10
10歳前後の一時期、家庭環境が養育に不適切の廉で公立機関にお世話になっていました。
子供達と職員さん達が集団生活する所です。自分を含めた子供達の中にどうしても落ち着けない子が居る時は、その子と職員さんとで別室へ移り暫く過ごす場合がありました。
この際に行う落ち着くための方法の一つが「10数える」でした。
職員さんや子供や状況の組み合わせによってバリエーションは様々です。
自分が体験したり、他の子達から聞き知ったりしただけでも、数えるのを見守ってくれたり、独りにしてくれたり、一緒に数えたり、抱っこや握手をしつつ数えてくれたりしていました。
職員さんの1人に、泰然と動じず、厳しくも穏やかで、大地の如き安定感を以て人気な方が居ました。
自分も慕っていましたが、この職員さんの「10数える」だけは頗る苦手でした。
職員さんは年嵩で、血行の滞った青黒い血管が浮かぶ緑白くしっとり弛んだひんやり冷たい手をしていました。
「10数える」を行う時、職員さんは子供と横並びに座り、自らの両手で子供の両手を外側からそうっと包みます。
ゆっくり優しく指を重ね、まず子供の右手の人差し指を自身の同じ指で内側へ柔らかく押し込んで、穏やかに折り畳ませ、じっくり「いぃち」と数えます。
子供と一緒には数えません。職員さんが独りで数えます。
そうして折り畳ませた指を上からふんわり押さえ込んだまま、続けて、残る子供の右手の中指、薬指、小指を1本1本順番に一音ずつ言い聞かせる具合に「にぃい」、「さぁん」、「よぉん」と数えながら折り畳ませ、親指の「ご」で出来た拳を右手でひたりと覆います。
覆って、左手も同様に、「ろぉく」、「なぁな」、「はぁち」、「きゅぅう」と階下から階上のこちらを見上げて一段ずつ階段を上って来るかの如く確り厳かに数えながらじんわり指を折り畳ませます。
最後に子供の左手の親指の甲側の付け根に、自身の曲げた左手の親指の腹を当て、のろりのろりと指先へ押し進めます。
既に折り畳ませて覆った4本の指の屈曲の中へ埋め入れる風に合流させ、何か狭く深く暗い容器の底に収めた物を覗き込みつつ蓋をしてゆくように、出来た拳を左手でひたりと覆います。
今後いっさい動かせそうにない重々しさで仕上げに「じゅう」と数えます。
じゅう。
こんな風にこの職員さんに「10数える」を行われると、どれほど荒れた心情の時でも覿面に効いてしまうので、思うように我を通せない不完全燃焼感を拭えず物凄く苦手でした。
勢いに任せて駆け上がった階段の上で思う存分感情を燃え滾らせたいのに、階下からこちらを見上げて一段ずつ上がって来る職員さんに狭く深く暗いどこかの底へ収められて、覗き込まれながら蓋をされ、酸素が尽きて、燃えられなくなり、否応なく消えざるを得なくなってしまうような、
そんな遣る瀬無い圧倒と息苦しい閉塞の感覚が、隣に座る職員さんから、俯いて自分の両手を包む職員さんから、ゆっくり10を数えながら1本ずつ指を折り畳ませて拳を覆う職員さんから、ひしひしひたひたと滲み出て、しっとり冷えた手に包まれた拳の指の間に浸み、掌の窪に溜まり、中へ潜って腕を伝い心臓へ遡り、鼓動と共に全身に巡る心地がして、
お世話になっていた期間は無論、暫くして家庭へ返され成人した現在に至るまで、何やらの機会に10数えられたり、手を重ねられたり、握られたりすると、思わず自分の身を退きたい、相手の手を振り払いたい、自分の耳を塞いだり相手の口を塞いだりしたい、そういう鋭い衝動が瞬間的に爆発し、つられてびくっとしてしまって、
どうしてただあれだけの事が、これほど後を引いたものかと、自分でも不思議に思われてなりませんでした。
強いて理由を付けるなら、当時、家庭からすくい出され、見知らぬ所で人達と注視されながら過ごす中で、自分の先行きが見通せず、どうして今ここに居るのかも本当には良く分からなくて抱えていた不安と警戒が、子供特有の感受性を、一層過敏に研ぎ澄まさせ、些細な刺激や情報まで捉えていたのかも知れません。
後年、ご縁があって、あの頃の若い職員さんが機関を辞して設立された民間の施設に勤めていた折、忘年会の席で、銘々の会話に花が咲き、何重もの喚声が寄せ返す騒がしい音響の波間で、強かに酔った風情の職員さんこと施設長が、物悲しげにしみじみ零した独り言めいた話によると、
随分まえに亡くなった、件の「10数える」職員さんは、昔ご自身のお子さんを水に沈めて喪われ、出所後この領域へ入り、前日まで熱心に勤められ、翌日に見付かった最期は、自宅風呂場の浴槽で独り沈んでらしたとの事でした。
終.