92.祭りの準備――どころではなくなった1
三日後、村の周囲に広がっていた黄金色の麦穂は跡形もなく刈り取られ、ほとんどの畑が丸裸となっていた。
作物がまだ残っている畑といえば、春野菜や夏野菜を植えてある土地のみ。
麦畑の大半を占めるライ麦畑の他、広くはないが大麦畑も同時に収穫し終えている。
こちらは本来は家畜の餌やビールの原料として育てていたが、マルレーネが味噌や麦茶がどうとか言い出してからは、一部がそちらに回されるようになっていた。
休閑地にしている牧草畑には羊などが放牧され、村の北西の一角には、薬草園や果樹園なども広がっている。
現在の農耕地帯の状況はそんな感じだった。
既に乾燥と脱穀も終わり、諸々の調整が行われてから、一部が租税として納められることになる。
それ以外は村の食料になったり、売って金に換えたりする。
この辺の仕事はすべて役人や協会があとを引き継ぐことになっているので、農民ではないグレアムたちの役割はここまでとなる。
しかし、収穫を終えたグレアムたちに休む暇はなかった。
今日からは引き続き、明後日から開催される祭り本番の準備に追われることとなる。
「本当にこの時期は大忙しだな」
畑仕事の疲れが抜けきらないまま、グレアムはラフィを連れて、朝から村の広場を訪れていた。
「仕方がありません。一年で最も大切な時期ですから」
一緒に村まで来たマルレーネが、当然のように呟いた。
そんな彼女の隣を歩いていたメイド服を着たクリスは、物珍しげに周囲を眺めている。
「しかし、祭りか。聖教国でも聖誕祭とかいろいろあったが、この村は随分と様相が異なるようだな」
既に広場の中央には火櫓用の木材が運ばれていて、大工などが作業していた。
広場の外周を囲むように並んでいる店舗の前にも、何やら露天のようなものが組み上げられ始めている。
それらも今回の祭りで出されるこの村ならではの建物群である。マルレーネの発案により実現可能となった、本来はこの世界にない出し物――屋台だった。
「二日間にわたるお祭り期間中は基本的に、お店はすべて休みになります。役場もギルドも協会も各店舗も。宿は泊まりに来る旅人がいますので通常営業となりますが、それ以外は特に理由がない限り、営業していません。宿の食事提供は普段行っていませんので、臨時で行われますが」
この村の祭りに初めて参加するクリスのために、マルレーネがそう説明した。
「なるほど。つまり、店舗経営者にも祭りを楽しませたいということか」
「えぇ、それもありますが、一番の理由はお店の前に屋台を出すので、店舗に入れなくなってしまうという、ただそれだけのことなんですけどね。あとは毎年持ち回りで屋台を運営するので、店舗経営者が屋台を任されることもありますから、必然的にお店を開けないんですよ」
彼女はそう言ってクスッと笑った。
「まぁ要するに、マルレーネの仕業ということだ」
グレアムが笑いながら言うと、
「何か言いましたか?」
マルレーネがにっこりと微笑みながら、冷え冷えとした声を絞り出した。
「い、いや、なんでもない」
グレアムは隣を歩くラフィと手を繋ぎながら、そっぽを向く。そのときに、彼女と視線が合った。ラフィはきょとんとしながらも、何か言いたそうにしている。
「ぐ~たん」
「ん? どうした?」
グレアムは立ち止まってしゃがみ込むと、小首を傾げているラフィと目線を合わせた。
「あのね? マロちゃんとチョコちゃん、きのうもきょうも、みてないですが、どこにいっちゃったですか?」
「あぁ、そういえば、最近見てないな」
ここ数日、いろいろ忙し過ぎてマロたちのことをすっかり忘れていた。
グレアムはしゃがんだまま、マルレーネたちを見上げた。
「確か麦を収穫した初日はいたよな?」
問いかけられた二人は考え込む仕草をしてみせる。
「そうですね。夜、一緒にご飯を食べているときにはリビングで寝ていましたよね」
そう答えるマルレーネに続いてクリスが答える。
「だな。チョコの方はわからないが、ネコの方は普通にいたぞ?」
「だよな」
グレアムは相槌を打ちながらも、一つ思い出したことがあった。
「そういえば、次の日の朝だったか? 俺とラフィが寝てるベッドの枕元のところに、確か、クリスタルサボテンの原木と魔力草が転がっていた気がするな」
呟くように言うグレアムに、クリスが眉間に皺を寄せた。
「なんだその、クリスタルなんたらという奴は」
「スキルスマテリアルの材料になる高級素材だよ。マロもチョコも基本、放し飼いにしているから、ときどきどっかから拾ってきて、俺のところに持ってくるんだよ。まぁ、だからあいつらを飼ってるとも言うけどな」
魔力草メルクリウスグラスもマテリアルの材料になる貴重品で、チョコが持ってくることがある。
「まぁ、普段からそんなだから、ときどき二、三日家を空けたまま帰ってこないこともあるんだよな。だから今回みたいなことも珍しくはないんだが」
グレアムはそう説明したあとで、ラフィを見つめた。
「たぶん、あいつらのことだ。どこかで遊んでるんじゃないかな? 元々、この村周辺一帯の草原やアヴァローナの森は、あいつらの庭みたいなものだしな。そのうち帰ってくると思うぞ?」
「そうなのですか?」
「あぁ。だから心配しなくても大丈夫さ」
そう言って、グレアムは笑顔で彼女の頭を撫でてあげた。
相変わらずラフィはきょとんとしたままだったが、グレアム自身も心の中で、「きっと大丈夫さ」と、自分自身に言い聞かせた。
姿を見なくなって三日も経つから、さすがにまったく気にならないといえば嘘になるが。
グレアムと一緒に探索しに行くときにはスキルマテリアルを装備させているから、ちょっとやそっとでは敵に後れを取ることはないものの、自由行動中はスキルなど装備していない。
スキルを使い過ぎたからかもしれないが、他の個体よりは身体能力が結構高いので、多少動きは素早い。しかし、それでも丸裸同然であることに変わりない。
なので、凶悪な魔獣に襲われたらひとたまりもない。
(それでも、この周辺にはそんなに強い奴はいないしな。あいつらも賢いから、無茶はしないとは思うが)
なんだか自分で言っておきながら、結構心配になってきた。
グレアムは弱気になる心を無理やり振り払い、立ち上がった。
「それよりも今は祭りの準備だ。俺たちは何をすればいいんだ?」
気を取り直して、グレアムはマルレーネに問いかけた。
「そうですね。食材などは既に運び込まれて解体作業なども進められていますし、加工も担当の方々にお願いしてありますので、グレアムさんは助けが必要な方々のフォローに回ってもらえますか? 私とクリスさんは全体の調整を行わなければなりませんので」
「わかった。じゃぁ、適当にその辺見て回るよ。ラフィにもいろいろ見せたいしな」
グレアムは軽く笑ってみせると、幼子を見下ろす。彼女は目が合うと、「ぐ~たん、だっこっ」と言って、手を伸ばしながらぴょんぴょん飛び跳ねた。
「おお、そうか。抱っこか。そうだよな、疲れたよな」
ちびっ子を抱き上げながら、どこか締まりのない笑顔へと表情が変わっていくグレアムに、マルレーネが残念そうに溜息を吐く。
そんなところへ、数名の男女が近寄ってきた。




