第19話 価値観
メラニアがぽつりとこぼした疑問に、アルゲルが苛立たしげに答える。
「あの老いぼれだよ。ぼったくりネックレスなんて買うくらいだったら、その金で本体を買えばいいってのにほんとバカだよな。他を邪魔すればお前が手に入ると思い込んでる。おかげで俺様の天才的計画が台無しだ」
苛立たしげに右足を揺らす。
そしてポケットから葉巻とマッチを取り出した。
以前は葉巻を吸う習慣などなかったのに。
メラニアが知らなかっただけなのか、脱獄してから吸い始めたのか。
口に咥え、箱からマッチを取り出す。
すぐに火をつけるのかと思いきや、メラニアをチラリと見る。少し考えるように空を見て、マッチを箱に戻した。
「ったく、なんで俺様が無能な奴らのせいで我慢なんてさせられなきゃならねえんだよ」
アルゲルは大きな舌打ちをして立ち上がる。
そしてブツブツと文句を言いながら大股で外に出ていった。
どうやら頭を殴られたメラニアのことを気にしたらしい。正しくは脳に異常が残ることで商品価値が下がることを警戒したといったところか。
どちらにせよ、彼の目にはメラニアは『人間』として映っていない。出会った時からずっと彼はメラニアを『商品』として見続けていたのだろう。
婚約者や妻を家畜のように売ることが、アルゲルにとっての『普通』なのだ。
メラニアはそんな衝撃的な事実に驚くことはなく、むしろ納得していた。
ここまで常識が違えば分かりあえるはずもない。
彼のことより、今はこの場から逃げることだけを考えなければ……。
メラニアは必死で考える。だがまだ頭を殴られた痛みが残っているからだろうか。ろくな案が浮かばない。
心臓の音が耳元でバクバクと聞こえてくるよう。
一度大きく息を吸って吐いてを繰り返す。
すると外から誰かの話し声が聞こえてきた。何か情報が掴めるかもしれない。メラニアは身を捩り、壁にピタリと耳をつける。
「メラニアを連れて来たんだから、早くジニーと会わせて!」
「お前らが簡単な仕事ですらろくに出来ねぇから遅れが出てんだろっ!」
声の正体はシリスとアルゲルだった。揉めているようだ。話し声から少し遅れて、鈍い音が聞こえる。
切れ切れに聞こえるシリスの悲鳴に、反射的に目を閉じる。
誘拐の実行犯とはいえ、聞いていて気持ちのいい物ではない。
だがメラニアは聞き耳を止めない。どんなに小さくとも、今は情報が欲しかった。
「おい、誰かこいつを森の中に捨ててこい」
「いいんですかい?」
「魔物に襲わせとけば、時間稼ぎくらいの役には立つだろ。それが終わったらさっさと移動するぞ」
「わかりやした」
「いやああああ」
シリスの悲鳴が響く。
口を塞がれたのか、気を失わせたのか、すぐに彼女の声は聞こえなくなった。
それから徐々に物音や人の声が消えていく。移動の準備に移ったのだろう。
聞き耳を立てていた時間はせいぜい絵本の読み聞かせ一冊分。
近くに魔物が生息している森がある以外、大した内容は得られなかった。
「はぁ……」
メラニアは深いため息を吐く。するとそれに合わせたように、コンッと窓に何かがぶつかるような音がした。気になって窓を確認する。
「ぬしよ、無事か」
窓の向こうに現れたのは可愛らしいモモンガーーももちゃんであった。
どうしてももちゃんがこんなところにいるのだろうか。窓に張り付くモモンガを目に、頭がパニックになる。
そんなメラニアを横目に、ももちゃんは窓をほんの少しだけ開ける。そして小声で話しかけてくる。
「我が輩が一方的に話すから、ぬしは声を出すな。いいな?」
ももちゃんは話しながらも、周りの確認は怠らない。今はたまたま周りに人がいないだけで、いつ帰ってくるか分からない状態なのだろう。
メラニアは声を出さない代わりに大きめに頷いた。
「ここはベルワリクッス山道に入る手前。ぬしの意識の回復を待つために休憩を挟んだようだが、ここからは一気に国境を抜ける予定のようだ」
「っ!」
ベルワリクッス山道を抜ければ国境はすぐ。まだ日は暮れていないが、かなり馬に無理をさせて走ったようだ。もしくは軍馬を盗んだか。
国が所有している馬の中でも、軍馬は有事の際に活躍できるように育てられている。そのためスピードも荷物を引く強さもずば抜けている。
一方で気性が荒い者も多いのだとか。本で読んだことがある。一朝一夕で手懐けられるような馬ではない。
だが協力者の中に馬の世話に慣れた人間がいれば別だ。
アルゲルが牢屋から逃げ出せたということは、シリス以外の協力者が城の内外にいるはずなのだ。一体何人の協力者がいるのだろうか。考えただけで頭が割れるように痛い。
「しばらく見ていたが、主犯格の男にぬしを傷つける意思はない。吾が輩は今のうちに学園に戻り、この情報を伝える。あやつらもすでに捜索に向けて動き出しているはずだ。伝えたら必ず戻ってくる。だからそれまでほんの少しだけ耐えてくれ」
小さな身体で長距離移動は身体的な負担も大きいはず。無理しないでほしいが、今はももちゃんに頼るしかない。
メラニアはももちゃんの安全を祈るように大きく頷いた。
「あやつは必ず助けにくる。……今度こそ必ず守ると、我が輩に誓ったのだから」
ももちゃんはメラニアに小さな疑問を残し、窓を閉じる。
今度こそ守る。
ももちゃんに誓った人物は一体誰なのだろうか。




