//02
『君は今、夢に閉じ込められている。』
少年の言葉をもう一度頭の中で繰り返し、噛み砕こうとする。
が、噛み砕ける訳なんてない。今すぐうえ〜って吐き出したい。
「いや、そんなん信じるわけないでしょ……」
絞り出した声は震えていた。
だってこんなことありえないでしょ。
抱えていたはずの笠原の体はいつの間にか腕をすり抜け、形ももう無くなっていた。
この少年は何者だ?そもそも誰?
知り合いではない。顔に見覚えがない。
何が目的なんだ?笠原になんの恨みが?
オレが疑心暗鬼になっている事を察したのか、少年は諭すことを諦めたようだった。
「信じられなくて結構。僕は勝手に1人で動くから。君はその虚像のお友達とお話でもしてたら?くれぐれも殺されないようにね。」
嫌味ったらしく少年は言葉を投げかけた。
「ほら、笠原くんも戻ってきたみたいだし」
少年がそう口にすると、背中からよく聞き覚えのある声がした。
振り返る。
「キョウ、誰その人?新入部員?」
唖然とする。
…さっき溶けて形が無くなってしまったはずの笠原が確かにそこにいた。
いつもの笑顔のままオレの目の前に現れ、いつもの調子で話し始めた。
「…は!?笠原!?」
すぐに駆け寄り、肩を掴む。
「さっき切られてたとこ痛くねぇの?!それどころか、ピンピンして……」
すぐに笠原の体のあちこちを確認する。
さっき斬られたであろう背中を見るが特に何も跡にはなっていない。
くっついたのか、そもそも切られた事なんてなかったかのように。
あの虹色の液体も体にはついていない。
何よりおかしいのは笠原自身の様子だった。
「切られた?何が?」
笠原はさっきのことを何も覚えていないかのようにケラケラと笑った。
そう、いつものように。それが恐ろしく感じた。
ゆっくり肩から手を離し、後ずさる。
「………………」
ゆっくり息を吐く。
いや、おかしいでしょこれ。
さっきまっぷたつに斬られたのになんでコイツピンピンしてんの。
そもそも、なんで斬られた事を覚えてないの?
理解ができず呆然と立ち尽くす。
『君は今、夢に閉じ込められている。』
信じがたい、信じたくない。
でももし本当に、この少年の言っている事が正しいとしたら。
...本当に、本当に、ここは夢の中なのだろうか?
「それじゃあ、僕はもう行くから。」
待ちくたびれましたと言わんばかりに少年はオレに吐き捨てると、すぐにその場を去ろうとした。
え、この状況で置いてくの!?マジ!?
「え!?ちょ、待って!!」
思わず少年の腕を掴む。
「……何?」
勢いで引き留めてしまったが、この後どうしようかは考えていなかった。
えーと、なんて言えばいいんだろ。えーーっと…?
「オ、オレも一緒に行く……」
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少年は早足でどこかへと歩いている。
そしてオレはその後に続く。ついでに彼の容姿をよく観察する。
歳はオレよりは若く見えるがそこまで幼くは無いだろう。中学生ぐらいだろうか。
青い髪に赤い髪紐を結んでいる、そして袴を着ていて腰には刀をさしている。
武士というかなんというか、とても現代の人と思える服ではなかった。
そもそも刀って銃刀法違反じゃない?
あれ、いやここは夢らしいから法律無視しても問題は無いのかな?
てかなんで刀持ってるんだ?
う〜〜ん混乱してきた!
いいや!考えるの得意じゃないし全部この子に聞いちゃお!
「ねぇ、閉じ込められてるって何?夢の中ってどゆこと?お前……えと、毒舌くんは何者?笠原は……」
「いっぺんに話さないでよ1個1個答えるから」
嫌そうな顔はしつつも一応答えてはくれるんだなと思う。
少年……またの名を毒舌くんは、それはそれは分かりやすく1個1個説明してくれた。
「さっき言った通りここは君の夢の中。現実の君は今眠っていて、夢を見ている。
ここでは人も空も建物もみんな君の夢が創り出した偽物に過ぎないし、さっきの笠原さんみたいに壊したって殺したって何をしたってなんら問題は無い。君が望めば全て元通りだよ。」
「要するにフツーに居眠りしちゃって夢を見てるってことでしょ?なんでわざわざ笠原を斬ったり刀持ったりしてんの?」
「.......普通に夢を見てるだけなら良かったんだけどね」
あ、またため息。
なんだか厄介な話なのだろうか。
「君は今夢想家……まぁ悪い奴らの仕業で現実で目が覚めないように、夢に閉じ込められてる。そして、このままずっと目覚めなければ君は夢と現実が完全に切り離される。」
「切り離されるとどうなんの?」
「簡潔に言えば、死ぬ。」
「死ぬの!?!?!!?」
毒舌くんは言いにくいであろう事もズバッと言い放った。
彼曰く、オレは今悪い奴らの仕業で夢に閉じ込められ、挙句殺されるかけているらしい。
そんな夢みたいな話ある!?!?まぁ本当に夢なんだけど!?!?
かなり緊急事態のような気がするのだけれど、毒舌くんは妙に冷静だった。
慣れているのだろうか。
「だから僕はそれを阻止しようとしてる人って事。これはもはや普通の夢じゃない、悪夢だよ。だからさっきみたいに君のお友達が君を襲ったりしようとするワケ。」
毒舌くんはパンパンと2度手を叩く。
一気に色々と詰め込まれイマイチ理解しきれずパンクしそうになり、頭をう〜ん?と抱える。
しかし毒舌くんはそんなオレの事を気にも停めていないようだ。
「質問はもういい?全部答えたよね」
「え、大ピンチじゃんオレ!?!?どうやったら夢から出れんの?!」
「はあ……話がまた長くなる……。
君にとって1番大切なものがこの夢のどこかにあるはず。それを壊せば君はこの夢から覚める。」
「大切なものを壊す?」
聞き返すと毒舌くんはこくりと頷き、喋り出す。
「そう。君にとって一番大切なものが恋人なら僕は君の恋人を殺すし、君にとって一番大切なものがこの学校なら僕は学校を燃やす。もちろん、夢の中での話だけど。現実に影響は無い。
......…まぁ、君の場合、それが何かは聞くまでもなく一目瞭然だけどね。」
毒舌くんは突き刺すような目でオレを見つめた。
オレの大切なものを壊す。
恋人を殺すとか、学校を燃やすとか、いちいち言動が物騒すぎる。
でもきっとそのどちらをしてもこの夢は終わらないのだろう。
オレも毒舌くんも、何が1番オレにとって大切なのかは分かりきっていた。
「...............サッカー関連...って事...?」
毒舌くんは首を縦に振る。
「そうだろうね。話はもういい?通常より夢侵化の進行度が速いからさっさと動きたいんだけど。」
うん、と返事をしようとしたが聞く間も無く毒舌くんは早足で歩き始めた。
つられるようにオレも駆け足で彼を追いかけた。
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「うわあああ!!もう!!!キリがないって!!!!」
なんと今、オレと毒舌くんは絶賛襲われ中。
学校を出ようと門を通ろうとした所、足元から泥のような液体が次々に打ち上げる。
泥はみるみる姿形を変え、段々と人型を催しだす。
次にその姿に目をやった時、絶句した。
誰も彼も見覚えのある顔なのだ。
チームメイト、ご近所さん、先生、クラスメイト。
目の前に現れただけならまだいい。普段の彼らとは明らかに様子が違うのだ。
こいつら、見境なくオレらに襲いかかってくる!
ここは夢の中なのだとオレ自身が認識したからなのか、それともオレが夢から目覚めるのを阻止したいのか。
毒舌くんが一人一人着実に刀でぶっ倒してくれるがそれ以上に数が多い。
武器の無いオレは拳で応戦しているけど、全く役に立てている気がしない。
「おかしい。普通はこんなにすぐ夢侵化が進まない。スピードが速い。」
「む、夢侵化って何!?!?!?専門用語並べないでてかまって拳で戦うのキツい!!!オレサッカー部なのにハンド!!!」
足も使えばいいか!と蹴りも入れるが特に状況は変わらない。
手当たり次第襲ってくる奴らに殴りかかるが殴った程度で倒せる訳もなく、少しひるめばまたすぐに襲いかかってくる。本当にキリが無い!
「…………。」
突然、なぜか毒舌くんはピタリ、刀を振る動きをとめた。
顔を俯かせ、表情はよく見えない。一体どうしたんだろう。
しかし相手は止まらない。
襲ってくるヤツらは殺そうと、夢を終わらせまいと彼へと手を伸ばす。
もう寸で顔へと届くところまで。
「...!毒舌くん!あぶない!!!」
勢いで彼へと手を伸ばす。
仲介に入ったとこで自分にどうにかできるとは思わなかった。でも手を伸ばした。
彼が怪我をしてしまう。危ない。
そう思った。
次の瞬間。
「ピシ、ピシ、」
暴れ狂っていた奴らの動きは急にぎこちなくなる。
オレに襲いかかろうとしていた人も動きをとめ、突然軋んだ音をたてる。
奴らの顔や体、至る所にヒビが入り始める、まるでガラスのように。
あ、あが、と言葉ですらない声をあげ、次第に次々と悶え出す。
「えっ?」
すると一瞬。
皆、突然ガシャーン!と全身が砕ける。
目の前でガラスの破片ようなものが舞い、すぐに足元にバラバラと落ちる。
数十人いたはずの人は全て砕け散り、オレと毒舌くん以外、周りに動いている人はもう誰もいなかった。
「...........え?」
人が、砕けた?
戸惑うオレを毒舌くんは睨みつけ、吐き捨てる。
「あんまこれ使いたくないから。使わせないで。」
使いたくない...?と、いう事は...
「え、毒舌くんがやったの、これ?」
「.....うん」
.....ほんとに?
でも彼は今頷いた。本当なんだ。
「すげええええええええ!!!!ジャンプの主人公みたいじゃん!!!!強キャラ感半端な!!!!!!ねぇそれオレにも教えて!!」
勢いよく彼の手を掴み握る。
超能力?異能力?これも剣術の1種なの?
居合切り的な!?すげえええ!!!!
気分が高揚していくのを感じる。
いや、こんなの男だったらみんな憧れるやつじゃない!?!?超能力で敵を一掃!みたいな!!
「うるさっ...........いや、教えないから。」
「がっ」
毒舌くんは興奮するオレを一喝。頭を手刀で叩かれる。
少し冷静になり状況を確認する。そうだそうだ、騒いでる状況じゃなかったんだった。オレ死にかけてるんだった。
叩かれたところを少し摩る。夢だけどちゃんと衝撃は来た。痛くは無いけど。
「ていうか、毒舌くんにばっか戦わせてごめん!なんかオレも武器とかあれば...。」
「別に。君は今守られるべき立場で、僕が守るべき立場ってだけだから気にしなくていい。さっきみたいに僕が襲われそうになっても間に入ろうとしなくていいから。寧ろ隠れててくれて構わないけど。」
そうは言われても。
確かに立場上はそうなのかもしれないけど、自分より幼い子の背中に隠れて戦わせるのは情けないというか、忍びない気がした。
「いや毒舌くんばっかじゃ大変でしょ。俺もなんか応戦できる道具.........あ、バットとか!?!?体育倉庫から借りてくる!!!待ってて!!!」
そう伝え、オレは彼に手を振りつつ体育館倉庫へと猛ダッシュを始める。
「あいつ聞く耳持たないな...。」
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学校を出てからどのくらい経ったのだろうか。
夢だからか時間感覚もめちゃくちゃで、ついさっきまで昼間だったのに今はもう空の暗い夜。
ここには時間という概念がないのだろうか。いや、そもそも現実とは時間の流れが違うのだろうか。
先程体育館倉庫から掻っ攫ってきたバットを片手に、ひたすら木々と土の広がる道を歩いている。
針葉樹、だっけ。クリスマスによく見るヤツ。
葉の先には宝石のような虹色の雨粒が滴っている。
それらがキラキラと輝いてまるでイルミネーションみたいに輝く。
おかげで夜道だというのに辺りはぼんやりとした光に包まれていて、ランタンやライトがなくても難なく歩くことができた。
時々雨粒同士がカチン、とぶつかり、カラカラキラキラと控えめで綺麗な音をたてる。
地面にその虹色の光が写り、歩くオレらの影を照らしていた。
そしてオレらはその穏やかな灯りを頼りに歩みを進める。
「キレー…」
風がひとつ吹くと、それとまた同時に雨粒がひとつ葉からこぼれ、オレの頭上に落ちる。冷たい。
液体だったはずの雫は地面へとぶつかるとまたからん、と音をたて地面に染み込むこともなくそのままの形を保ち、そこへと転がる。
なんとなくそれを拾い上げる。
液体だったはずの雫は硬く、形を持っていた。
宝石のように輝き、キラキラと光を発し、反射させたであろう何かを写した。
そしてその姿の正体に気づいた瞬間、息を呑んだ。
今この雫を見つめているのは、オレのはずだ。
だから今のオレの、間抜けな顔が映るに違いないだろう。
なぜだろうか。
それが写していたのは、幼い頃のオレの姿だった。
そのまま足元に転がる別の雫をいくつか拾い上げる。
どれもが写すのは今のオレではなく、ひとつには母親の姿が、また一つには友人の姿が、
そしてまた一つには、今目の前を歩いている彼の姿を写していた。
えーーーーーーーーっ!!なんだこりゃ〜〜〜〜!!
.....なんて大袈裟に驚いてやる気にもなれなかった。
超常現象にも慣れてきたのか、さっきの笠原のがびっくりしたよなーと思いながら一息つく。
さながら名前をつけるとしたら「記憶の木」なんてどうかな。安直か。
雫はまた抱えた手のひらの中で温かく輝く。
「ここ、本当にオレの夢なんだね。」
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さっきまでの美しい景色があっという間に色を変え始める。
段々と雲行きが怪しくなり、じきに雨が降り地面もぬかるみだす。
雷雨だ。
ゴロゴロ、ピシャーンと雷の音があちこちで聞こえる。
踏み込む度に濡れて重くなった土に足をとられ酷く歩きにくい。
手にしていたはずの雫はいつの間にか雨とともに溶けだし、流れ出して形が無くなっていた。
服や髪もびしゃびしゃと濡れてしまって顔や体に張り付き、体も冷えてくる。
夢なんだから都合よくヒーターとか傘とかカイロとか出てこないのかな?
オレの夢なんだから念じれば出てくるかな。
ついでに、何を話しかけてもふざけても毒舌くんは「そう」とか「答える必要ある?」とかしか言わないから心も冷えてきたよ。しくしく。
「ぶえっっっくしゅん!!!なんで急に雨が...」
「夢は見る人の心の鏡写しにしか過ぎない。」
「?何、どゆこと?」
毒舌くんは歩みを止めて、振り返る。
雨が彼の頬を伝う。
ゆっくりと目をかしめ、投げかけるように冷たい声でオレに言った。
雨が彼の頬を伝う。
「鏑木京。君は怖いんでしょ?夢から覚めるのが。」
降っていたはずの雨が、重力を無視して雫の形を留めたままピシャン、とその場で動きを止める。まるで時間が静止したかのような。
ニュートンの何とかで地球には引力があるはずなんだけどね。
本当にここは夢なんだな。
そんな情景にも目を停めず、毒舌くんは全部見透かしてますみたいな顔でオレを見る。
なんて返そう。
『そんな訳ないって!!夢ごときで死ぬとかほんとにご勘弁って感じ!』
よし、そう言おう。
そうやって茶化してこの重い空気を早く終わらせてしまおうと思った。
笑顔を準備して、彼の目を見る。
彼はただただ真っ直ぐオレを見つめている。
全て見透かされてるような気がして怖くなった。
準備したはずの言葉は何も出てこなかった。
笑顔も上手く作りきれなくてそのまま思わず目を逸らしてしまった。
まさに図星、というか。
「ビ、ビンゴ〜...?」
必死に考え抜いた代替案の返答も失敗に終わった。
毒舌くんははぁ、とため息をつく。
途端に時を止めていたはずの雨はまた動きを取り戻す。
それどころかさっきより少し雨足が強まった。
実際思ってしまった。
「この夢にずっと籠っていられたら」と。
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数ヶ月前。
先輩方や友人、後輩にも挨拶をして、顧問にも事情を説明した後。
残り、オレに出来ることと言えば退部届に名前を記すだけだった。
自室で1人。
職員室で貰った届けを鞄から取り出し、机に置く。
カーテンが揺らぎそよ風が頬を撫でる。
「.....................。」
ペンを握った。
紙へと手を伸ばした。冷や汗をかいた。頬から顎を伝って流れ落ちる。
手が震えた。左手で右腕を支える。
上手く握れず落とす。
拾おうとする。
手が震えて上手く握れない。
これを書けば、オレの夢は完全にここで終わりになるんだ
夢半ばで?
こんな中途半端で終わってしまうのか?
『悲しいと思いますが、受け入れて、前へ進んでいきましょう。』
「受け入れる」なんて、言い方を変えて聞こえが良くなっただけで、諦めるって事じゃないか。
オレの今までの時間はどうなる?
オレの今までの想いはどうなる?
オレの今までの努力はどうなる?
みんなはこれからも夢を追い続けられるのに、なんでオレは諦めないといけないのか?
この夢を失ったらオレはこれからどうやって生きていけばいい?
酷い吐き気と頭痛がする。
息が震える。吸った勢いで、呟いた。
「諦め、たくない。」
諦めたくない
絞り出した声はあまりにも情けなくて、少し笑えてきた。
両目から涙が溢れ落ちる。
紙が滲んで、少しずつ乾いていく。
無理やり握ったペンが文字を記す事は無かった。
ただ呆然と机を見つめた。
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早朝。まだ母さんも起きていないようで、起こさないようにとそろそろと慣れた手つきで支度を進める。
朝はかなり食べないと体力が持たないから人よりは多く食べていると思う。昼も。
関東大会を控えているからここしばらくの練習はだいぶハードだろうし、特にね。
今日の授業はなんだっただろうか、
でもオレにとっては授業は部活のオマケみたいなもので、さして興味もなく今更確認するのもだるいよなと思い適当に教科書を詰める。
何か忘れていたら別のクラスに借りに行けばいいだろ。
何故か、こうして朝早くに家を出るのが久しぶりな気がした。どうだっていいけど。
靴を履く足がどこかぎこちない気がした。どうだっていいけど。
痛い気がした。どうだっていい。
足音がした。
振り返る。
母さんだ。
「キョウ、何をしてるの?」
とぼけているのだろうか。朝練があるから早くに家を出る。それだけ。
..........あー、練習時間が早まったこと、言ってなかったかな
とびきりの笑顔をつくってみせた
「言ってなかったっけ?関東大会控えてるから朝練の時間早まったんだよ」
「...何を、言ってるの?」
「だから部活だって。部活の朝練。別に今に始まった事じゃないでしょ?」
「キョウ、何を、?」
「わかんないかなぁ!!!!」
ハッと我に返る。
思った以上に大きな声が出てしまった。
オレは今、何をした?
もしかして、母さんに怒鳴った?
あれ、これ、まずい雰囲気?
なんでオレは怒ってるんだ?
なんで声を荒らげた?
ただ部活に行くと伝えたかっただけじゃないか。
ごめん、大きな声だして、と謝ろう。
別に怒ってる訳じゃないんだから。
顔を上げた。
......なんで母さんはこんなに悲しそうな顔をして泣いてるんだ?
「お願いだから、靴を脱いで戻ってきてよ、キョウ...」
「.....なんで?」
「部活は、もう...」
「あなたは足をおかしくしてもうサッカーは出来ないのよ......!!」
そう叫んだ途端、膝をついてオレの腰に腕をまわし、制服の裾を握りしめ、母さんは子供みたいにわあああん、と泣きわめいた。
どうしたらいいかわからず、ただ母さんの背中を擦った。
もう、サッカーはできないらしい。
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夢の中では足は痛くなかった。
前のように自由に走り回れた。
現実を生きていたって、ただただつまらなくて苦しいだけの毎日が待っているだけ。
夢でならサッカーができる。
夢でなら本当の願いが叶う。
例え訪れる先が死しかないとしても、今のオレにわざわざ現実に戻る理由は見つけられなかった。
━━━━━━━━━━━━━━━
長い記憶の海から今へと戻る。
オレの目の前にいるのは母さんじゃなくて毒舌くんだった。
「怖いなら僕一人で行く。足でまといになるなら着いてこなくてもいいよ。ここで待ってれば?」
相変わらずの冷たい、突き放すような言い方。
でも彼が本当に冷たい人間だとは思えなかった。
オレよりもきっと若いはずなのに、どうしてこんな命懸けの人助けをしているんだろう。
「.....毒舌くんは、なんでこんな命懸けで人助けしてんの.....?」
「それ今答える必要ある?」
「夢終わってから毒舌くんとまた会う機会ってあるの?きっと、もう会えなかったりするんじゃない?」
そう尋ねると、彼は少し目線を外した。
答えるか悩んでいるのだろうか。
しかし少し間をあけて、毒舌くんはおずおずと口を開いた。
「.........大切な人を苦しめてる、自分への戒め。」
どこが苦しげにそうぽつりと呟くと、そのまま前を向き振り返ることも無く歩き出す。
どういう意味なのか気になったが、聞くのは野暮な気がしてオレも口を噤み一緒に歩き出した。
ぬかるむ地面を転ばないようにと、しかと踏みにじる。