あります」
間延びした老人の声で目を覚ました。
死んだと思ったのに……。
それにここは実家でもウィルヴェルンの屋敷でもない。何年も前に卒業したはずの、王立学園だ。メラニアの頭はパニックになる。
「なんでジェルケイブス教授が……」
目の前に立つ老人・ジェルケイブス教授は、メラニア達が卒業してすぐに亡くなっている。馬車に轢かれそうになった子供を助けたのだという。彼の葬儀には多くの生徒が集まった。メラニアもその一人だ。
けれど彼は今、九年前と同じ姿で黒板に文字を書いている。
やや右上がりの癖のある文字をまた目にする機会があるとは思わなかった。
死に戻りーー小説で見たワードが頭に浮かぶ。
懐かしさと共に、恐ろしさが背中にピッタリと張り付く。
死後の世界でも惨めな時間を繰り返さなければならないのか。
背中にはナイフが刺さっていないはずなのに、胸の辺りに痛みが広がっていく。
「メラニアさん、大丈夫? あなた、顔が真っ青よ?」
フランシスカがメラニアの顔を覗き込む。
先日大々的に報じられたジュエルフラワーの種落札の記事に載っていた写真と比べると、その顔にはまだ幼さが残っている。制服姿も懐かしい。
ジェルケイブス教授の授業を受講していたのは二年生から三年生の間。そのうち、フランシスカが隣の席になったのは二年の前期のみ。
後期からは彼女の婚約者である第一王子から脅しーーではなく、頼まれて席を交換している。
今は席を交換する前だからか、斜め後ろから鋭い視線を感じる。後で顔が近すぎると詰めよられることになるだろう。
当時のメラニアにとって、最も怖い人は第一王子だった。
もっとも彼がメラニアを威嚇するのはフランシスカ絡みのことばかり。淡々と並べられる言葉も、いかに自分がフランシスカに相応しくあるために努力したのか、フランシスカはいかに素晴らしい女性なのか、好意に甘えるななどなど。
愛する婚約者を雲の上まで持ち上げることはあっても、メラニアを貶めるような言葉は一つもなかった。
例の事件が起こった後は間接的ではあるが、何度も守ってもらった。だからだろう、今はまるで怖くない。
メラニアは人の悪意を、人の狂気を知っている。
知って、しまったのだ。
思い出すだけで震えが止まらない。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。でも大丈夫ですわ」
「本当に? 辛くなったら遠慮なく言って頂戴」
フランシスカは小さく震えるメラニアを訝しげに見つめながらも、深く追求することはしない。代わりに斜め後ろを振り返り、キッと睨んだ。彼女はメラニアが王子に威嚇されて怯えているのだと解釈したようだ。
授業終了のチャイムが鳴るとすぐ、フランシスカは王子の腕を引いて教室を出て行った。
目元をヒクつかせるフランシスカと、心底幸せそうに頬を緩める第一王子。
愛情が一方通行にしか動いていないように見えて、実はバランスが取れているのが凄いところだ。
彼らと入れ替わりで、二人の生徒が教室へと入ってくる。
「メラニア~、ご飯行こ~」
「フランシスカ嬢が王子を引きずっていったが、また何かあったのか?」
友人のエルザとルイだ。二人は揃って首を傾げる。
彼らとは学園に入学前から親しく、クラスが別れるのもこの授業だけ。メラニアが第一王子からライバル視されていると知っている彼らは、授業が終わるとこちらの教室まで迎えに来てくれる。
今日はフランシスカと王子の姿を見て、急いでやってきてくれたらしかった。
「ううん、大丈夫。今日は何もなかったから。心配してくれてありがとう」
「それにしては顔色が悪いように見えるが……。王子じゃないとなると、あいつか」
ルイは苦虫をかみつぶしたような表情へと変わる。
あいつとは、メラニアを捨てた元婚約者・アルゲルである。いや、二年生の前期ならまだ婚約者なのか。突然のことで、まだ頭が混乱している。
だが一つ、大切なことを思い出した。
メラニアが捨てられたのは三年の授業が始まったばかりの頃。メラニアを殺した女性の腹には子が宿っていた。長期休暇の間に二人は結婚式を挙げている。
風の噂で、ウェディングドレスなのかマタニティドレスなのか分からないほど、彼女の腹は大きくなっていたと聞いた。その他にも、耳を塞ぎたくなるような下世話な噂をたくさん。
時期から逆算していくと、二人はすでに身体の関係を持っている可能性が高い。
今さら元婚約者に復讐したいなんて思いはない。
ジニアが教えてくれた八年分の幸せによって、元婚約者との出来事なんてすっかり塗りつぶされてしまった。ジニアと家族に害をなさなければ、彼も相手の女性もただの他人だった。声も顔も忘れていたくらい。
けれどメラニアが自ら動かねば、また殺されるかもしれない。
自分が狙われるだけならまだいい。今度はジニアや家族に危害が加えられるかもしれない。
それだけは我慢ならなかった。
家族を守るため、メラニアは頭をフル回転させる。
といっても、二人が逢い引きに使っていた場所は最初から見当が付いている。噂好きのマダム達が何度もメラニアに教えてくれた場所だ。
彼女達の言葉を全て真に受けるつもりはない。
ただ、彼女達が何度も口にしていたサロンのうち、二カ所が今から数年以内に摘発されるのだ。
新聞にも代々的に報じられた。摘発理由はそれぞれ違法カジノと人身売買だったが、裏の社交場でもあったとの噂だ。
このタイミングで何人もが療養を理由に表舞台から姿を消したことから、噂の真実味が一気に増した。
加えて社交界に現れなくなった貴族の中に、例の下世話な噂好きのマダム達が含まれていた。彼女達は実際、サロンでアルゲルの姿を見たのだろう。そうでなくとも調べる価値はある。
大事なのは時期だ。
証拠が確保できても上手く言い逃れされては、最悪他の女性とも関係を持ちかねない。メラニアの元婚約者、アルゲルはそういう男だった。
「あんまり酷かったら我慢することないのよ? 一人が不安だったら、私、一緒にメラニアのお父さんに話してあげるから」
「その時は俺も行くぞ。クラス分けの時だってメラニアがAクラスになったからって、人目の多いところで騒いで……。そのくせ役持ち貴族を馬鹿にしやがって! あー、思い出したらムカムカしてきた」
貴族には領の管理を任された領持ちと、特殊な仕事を与えられた役持ちが存在する。
メラニアの実家は代々王立図書館の司書を務めている。ちなみにルイの実家は領持ちで、エルザの実家は役持ち。どちらも大切な役割を担っている。
だが司書や騎士などの仕事は領持ち貴族の嫡男以外でもなれるが、役持ち貴族は領を管理することはできないため、一部の領持ち貴族は役持ち貴族を格下扱いしていた。
アルゲルもその一人だ。
自分の実家が領を治めているから、爵位では上位に立つメラニアをどんなに雑に扱っても構わないと思っている。出会った頃から威圧的な態度を取り続ける彼が苦手で、子供の頃はよく王立図書館に逃げ込んでいたものだ。
「いつもありがとう、ルイ、エルザ。私、あなた達と友人になれて本当に幸せだわ。あー、なんだかお腹空いてきたっ!」
「うん、顔色も少しよくなってきたな。よかった。俺、一足先に行って席取ってくる! 二人はゆっくり来て良いから!」
メラニアを気遣って、ルイは早足で食堂に向かう。
お世辞でも何でもなく、彼らと友人になれてよかった。