第1話 エメラルドの結婚指輪
「今日のジュエルフラワーは一体どんな色の花なんでしょうね。楽しみです」
植物園へ向かう馬車の中。
メラニアは夫のジニアと横並びに座っている。
普段は向かい合って座るのだが、今日だけは特別。
事前に購入したパンフレットを見ながら、二人でこれから見に行く奇跡の花『ジュエルフラワー』に想いを馳せる。
ジュエルフラワーが開花するのは、百年にたった一日だけ。
それも咲く度に姿を変える。大きさも色も形も質感さえも全てが異なるのだ。
メラニアの膝に載ったパンフレットに描かれたのは、過去に各地で咲いたジュエルフラワーと、枯れた花から採れた種のイラストである。
一見すると宝石にしか見えない種こそが、ジュエルフラワーと呼ばれる所以だ。
ジュエルフラワーが残す種はたったの二つだけ。そのうち一つは枯れた場所に根を深く張る。こちらの種を動かすことはできない。根を掘り返したが最後、一瞬で枯れて元には戻らないのだという。
別の場所で咲かせたければ、もう一つの種を獲得するしかない。
多くの国が美しい花を自国でも咲かせたがった。同時に宝飾品としての需要も非常に高い。
見た目が美しいのはもちろんのこと、同じものはこの世に一つもない。
黄金よりも価値の高い種は不思議な力を持つとも言われている。権力の象徴とも言われ、戦争の火種になったこともあるのだとか。
パンフレットに詳しい歴史が描かれていた。
もっとも珍しい花を見られるだけで浮かれているメラニアにとっては関係のない話なのだが。
「今回は蕾の時点でかなりの大きさだという話だから、踏み台などが用意されていればいいのだが……。必要とあれば俺が君を抱き上げよう」
「ええ!? そんな、申し訳ないです」
「ずっと楽しみにしていたではないか。それに今回を逃したら生きているうちには見られないぞ?」
「そう、ですけれど……。恥ずかしい、です」
頬を赤らめ、俯く。
メラニアがウィルヴェルン家に嫁いで八年。
子供には恵まれないものの、夫婦仲は良好。ジニアはいつだってメラニアとの時間を大切にしてくれる。今だってそうだ。ドレス一着分もする観覧チケットを用意してくれた。
折角用意してくれたのに、十分に楽しめなければ申しわけない。
だが人前で手を繋ぐことには慣れても、抱き上げるなんてそんな……。
ジニアの屈強な腕で横抱きにされる想像をして、ますます顔が赤くなる。
「本当は花を見るだけではなく、種もプレゼントできたらよかったんだが……」
今朝開花したばかりのジュエルフラワーだが、一か月前には種が競売にかけられていた。
ジュエルフラワーの競売ともなれば、各国の王族も参加する。動く額も大きくなり、大規模な会場と共に厳重な警備が必要となるのだ。
今回のオークションで見事種を落札したのは、この国の王妃・フランシスカ。それも国庫から捻出したのではなく、嫁ぐ前から密かに行っていたビジネスで稼いだお金だというから驚きだ。
過去一番の落札額を払う姿は新聞の一面を飾ったほど。
王妃様をカッコいいと思いはするものの、メラニアにとって一番美しい宝石は八年前に手に入れている。
「私にとってはジュエルフラワーの種よりも、エメラルドの結婚指輪の方が嬉しいです」
当時、メラニアは婚約者に捨てられ、惨めな令嬢と呼ばれていた。
夜会に出れば影で笑われ、実家に送られてくる釣書はうんと年上の男性の後妻ばかり。本来、年若い未婚女性に送られるものではない。
それもメラニアの実家は伯爵家。
婚約者に捨てられたメラニアばかりではなく、実家自体が明らかに見下されている事実に耐えられなかった。
いっそ修道院に入ってしまえば。
追い詰められていたメラニアを救ってくれたのが、ウィルヴェルン辺境伯家の令息・ジニアだった。
学生時代、ろくに交流もなかったが、メラニアは一方的に彼のことを知っていた。
いや、メラニアだけではない。現役騎士のように逞しい体躯と鋭い眼光はほとんどの学生達の記憶に強く残っているはずだ。魔物の発生が多い辺境伯領の令息でもあることから、距離を置く女子生徒は多かった。
王子と並んで目立っていたジニアからの求婚に、メラニアはひどく戸惑った。
だが本人以上にパニックになる父を見て、ほんの少しだけ冷静になった。そして今にも泣きだしそうな父から手紙を受け取り、目を通した。
手紙に綴られていたのは教本のように美しい文字だった。
メラニアを気遣い、その上で家族になってほしいと書かれた手紙に、メラニアは自らペンを取った。手ごろな妻を確保するための建前だったとしても、惨めな女には偽物の優しさすら向けられてこなかったのだから。
ジニア本人が書いた手紙だと知ったのは、辺境伯家に嫁いだ後のことだ。
多めに持参金を持ってきただけのメラニアに、ジニアはエメラルドの結婚指輪を贈ってくれた。ウィルヴェルン家では代々妻となる女性にエメラルドの指輪を贈るしきたりがあった。
エメラルドは幸せな家庭を象徴する宝石であり、辺境伯家当主が継承してきた家宝のネックレスに使われている石でもある。なにより、ジニアの瞳と同じ色の宝石だった。
ジニア曰く、一度だけ家族を守る力があるのだとか。
ただし力を使ったが最後、綺麗な緑の輝きと共に大切な物を失うことになる。大きな力を得るには大きな代償が必要となる。
一種の教訓のようなものだと茶化したように笑いつつも、これは代々当主が自分を律するための枷であり、お守りでもあるのだと締めくくった。
真面目で堅実な彼らしい意見だ。
ジニアの首元で輝くネックレスと同じ輝きが自分の指にもあることが誇らしい。
メラニアはエメラルドの指輪を見る度、彼の隣に立つ女性として相応しくあろうと思うのだ。
「メラニア……」
ジニアの手がメラニアの手と重なる。高めの体温が心地良い。
パンフレットを閉じ、彼の肩に頭を預けて目を閉じるのだった。
少し遠回りをした馬車は植物園の前に止まった。
カーテンを捲って外を確認する。植物園の入り口はすごい人であった。すでに第一チームから第三チームまでの入場は済んでいる。外に並んでいるのは四番目のチームと五番目のチームだ。メラニア達は五番目。時間にはまだ余裕がある。
ジニアに支えてもらいながら馬車を降り、パンフレットを胸の前に抱く。そのまま待機列に並ぼうとした時だった。
「ーーえ」
「メラニア!」
胸に鈍い痛みが走った。一瞬何が起きたのか分からなかったほど。
ゆっくりと振り返ると、そこには頬が痩けた長身の女性がいた。
何かを掴んでいたのだろう両手をプルプルと震えさせながら、ヒャヒャッヒャと不気味な笑い声を発する。
「メラニア=ガルド、これでまたあんたは惨めな令嬢に逆戻りよ。幸せに笑っているなんて許せない。あんたが惨めでありさえすれば、わたくしは、わたくしはああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
警備員に取り押さえられてもなお、女は傷んだ髪を振り乱しながら言葉にならない叫びを響かせる。
メラニアの身体はその場に倒れこむ。不思議と地面に打ち付けられた際の痛みはない。じんわりと広がっていく痛みが強すぎて、それどころではないのかもしれない。
他人事のように思えるのは、もう助からないと理解してしまっているから。
メラニアは遠ざかる意識の中で、ようやく女の正体を突き止めた。
彼女はかつて、メラニアの婚約者を寝取った令嬢だ。
当時メラニアの婚約者だった令息の子を孕み、学園卒業を待たずに結婚したはず。
メラニアから婚約者を奪った女性になぜ恨まれなければならないのか。彼らのせいでメラニアは『捨てられた惨めな令嬢』という不名誉なレッテルを貼られてしまったというのに。
メラニアが幸せでいられるのは、ジニアが妻として迎えてくれたから。
「メラニア、しっかりしろ。メラニア! 目を閉じてはダメだ!」
ジニアはメラニアを抱き寄せる。エメラルドと同じ色の瞳は涙で揺らいでいる。
拭ってあげたいけれど、手に力が入らない。馬車の中では感じられた彼の体温も、薄れゆく意識と共に溶けていく。
「あなたに会えて、幸せ、でした」
死を受け入れたメラニアは最後の力を振り絞り、最愛の夫へ愛の言葉を紡ぐ。
それを最後にプツリと意識が途切れた。