Prologue 病床の芽郁
病室の白い天井が自分の目いっぱいにひろがる。
窓の外は辛抱強く春を待つ桜の蕾が風にそよいで、数少ない親友たちからもらったたくさんのプレゼントが机から落ちようとしている。
この部屋の主である新見芽郁は、16歳の夏、転んでできた傷から出る血が止まらないという理由で救急搬送され、白血病と診断された。
その日から、2年の長い闘病生活が始まった。
抗がん剤の副作用で髪は抜け落ち、帽子をかぶることが多くなった。
痛みの続く長さが増し、めまいや頭痛が多くなった。
そんな中、一番の楽しみであり趣味だったのが、アニメや ゲーム、マンガに小説だった。
病室にいる時間はとても長く、暇な時間が多かった。だからこそ芽郁はさらにそこにのめり込んだ。
たくさんの本を読み、たくさんのゲームをし、たくさんの時間を過ごした。
いつ終わるか分からない、自分の人生をより豊かにするために。
ある日、芽郁は血を吐いた。
すぐに搬送され、検査の結果、慢性白血病が急性白血病に急性転化したことが分かった。
もって、あと1ヶ月だということも。
身近なものたちは皆泣いた。泣いて泣いて泣いた。
しかし芽郁は泣かなかった。
人とは自分よりも焦るものがいると冷静の判断ができるようだ。そんな燃えたぎる身近なものたちの感情とは別に、芽郁の感情はひどく落ち着いていた。
(案外、あっけなくいわれるものだな。)
ようやく、ふんぎりがついたように感じた。
自分はもう、これ以上良くならない。そんなことがよくわかった。
診断が出た次の日から、緩和治療が始まった。
以前よりもさらにしょっちゅう眠くなるようになり、1日の大半を睡眠に使うようになった。視力も低下したのか、人の顔が徐々に見えにくくなった。激しい痛みが体を襲い、目が覚めることもあった。声もまともに出せなくなった。
ある冬の日、芽郁は自覚した。今日が最期の日だと。
何人か誰かの声がしたが、誰の声かは分からない。おそらく、自分とは無関係の誰かだろう。
芽郁はこれまでのことまた考える。
もう食事を取ることはかなわない。
もう唾を飲み込むこともできない。
もう香りを嗅ぐことはかなわない。
もう無を感じることしかできない。
もう景色を見ることはかなわない。
もう光を感じることしかできない。
もう手を感じることはかなわない。
もう暖かさを感じるのもできない。
(こんなことを感じるなんて、まるで走馬灯じゃないか。実際、走馬灯なんだろうけれども。)
声が少しずつ遠ざかっていく。自分がこちらの世界から離れようとしているのだ。
別に悔いもない。後悔もないはずだ。
(ただ、もう少し生きがいのある人生を生きてみたかったな。)
どこかで変な音が聞こえたが、そんなことお構いなしに、芽郁の意識は泥沼の中に沈んでいった。