//05
知らない、白い天井。
目が覚めて、気がついたら見覚えのない場所で大の字で寝ていた。
ゆっくりと体を起こし立ち上がる。
そして辺りを見渡した。
辺りは大理石でできたつるりとした床と、白くて太い柱に囲まれている。
オレが思いつく限りの言葉で例えるなら、そう。
神殿、だ。
大きな廊下に並んでいるアーチ型の柱は吹き抜けになっていて、中からでも空を見る事ができる上、涼しい風がそこから入り込んでくる。
空は暗く、沢山の星空がチラチラと輝いていた。
それがあまりにも綺麗で、つい立ち止まり見入ってしまう。
あれだ、小学生の時校外学習で行ったプラネタリウム。あれと同じ空だ。
普通都内じゃこんな満点の星空は見えやしない。
ビルの光に街灯、街中の大型ビジョンのあまりの明るさで星の輝きなんて容易くかき消されてしまう。
その点ここは照明という照明が見つからない。
街灯や松明の一つさえ見当たらない。
それでも辺りがよく見えるのは、異常なほどまばゆい光を放つ、あの月のおかげだろう。
さて、ここはどこなんだろうか。
ここにくる前の記憶がぼんやりとしていてよく思い出せない。
確か学校にいたような、いなかったような、そんな感じ。
ただ分かるのは、自らの意思でここに足を運んだわけでは無いという事。
辺りはしんと静まりかえっていて、オレ以外の人の姿は見当たらない。
そのせいか踏み出すたびにコツン、と大袈裟なくらいに足音が地面に響き渡る。
ここからどうしよう。
ポケットをまさぐってみるがあいにくスマホは入っていない。
特に案内版のような物も辺りには見当たらず、ここがどこなのか、どこが出口で入口なのかも分からない。
だとしたら今オレにできることは……
歩く。それだけ。
誰か人を探しつつ歩こう。それ以外無いだろう。
つい先日とんでもない超常現象に巻き込まれたばかりだから、もうこの程度では驚けなくなってしまった。
いやぁ、慣れって怖いね。
景色もいいし、ちょっとした散歩がてらいいかもしれない。
なんて思いながら歩みを進めた。
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しばらく歩いてみたが、特に何かが現れる訳でも無く、別の道が見つかる訳でも無く、ずっと同じような景色が続く。
あれ?ここ、さっきも通ったような。
ずっと同じところをぐるぐるしているような気がして、本当に進めているのか不安になる。
ループしてたりしない?これ。
しかし今、変化を1つ見つけた。
外、星空の下に何かの影を見つけた。
「……人?」
よく目を凝らすと、それは確かに誰かの人影だった。
神殿から足を跨ぎ外へと踏み入る。
踏み出すとそこは青草と花々が見渡す限りひたすらに広がっている、美しい花畑だった。
そこに白髪の少女は座って、何かをしている。
風が吹く度その白い髪がふわふわと揺らめく。
背格好からしておそらく子供だろう。
俺はその子に近寄ってしゃがみ込んだ。
「ね、そこで何してんの?」
俺が声をかけると、少女は作業をやめ、伏せていた顔を上げた。
すると目が合う。
白と黒の、オセロみたいな珍しい色の目をしていた。
「これ。」
彼女は腕を軽く持ち上げた。
その指先には赤い糸が絡まっている。
「する事がないからずっとあやとりをしている。」
「あやとり?」
「うん。あやとり。」
そう呟くと少女はまた俯き、指を巧みに動かす。
傍らにはあやとりの本が置かれているが開かれていない。
読まなくてもできるほど工程を暗記しているのか。やり慣れているのだろう。
「最初は楽しかったよ。できない技を習得する度達成感が得られて、素晴らしい娯楽だと思った。」
何を作ってるのだろうと覗いた。
今少女が作っているのは、はしご…のようだった。
「……しかし今日でこの本も54637週目。
一通りやり尽くしてしまって飽き飽きしてきたんだ。」
「ごま……!?ん!?」
「うん。5万。」
少女は小さく頷く。
「私は多趣味でね。あやとりを始める前は縄跳びを、その前は歌を、その前は花占いを楽しんでいたのだけど…どの娯楽もやり尽くし慣れてしまうと、途端につまらなくなってしまうんだ。」
少女は眉を下げ、悲しげに笑う。
「あやとり遊びも、もう時期辞める頃合いかな」
そう呟くと、指に絡まっていた糸を解き始めた。
「じゃあ二人技、やってみればいいじゃん」
「え?」
少女はキョトンとした顔を浮かべる。
オレはちょいちょい、と手招くような動作を見せる。
すると少女はおずおずと紐の片端を差し出した。
オレはそれを手に取り、親指と小指にかける。もう片手も同じようにする。
するとそれを真似するように、少女も指に紐をかけた。
「うろ覚えだけど多分教えられるよ。小学生の時死ぬほどやってたんだよね」
「あやとり、好きなのかい?」
「好き…かはあんまわかんないかも。」
少し恥ずかしい話を思い出し、苦笑する。
「小学生の頃好きだった女の子があやとり好きでさ。オレも覚えればお近づきになれるかな〜とか、そんな不純な理由でできるようになっただけ」
彼女が小指にかけた糸を人差し指でとる。
同じように、と呟くと、少女もまたオレの手にかかった糸をとる。
「どっちかっていうと外で駆け回る方が好きな子供だったな。毎日走って走ってこけまくるもんだから、いっつも泥だらけだった」
「走るのが好きなんだね。」
「………そうだね。」
たるんだ糸を直すように軽く引っ張り整えた。
「君がずっとここにいてくれたら、私は退屈しないで済むのにね。」
「あらやだ〜嬉しい事言ってくれるじゃ〜ん!!」
懐いてくれたのだろうか。嬉しい。
少女は頬を染めて控えめに、楽しい。と呟いた。
しかしずっとここにいる訳には行かない。
この子には悪いが、オレは元の場所に帰らなきゃいけない。
今日はアラセくんと一緒に昼飯を食べる約束をしている。
無断で約束を破るわけにはいかない。
「嬉しいお誘いだけど、オレそろそろ帰んなきゃいけないんだよね〜……。ここの神殿の出口、どこにあるか知らない?」
「知っているよ。」
少女は微笑んだ。
よかった、これで帰れる。
ほっと胸をなでおろした。
「でも、本当に帰りたいのかい?」
「え?」
何か空気が変わった。
少女はオレの驚く顔が面白いのか首を少し傾げ、ふ、と目を細めて笑った。
そうしてゆっくりと口を開く。
「だって君はかつて、自分の夢に閉じ篭って、死を選ぼうとした。」
「今の君に、現実に帰る理由はあるのかい?」
強く冷たい風がふく。
少女を見つめた。
髪が強くなびき、顔を隠し、表情がよく読み取れなかった。
今この子が指しているのはあの時…オレが夢に閉じ込められ、アラセくんに助けられた時の事だろう。
……なんでこの子があの日のことを知っているんだろう。
「"死を選ぼうとした"って、いや、オレはあの時そんなつもりじゃあ……」
話が暗い方向に進んでいくような気がして、それがなんだか嫌で、誤魔化そうとした。
別の話題を持ち出そうと口を開きかける。
その瞬間、少女は何も言わず、じいっとこちらを見つめていた。
喉元まで出かかっていた言葉が詰まる。
少しの沈黙が続いた。
「…ま、まぁ客観的に見るとそうなっちゃうのかな。オレ的にはそんな重い表現じゃないけど!」
また誤魔化すの失敗した〜!!
アラセくんの時といい、真っ直ぐな目で見られるとどうにも誤魔化すのが下手くそになる。
子供相手になんつー話をさせてんだ!!!ごめんね!!!!
なんとなく気まずくて首の後ろをさすった。
「誤魔化さないで」
高く、柔らかい少女の声。
「聞かせてくれないかい、君の話を」
少女はオレから視線を逸さなかった。
………今、目の前にいるのは12かそこらの小さい女の子だ。
声も、容姿も、仕草も子供そのものだ。
しかしなぜだかこの子と話していると、自分より大人…遥か年上の誰かと喋っているような錯覚に陥る。
発言や喋り方が妙にませていて、子供として対応するのは相応しくないように思えてきた。
軽くなら……話してみてもいいんじゃないだろうか。
「…………まぁ、確かに、一番大切にしてた物を失って、これからどう現実を生きていったらいいかわかんないってのは本当。」
「あ、いや、さっき君が言ったみたいに死のうとかはマジで考えてないけど!」
そこは訂正しなくては、と急いで付け加える。
「人生の柱……サッカー選手になりたいって夢を失った時、他にオレの中でやりたい事も夢も願望も、何も無いって事に気づいた。」
これで最後の工程。
人差し指にかかった糸を外した。
「だから、これから見つけようと思う。どうやって現実を生きていくか。」
少し腕を引けば紐は引っ張られ、ある物を形作る。
「だから、そのために現実に帰りたい……かな。」
少し腕をあげ、少女に微笑んだ。
ただの紐だったはずの赤色は、一つの船を形作っていた。
数年ぶりだけど、案外覚えてるもんだな。
ここは夢の中だ。
今、そう気づいた。
「君は、世界で一番現実を生きる人なんだね」
「世界で一番!?大袈裟すぎでしょ!!」
「大袈裟じゃ無いよ。」
オレの返答はどうやら少女にとって満足のいくものだったようで、
「君みたいな人を待っていたんだ。」
と肩を震わせ嬉しそうにくつくつと笑った。
「人間はみんな、それぞれがそれぞれの願いを抱えている。
「愛されたい」
「自由になりたい」
「死んだあの人に会いたい」
「大切な人を守りたい」
「世界を知りたい」
「嫌いなあの人を殺したい」
その形や思いの強さは違えど、みんな未来に夢を見ているんだ。
…それも、現実が見えなくなってしまうほどに。」
指にかかった紐を全て解くと、少女はあやとりをオレに預けて立ち上がった。
そして夜空を見上げる。
「しかし君は今、夢じゃない。現実を見ている。」
その小さな手を空へ向かってうんと伸ばした。
そして、愛おしそうに月を見つめる。
その姿がひとつの絵画みたいに様になっていて、とても綺麗だった。
少女をぼうっと見つめる。
少しすると少女は白い髪をふわりと揺らし、大きな目を細めて笑い、こちらへ振り返った。
「もしかしたら、君になら託してみてもいいかもしれない。」
「託すって…?」
少女はこちらに一歩踏み出し、オレに目線を合わせるようしゃがむ。
「私のための“夢”を君に少し授けるよ。
君が望む本来の形には、多分、ならないけれど…」
分からないと戸惑うオレをみて少女は笑った。
そしてオレの手を両手で包み込み、握る。
その手はひんやりとしていて、冷たくて、生きている人間のものとは思えなかった。
そして少女は祈るように額をオレの手の甲に近づけた。
「でも、きっと全てがうまくいくよ。
だって君は、今世界で一番現実を生きる人だから。」
少女は花が咲くみたいにふわりと笑う。
「心からの愛と、夢を君に。」
そして少女は自身の指を喉に突っ込み、オレの目の前で盛大に嘔吐し始めた。
「おええ…….✨✨✨」
そのまま手をつき、片膝をつき、その場にもどした。
「え、え、ええええええ!?!?今めちゃくちゃロマンチックな雰囲気だったよね!?なんで吐いたの!?!!?」
「おえ…ゲホッ、ゴホ、ッ…ふふ、っ必要な行為、だからだよ。」
ふう、ふう、と少女は呼吸を整え、口元を拭った。
背中をさするべきか、否か。
いや、さすったら余計吐いちゃうか。
今のは具合が悪いとかじゃなくて、自ら吐いたわけだし。
夢の中だからかその吐瀉物は普段想像するようなものでは無くて
どこかファンシーな規制と装飾が施され虹色できらきらとしている。
少し落ち着いたのか少女は地面から手を離した。
すると、なんと驚くことに吐き出した吐瀉物に触れ、何かを探り出した。
「え、ちょ、な、何やってんの?」
基本何でもOK、NG無しで有名な鏑木さんですが、さすがに今目の前の状況には絶句しています。
こればっかりはドン引きで、座りながら少し後ずさる。
「これじゃ…ない。これは少し…ううん…」
ぶつぶつと何かを呟きながら探っている。
しばらくすると何かを見つけたのか、そこから引っ張り出し、こちらにそれを見えるように差し出してきた。
「はい。」
えっ、それ、オレに見せるんですか。
体を引き気味にし薄目で覗く。
…が、少女の手のひらにのっていたのは汚いものでもなんでもなく、むしろ綺麗な…小判形の飴のような何かだった。
青と紫が混じったようなマーブル模様が、月明かりが照らされ半透明にキラキラと輝く。
まるで磨かれた宝石のようで、オレと少女の姿が表面にピカピカと反射している。
少し角度が変わって光の当たり方が変わればまた違った色を見せる。
あまりにも綺麗で、思わず見入ってしまった。
「食べて、これ。」
少女はにっこりと笑った。
「で、ええええ!?吐いた!!その飴、今吐いたやつだよね!?」
「吐いたよ」
「吐いたじゃん!!」
「仕方ないよ。私のために用意された夢は全て私が飲み込まないといけないから。」
「さっきから何言ってるか全然わかんない!」
「はい、舐めて」
「吐き出したものを舐めろと!?」
「噛んでもいいよ」
「そういうことじゃない!」
何を言ってるんだこの子は。
サイコパスなんじゃないのか?!
いくら子供の容姿をしているからといって、全てのお願いを引き受けられるわけじゃない!
あやとりならいくらでも付き合うけどさ!
「オレそんな性癖無いし!変なプレイ付き合う気ないから!」
「何の話だい?」
分からないなあとかわいらしく首を傾げる。
いやいや、そんなあざといポーズしてもダメなもんはダメだから!!!!
「とにかく、君にこれを摂取してもらわないと困るんだよ。
お願いだよ、頼む。私のためを思ってくれ。」
少女はなぜか必死だった。
どうしてこれを食べさせたいのか、理由は分からない。
さっきからずっと言っている夢がどうたらという話も全く理解ができない。
正直、人が吐き出したものを口にもう一度入れるのは少し……いや、かなり嫌悪感がある。
……しかし今は現実じゃない、オレの夢の中だ。
実際にはこの少女は現実に存在しないし、この飴も、吐き出したと言う事実もどこにも存在しない。
だとしたらこれ一粒ぐらい飲み込んでもいいんじゃないだろうか、
いや、うん。嫌と言えば嫌だけど。
でも、そこまで泣きそうな顔で懇願されてしまうと、もう断れなかった。
覚悟を決めた。
おずおずと手を伸ばし、手のひらから飴を受け取る。
そして、目をつぶりながらそれを口に含んだ。
途端、ビリビリとした刺激が舌を駆け巡る。
一言で言えば、そう。
クソまずい!!!!!!
「う、うう、うわっ、にがっ、なにこれめちゃくゃ苦い、吐きそう」
「おや、苦い夢だったようだね。
吐いてもらっても構わないけどもう一度拾って食べ直してね」
「とんでもない事言うじゃん」
あまりの苦さで長時間舐めていられる気がせず、歯でボリボリと噛み砕いて無理矢理飲み込んだ。
飲み込んでもなお独特な風味が鼻を抜ける。
水が欲しいがそんなものはここには無かった。
夢の中なのにめちゃくちゃ味するんですけど!!!!!
後味に苦しんでいると、少女はそんなオレの様子をじぃっと覗き込み、観察する。
見てて面白いのかな?
ふぅ、ふぅと息をゆっくり整える。
オレの様子が落ち着いたのを確認すると、少女はまた別の事を喋り出した。
「君は、現実世界でこれからどうしていくべきか…悩んでいるんだよね?」
「え、あ、うん。」
「ならひとつ、君に助言をしよう。」
少女は人差し指を立て、優しく諭すように喋り出す。
「とりあえずは……君も知ってるであろう、あの青髪の少年について行くといい」
青髪……アラセくんの事だろうか。
「そしてその先で君がこれから出会う……黄色い目をした黒髪の青年」
その指を口元へと持っていき、まるで秘密ごとのように囁き声で、ゆっくりと言った。
『彼は、全ての鍵を握っている。』
そう、とても重要な事だといわんばかりにオレにそれを刷り込んだ。
「無論、彼がその鍵を渡してくれるかどうかは君の力量次第だけどね。」
全ての鍵……。全てって何?鍵って?
疑問をすぐに全てぶつけようとした。
しかし突然、猛烈な眠気が体を襲う。
体がぐらぐらする。
目を擦るが段々と視界がぼやけていき、少女の姿形がうまく捉えられなくなる。
だめ、だ、眠い、なんだこれ
この子の言っている、ことの9割は、最初から最後まで意味が、理解、できなかった。
話せば話すほど、謎が深まる、ばっかで、だから、もっと話をして、言葉の、言葉、の、意味、を…
「…またね、キョウくん。」
…あれ、名前、教えたっけ。
そう尋ねる前にはもう、その夢は終わっていた。
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「キョウ」
ハッと目が覚め、勢いよく起き上がる。
そしてあたりを見渡す。
学校。屋上へ続く階段。
そして隣にはアラセくんがいた。
あの少女も、花畑も、神殿もどこにも無い。
あの飴の後味ももう口には残っていなかった。
アラセくんは相変わらずの顰めっ面でこちらを見ている。
やっぱり夢だったんだ。
どうやら起こしてくれたらしい。
「そっちから誘っておいて居眠りとかどういう神経?何度起こしても起きないし。」
「あーごめんごめん!」
「はぁ……昼休み、もう半分は過ぎた。」
そういうとアラセくんはお弁当の袋の結び目を解いた。
あれ?オレが起きるまで食べんの待っててくれたのかな?
オレもオレでさっき購買で買ったパンを取り出した。
「寝言…」
アラセくんはポツリと呟いた。
「ん?」
「寝てる間、“あやとりが”とかなんだか、ずっと寝言言ってた。なんの夢見てたの?」
ぎくりと肩を揺らす。
なんの夢。これはなんの夢だ?
どこからどう説明すればいいんだ。
「…か」
「か?」
「……可愛い女の子が…ゲロ吐く夢…」
「は?何それ。キョウの性癖?」
アラセくんはきも、と吐き捨てるとひとくち、卵焼きを口に含んだ