82.帰りたがるグレアム
グレアムたち一行は、三時間ほどの道のりを馬車の御者台に揺られながら進んできたが、特に何も起こらず、無事に東の隣村ナシュテットへと到着した。
村の規模はカラールよりも小さく、雑多に立てられた丸太小屋のような民家が無数に建ち並んでいる。更に、村の東と南側に家畜用の畜舎が無数に建てられていた。
ナシュテット村では常時羊が二百頭以上養殖されており、南側と東側に広がる広大な牧草地帯に羊や牛が放牧されている。
夜間は各畜舎に戻され、そこで眠らせるのが一般的だ。
牧草地帯には一部、芋類や豆類などの飼料用畑も存在し、それらを牛や豚の餌として与えている。当然、それだけでは餌が足りなくなることもあるので、その分は余所から買い付けることになる。
更に、牧草地帯の一部には、これまた広い森が存在しており、そこが今回問題になっている豚の放牧林として使われているとか。
森の周囲には頑丈な柵が設置され、更にその周囲の牧草地に無数の切り株が顔を覗かせている。
この地方一帯は元々大森林地帯だったということもあり、それを切り開いて材木に変え、空いた土地を牧草地として開拓しながら、細々と畜産業を営んできたという歴史がある。
そういった古い歴史の上に成り立っているような村なので、昔から農業より、畜産業に力を入れてきたのだそうだ。
事情を聞くために訪れていた村長宅の前で、グレアムたちはひととおりこの村の状態や成り立ちなどを聞いて、なるほどなと大きく頷いた。
「で、問題はそのアゼル豚って奴か」
買い付け一行の隊を率いる立場にある狩人のギールが眉間に皺を寄せた。
この地方で生産されている豚はすべてアゼル豚という品種である。脂のノリがよく、とてもおいしいと評判で、シュラルミンツから公都へと輸送されたアゼル豚は高値で取り引きされているとのことだ。
「あぁ、そのとおりだ。なんでこんなことになってしまったのか、皆目見当もつかん。村始まって以来、家畜が魔獣化するなどという話は見たことも聞いたこともなかったからな」
六十を超えていそうな白髪の村長はそう言って、渋面となった。
「何か考えられる原因とかは思い当たりませんか?」
そう難しい顔を浮かべて聞いたのは、ザインという名の若手狩人だ。今年で二十六になる。
「そう言われてもな。先程も言ったが、前例もなければ心当たりもないのだ。しかも、病気でもなさそうだし、あれが元通りに戻るのかどうかすらわからん。ただでさえ、このままでは大損害なのに、もしあの魔獣化が他の家畜にまで伝染したら、この村は一巻のおしまいだ」
村長はそこまで言って、顔面蒼白となり、頭を抱えてしまった。
「どうする?」
代表でこの場に集まっていたギール、マルス、ザイン、グレアムの四人は、互いに顔を見合わせる。
「どうすると言われても、俺たちがやることは一つだろう。買い付け予定の豚を捕獲して馬車に載せ、他のものも載せてからついでに怪我した村人も治療する。それで万事解決だ」
一同を代表して答えるグレアムに、ギールが面倒くさそうな顔して頭をかいた。
「まぁ、俺たちにできることといったらそれぐらいしかないからな」
「だな。で、その上でもし、半魔獣化した家畜の元まで行って、何かしらの原因がわかったら、そのときにはそっちもついでに対処する。それでいいか? 村長」
どこかぶそ~っと不機嫌そうに言うグレアムに、ナシュテット村の村長は暗い顔をして頷いた。
「あぁ。それでいい。どのみち、あんなおかしなもん、わしらもあんたたちも手に負えないだろうしな。公都から専門家がきてくれることにもなっているし、それまで豚どもを隔離してじっと耐えるだけだ」
「だったら決まりだな」
左の掌に右の拳を叩き付けるようにするギールに、グレアムも頷く。
「だな。さっさと終わらせて早いとこ村に帰ってやらないと、ラフィが寂しくて死んでしまうかもしれないからな」
カラール村からここへと至る道中、ずっと胸の中がもやもやして微妙に苛立ちすら感じていたグレアムの、どこか深刻そうな顔を見たギールが、呆れたような表情を浮かべた。
「今にも死んじまいそうなのはお前の方だろうがよ」
しかし、ぼそっと呟くベテラン狩人の言葉は、難しい顔を浮かべているグレアムの耳には届かなかった。




