89.ご褒美タイム、そして蠢く者たち
その日の夜。
いつものようにマルレーネのおいしい夕食を済ませたラフィは、幸せそうにニコニコしていた。
「なんだか楽しそうだな」
膝の上に座っていつも以上にべったりとなっていた彼女を見て、グレアムの方も満更ではなさそうにニヤッと笑っている。
「えへへ~……」
頬を赤く染めたラフィはリズムを取るように、身体を左右に揺らしていた。
そこへ、洗い物を済ませたマルレーネが厨房から戻ってくる。
「なんだか本当に楽しそうですね」
彼女もクスッと笑ってグレアムの横に座ると、銀髪ツインテの頭を撫で始めた。
「うん~~! だって、きょうは、ま~たんがおとまりしてくれるですからっ。やっと、みんなでいっしょにねれるのです!」
ラフィは座ったまま、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。
そんな彼女を見ていたマルレーネが、若干頬を赤く染めながらも、少し複雑そうな表情を見せる。
「ですが、本当によろしいのでしょうか。三人で一緒に寝て」
上目遣いで見つめてくる彼女に、グレアムは肩をすくめた。
「仕方がないさ。ラフィと約束してしまったからな。まぁ、母親役……というか、役割的な意味合いで、今回はこいつのお願いを聞いてやってくれ」
宥めるつもりでグレアムはそう言ったのだが、それを聞いた途端、なぜかマルレーネの顔から表情が消えた。
「役割……そうですか。役割ですか……」
「ん? どうかしたか?」
「いえ。なんでもありません。こちらの話です」
そう言ってぷいっとそっぽを向いてしまう。
そんな彼女を見て、グレアムは「なんだぁ?」と、小首を傾げたのだが、そこへ突然、怒声が木霊した。
「おい、そこの三人! 先程から随分と仲睦まじい雰囲気を醸し出しているが、よもや、私のことを忘れてはいないだろうな!?」
甲高い声でそう罵ってきたのは、メイド騎士ことクリスである。しかも、
「おい、グレアム。俺のことも忘れてはおらんだろうな?」
そう野太い声で睨みを利かせてきたのは、他ならぬ村長のダクダ・スファイル――つまり、マルレーネの父親だった。
「忘れてはいないさ。クリスのことも村長のこともな。だけど、クリスはいいとして、なんで村長までここにいるのかいまいちよくわからんのだが?」
本気で意味不明といった顔を浮かべるグレアムに、村長が舌打ちした。
「お前という奴は。先程説明しただろうが。明日から始まる麦の収穫について話をしようと思っていたところに、マルレーネがおかしなことを言い出したから一緒についてきたのだと」
そう前置きして村長が鋭い眼光を飛ばしてきた。
「グレアム、お前がラフィを出汁に使って、俺の娘を手込めにしようとしているとな!」
本気とも冗談とも取れる発言に、グレアムは更にぽかんとしてしまったが、側にいたマルレーネが思い切り溜息を吐いた。
「だから、そういうことではないと何度も説明したでしょう? 今日はラフィちゃんと約束していたから、お泊まり会をするだけだって」
「だが、グレアムと一緒に寝るんだよな? 嫁入り前の身であるにもかかわらず、三人で仲良くベッドをともにするんだよな?」
ギロリと睨み付けてくる父親に、マルレーネはうんざりしたようにグレアムを見た。
「え~っと……?」
助けを求められたグレアムだったが、村長がなぜ怒っているのか理解不能なので、答えに困ってしまう。
(ラフィへの単なるご褒美のつもりだったんだけどな? ただ添い寝するだけだし。やましい気持ちも何もないのだが?)
しかし、そんな思いなど到底届くはずもなく、今度はクリスがにじり寄ってきて、今にも泣きそうな顔で怒り始めた。
「おい、貴様! 私というものがありながら、他の女と寝るというのか!? やはり、お前はマルレーネと結婚するということなのか!? 父親までこんなところに呼びつけたということは、そういうことなのだろう!? 娘さんをくださいとか言い出す気なのだろう!?」
クリスがグレアムの胸ぐらを掴んで揺さぶり始めたせいで、村長まで口をあんぐりと開けた。
「おい、グレアム! それは本当なのか!? 遊びではなく、本気で俺の娘を嫁にしようとしているのかっ?」
村長までにじり寄ってきたせいで、たちまちのうちにカオスとなってしまった。
(なんなんだこれは……なぜこうなった?)
マルレーネ同様、手に負えなくなって天を仰ぐグレアム。そんな彼を救ったのは、意外にも、この事態を招いた張本人のラフィだった。
「よくわかりませんが、きょうはみんなでおとまりすればいいのです! ぐ~たんとま~たんと、ま~たんのおとうたまと、それからそれから、く~たんも!」
「え?」
相変わらず幸せいっぱいに笑っていたラフィの一言で、グレアムたち大人全員が固まった。
「まさか、この大人数でか……?」
「くすくす……め~あんなのです!」
両手を口元に当てて、忍び笑いしているちびっ子。
「まぁ、いつ客が来てもいいように、客間はキレイにしてあったから、このリビングに布団持ってきて並べればなんとか寝れないこともないが……」
このリビングのテーブルは上下に稼働させられるようになっている。邪魔なときには下げて、床として使用することも可能だった。
「ラフィちゃん、本気で言っているの?」
さすがのマルレーネも困惑したように問うが、
「ほんきなのです! みんなでおとまり、たのし~のです!」
そう言ってラフィはキャッキャした。
◇
結局、ああでもないこうでもない言いながら結論が出ず、なし崩し的にみんなで雑魚寝する羽目に陥った。
ラフィは寝る前にマルレーネと一緒に風呂に向かおうとするが、そのとき、グレアムは思い出したようにラフィを呼び止めた。
「そうだ。ラフィ、これ、土産だ」
そう言って手渡したのは白くてもこもこした、まん丸羊のぬいぐるみだった。
大きさはラフィと同じぐらいある。
「ぅわぁぁ~~! おにんぎょうさんだっ。これ、くれるですか!?」
「あぁ。今日は寂しい思いいっぱいさせちゃったからな。お詫びの印だ」
ニコッと笑うと、幼子は握っていたマルレーネの手を放してグレアムの首に飛びついた。
「ありがとなのです! たいせつにするのです!」
とても可愛らしい笑顔を見せるラフィに、グレアムもきつく抱きしめた。
「あぁ。そうしてくれ。気に入ってもらえてよかったよ」
何かに目覚めてしまったのではないかと思えるぐらい、デレデレになっているグレアムを見て、村長が額を抑えた。
「まさか……あのグレアムがこんな風になってしまうとはな……いつもどこか一歩引いたような態度を見せていたあれはいったいどこへ行った……」
項垂れている父親に同調するようにマルレーネも溜息を吐いた。
「はぁ、先が思いやられますね……。そのうち家中、ラフィちゃんへのお土産でいっぱいになりそうです……」
「これ、将来、ラフィが嫁に行ったらどうなるんだ……?」
クリスもまた、心底呆れたような表情を浮かべるのであった。
~~ * ~~ * ~~
壁に設けられた燭台や、天井から吊り下げられたシャンデリアの明かりに、煌々と照らされた一室。
そこには贅を凝らした家具調度品が壁一面に並べられていた。
部屋中央にも高級木材で作られた巨大なテーブルがあり、それを囲むように高そうな装飾の施されたソファーが並んでいる。
そんな一室に、一人の男が立っていた。
『怪演の人形使い』という異名を持つ、パーゼオン・ゲヘナという名の男だった。
彼は高級官僚などがよく着る青と白の軍服のような衣装をまとい、身体の左半分を黒のマントで覆い隠していた。
育ちの好さそうな金髪碧眼の美貌には、薄らと笑みが浮かんでいる。
「それで? 首尾はどうなっている?」
ゲヘナは窓の外に広がる夜の町並みを眺めながら、独り言のように呟いた。
「はっ。実験は上々、とのことです」
部屋の入口付近で跪いていた別の男が、そう慇懃に答えた。
「そうか……。やはり、一定の効果はあったということか」
「はい。例の魔晶石の力は完璧ではないにしろ、ただの野生動物を魔獣化させられるだけの力を秘めていることはほぼ間違いないでしょう。ですので、この結果を基にして、更なる改良を施せば――」
「ふむ。人間をも魔獣化――いや、魔物に変えられるかもしれないということか」
ゲヘナはニヤッと笑った。
「いずれにしろ、研究はまだ途上。サソリの毒が完成するまで、せいぜい我が掌の上で踊ってくれたまえ、人間どもよ」
軍服を着た美丈夫は、そう独りごちた。




