85.疑似魔剣
「お前という奴は、本当に酷い奴だなっ……」
常人の視界には捉えられないぐらいの高速移動しながら、突っ込んできた巨大豚の左前肢を真正面から切り裂き転倒させたグレアム。そんな彼に追い付き様、横合いから腹へと一撃をお見舞いしたクリスが痛烈に非難した。
しかし、グレアムは意味がわからずきょとんとしている。
「なんの話だ?」
呟きながらも、痛みに暴れる魔獣の頭部へと長剣を突き立てた。
頭骨の固い感触に剣が弾かれそうになるが、その瞬間、剣身に魔力を流し、爆炎魔法を迸らせ一気にねじ切った。
――疑似魔剣『エクス=デラ・ルミエーレ』の一つ。
火炎魔法を剣に乗せて敵を焼き切る技、『炎獄魔斬』である。
斬り付けられたものは魔獣であろうと岩であろうと、紙のようにあっさりと断ち切られ、万が一、手加減なしの極大の一撃を食らったならば、傷口からあっという間に炎が広がり、全身跡形もなく燃え尽きてしまうと言われる恐るべき技だった。
本来、そのような芸当ができる人間など誰もいない。
敵を切り裂くときに、同時に魔法を発動させるだけなら誰にでもできるが、魔力を直接剣に乗せて剣自体を魔導具に見立てて魔法発動させることは世間一般的には不可能とされている。
太古の昔には魔剣や聖剣といった伝説上の武器があり、武器それ自体に魔法が宿っていたと言われるが、現代には一本も存在していないし、作り出すことも不可能な武器だった。
しかし、グレアムの家には先祖代々、『結晶改変』以外にもう一つ、特異な剣術が伝わっている。それがエクリール流剣術というものであり、その中の一つに数えられているのが疑似魔剣だった。そして、それを行使する上で欠くことができない存在が家宝の宝剣である。
なぜグレアムの家に代々、これらの技術が伝えられてきたのかは、彼自身よくわかっていない。技術と宝剣は継承されたが、理由を聞く前に彼にその技術を伝えた両親が、知らない間にいなくなってしまったからだ。
一応、グレアムを育ててくれた祖父母はいたが、二人して既にもうろくしていたので、何を聞いても「あぁ!? なんだってっ?」という答えしか返ってこず、結局理由は聞けずじまいだった。
ともあれ、そういった技術があったからこそ、瞬く間に剣聖と呼ばれるまでに上り詰めたのである。
グレアムに剣を突き立てられた巨大豚エルームガイゼルは、彼が行使した『炎獄魔斬』の炎によって頭骨を溶解させられ、更には脳までも焼き切られて断末魔の叫びを放った。
しかし、それもすぐにやむ。白目を剥いて痙攣し、そのまま動かなくなってしまったからだ。
凶暴と言われていた大型魔獣をあっさりと倒してしまったグレアムのせいで、ほとんど出る幕のなかったクリスはぶそ~っとしながら、剣を鞘に収める。
そのまま、固まりかけた血糊を布で拭いていたグレアムに近寄って、八つ当たりとばかりに文句を言い始める。
「おい、グレアム。お前、さっき村長と話をしているとき、わざとああいう態度を取っただろう」
「ん? わざと? 何を?」
クリスが何を言っているのか相変わらず理解できず、ふきふきしながら首を傾げる。
「決まっている。本当はこのデカブツが魔獣と知っておきながら、すっとぼけて放置しようとしたことだ。そうすれば、吹っかけられるかもしれないからな」
眉間に皺を寄せ抗議しつつも、どこかどや顔となっているおかしなメイド騎士。おそらく、グレアムの魂胆などすべてお見通しだとでも言いたいのだろうが、当の本人の頭の中は疑問符一色だった。
「お前がいったい何を言ってるのかよくわからないんだがな? 俺はただ、見た目がただの豚と一緒だったし、見たことのない個体だったから、それでてっきり、今まで出荷を逃れ続けてどんぐり食いまくって育ち過ぎただけの巨大豚かと思っただけだが?」
剣を鞘に戻しながら、至極当然といった体できょとんとするグレアムに、
「そんなわけあるかぁっ!」
遠くから見守っていた仲間たちがびっくりするぐらいの大音声で、クリスが吠えた。
◇
魔獣騒動が収まり、ギールたちが再び運搬作業に戻り始めていた。
そんな中、
「肉として持って帰るのはいいんだが、血抜きが面倒なんだよなぁ」
と、ブツクサ言いながら血抜き処理していたグレアムの元へ村長がやってきた。
「あんた……本当に凄まじいな……あのエルームガイゼルがまったく手も足も出ないとは……」
ひたすら感心する村長に、
「まぁ、あの程度の魔獣相手であれば、この男の敵ではないからな」
なぜか、クリスが得意げに応対していた。
「しかし、嬢ちゃん、あんたも見かけによらず大したものだ。見たところメイドさんなのに、剣の腕まで立つとはな」
魔獣が倒れ、幾分落ち着いたのだろう。村長の顔色はかなりよくなっていた。しかし、対するクリスは一気に機嫌が悪くなってしまう。
「誰がメイドだっ。私はこれでも、立派な聖騎士だっ」
「聖騎士……ですと? はて……? なぜ、そのようなお方がそのような格好をして、こんな辺鄙など田舎などにおいでなのですか? 騎士といえば、下級貴族様のお家でしょうに」
騎士と聞いたからだろうか、村長の腰が大分低くなってしまった。
聖教国では、貴族関係なく実力さえあれば騎士階級に上がれるが、この国では下級貴族が騎士階級に当たるため、どんなに努力しても平民は騎士にはなれない。せいぜいが戦士長止まりだ。
グレアムは不毛な会話を始めようとしている二人に近寄ると、肩をすくめる。
「まぁ、いろいろ訳ありで旅をしているということ、なんだろうね」
そう前置きしてから、周囲を見渡した。
「しかし、思った通りだったな。どうやら家畜たちが魔獣化していたのは、すべてこのエルームガイゼルに原因があったようだ」
眠ったままの豚はどうだかわからないが、少なくとも、柵の内側に集まっていた豚たちの様子はがらりと変わっていた。
赤く光っていた瞳も元に戻り、あれだけいきり立っていたのに、今までが嘘だったかのように穏やかな雰囲気に戻っていた。
自分たちの身に何が起こっていたのか理解できないようで、きょとんとしている者や、鼻をひくつかせている者、早速餌を探し始めている者など、その姿は通常の家畜豚そのものだった。
「あの様子だと、やはり、自分たちより遙かに強大な魔獣の覇気に当てられ狂ってしまったということなんだろうな」
呟くように言うグレアムに、「そうなのか?」とクリスが首を傾げる。
村長は心底ほっとしたようで、深々と頭を下げた。
「本当になんとお礼を申し上げてよろしいやら。一時はどうなるかと思いましたが、本当にあなた方のお陰でこの村は救われました。ありがとうございます。今後、何かありましたらなんでも言ってください。可能な限り、ご助力いたします」
ひたすら恐縮してしまう村長に、グレアムはただただ、照れ笑いを浮かべるだけだった。




