78.カメラとプール
「カメラ……へ~……カメラですか。私がよく知っている単語ですね」
凍て付くオーラだけでなく、いよいよもって声まで凍り付きそうになるも、その表情は限りなくニコニコしている。
グレアムはそれを肯定と受け取り、更に得意げに説明し始めた。
「以前マルレーネは双方向の遠距離間通信はダメって言っていたが、こいつは一定の距離にある物体の姿そのものを、魔力液に浸した羊皮紙へと瞬時に転写してしまう魔導具なんだ。どうだ? 凄いと思わないか? これさえあれば、転写紙の羊皮紙が朽ち果てるまで、永遠にいろんなものの今の姿を記録しておけるようになるんだ」
やや興奮気味に説明するグレアムだったが、相対するマルレーネは呆れたように溜息を吐いた。
「グレアムさん……私言いましたよね? 文明レベルを引き上げるようなものを作ってはいけませんと」
「へ?」
「双方向カメラみたいにとてつもなく危険な代物ではありませんが、そのような今の時代に存在しないようなものを作ったら、お金持ちのお貴族様たちが大騒ぎしますよ? 『これを作ったのは誰だ~。大金出しても構わないから売ってくれ~』って」
「そ、そうなのか?」
「そうなんです! 大体がです。ダメって言ったあとで、いったいいつそのようなものをこしらえたのですかっ」
「え、えっと……キャシーの一件があってゴタゴタしていたとき、かな?」
「はぁ……それって私たちがグレアムさんのお宅にお邪魔できなかったときですよね?」
「そ、そうだな」
「ということはつまり、小うるさい私がいないから丁度いいやと思って、せっせこそれを作ってらしたということですか?」
どうやら自分が小うるさいということは自覚しているらしい。
「へ? い、いや、別にそういうわけじゃないぞ? ただ、いい案思いついたから、一刻も早く作りたくなっただけでだな」
次第にしどろもどろになっていくグレアムに、マルレーネがもう一度溜息を吐いた。
「もう……本当に、これだから放っておけないんですよ。しかも、グレアムさんが作るおかしなものって、全部、私が知っているあの世界の知識が微妙に混ざっているんですよね。これってどういうことでしょうか?」
「さ、さぁ? そんなこと言われても、心当たりないしな……。本当にふと、偶然に思いつくだけだし」
苦笑して頬をかいていると、「まぁいいです」と、マルレーネが話を切り替えた。
「それで? 一応お伺いしますが、どうしてそのようなものを作ろうとお考えになったのですか?」
「うん? あぁ、それは単純な理由だよ。ほら、ラフィの今の可愛い姿って、今しか見れないだろう? だから、記録できる何かがあったらいいなと、本当にそれだけのことなんだ。わざわざ画家とか招いて毎年書かせるのもどうかと思うしな」
「そうですね。お貴族様ではありませんし」
そう言って、マルレーネはクリスを見た。
「ん?」
メイド服着た女騎士が小首を傾げる。
クリスは曲がりなりにも聖教国の公爵家一族の娘だ。当然、上級貴族に当たる家柄なので、屋敷内に置かれている絢爛豪華な家財の中には先祖代々の肖像画も数多く飾られている。
ひとえに自分が生きた証しを後世に残すためのものだが、その数が多ければ多いほど、由緒ある家系であることを誇示することもできるし、財力=権力を持っていることの証しにもなる。
そのため、肖像画を描かせるということは貴族にとっては一種のステイタスだが、庶民にとってはそれほど大した意味はない。というより、金がないから無名の三流画家に書かせて記録として残しておくことぐらいしかできないとも言う。
肖像画とはそういうものだ。
そういった事情を知っているのかどうかはわからないが、マルレーネは特に気にした風もなく、すぐさまクリスから視線を外すと、代わりにグレアムが手にするカメラを見つめた。
「ただの四角い箱ですが、ちゃんとレンズもついてますし、写真を差し込む場所もあるんですね」
先程まであれほどぷんすかしていたのに、掌返したように興味津々といった感じで見つめている。
「それを使ってラフィちゃんを撮ろうとしていたわけですか。もう何枚か、写真撮られたんですか?」
彼女は中腰のままグレアムを見上げるが、見つめられた当の本人はきょとんとしていた。
「ん? 写真? 写真ってなんだ?」
「は? グレアムさん、カメラという言葉はご存じなのに、写真は知らないんですか?」
「あ、あぁ」
「呆れた……もういいです……」
ほとほと疲れたように溜息を吐くと、マルレーネはたらいの中でネコと水のかけっこをしていたラフィに近寄っていき、その場にしゃがみ込んだ。
「それにしても、なんだか本当に懐かしい光景ですね。私は入ったことありませんでしたが、知人の子供たちはよく、庭に置かれたプールで水浴びしてましたね」
言葉通り、大昔を懐かしむような寂寥感のある笑みを浮かべながら、独り言のように呟くマルレーネ。
「ラフィちゃん、涼しそうね」
ニコッと笑うマルレーネに、ラフィは愛らしい笑顔を返した。
「うん~~! おみずがとっても、きもちいいのです!」
「そう。よかったね、プール作ってもらえて」
「ぷ~る?」
「えぇ。こういう水遊び場はプールって言うのよ?」
「そうなのですか! プール! プールたのしいのです!」
「うっふふ」
マルレーネは慈愛の女神もかくやというほどの優しげな艶微笑を浮かべると、しゃがんだまま振り返った。
「ねぇ、グレアムさん?」
「お、おう?」
「今回はこれ以上何も言いません。私もグレアムさんの気持ちわかりますから。ラフィちゃんみたいな可愛い子には毎日幸せそうに笑っていて欲しいですし、写真も残しておきたいっていう気持ちも理解できますから」
「そ、そうか。そう言ってもらえると助かる」
「えぇ。ですが代わりに一つお聞きしたいことがあります」
そう言って立ち上がると、近くに寄ってきた。
「なんだ?」
「先程水着って言いましたよね? 水着という言葉自体、この世界では聞き馴染みないものですが、ラフィちゃんのあれも、グレアムさんが?」
「あ、あぁ。リューン村で水場仕事用に特化した服が作れないか頼まれていたから、試作品としてついでに作ったんだ。撥水効果と保温効果を高めただけの試作品だけどな」
「そうですか。でしたら、もう一つついでに、私たちの分まで作ってくれませんか? デザインはこちらで指示しますので」
そう言って、にっこり笑うどこか雰囲気が怖いお姉様。
「え……? 作るのは構わないが、お前たちも着るのか?」
「えぇ。なんだかラフィちゃん見てたら、大昔のこと思い出してしまいまして。懐かしさついでに、私も水遊びしたくなったんです。もちろん、屋内で、ですけど」
「そうなのか。だったら、喜んで作らせてもらうよ。マルレーネの分とクリスの分でいいんだよな?」
「はい。それで結構です」
マルレーネは何を考えているのかわからないようなニコニコ顔をクリスへと向けた。グレアムも釣られて彼女を見る。
それで事態が思わぬ方向へと進んでいることに今更ながらに気が付いたようで、クリスが顔面蒼白となった。
「お、おいっ。お前らまさか……! 私にまであんな格好させる気じゃないだろうな!?」
「あら? そう聞こえませんでしたか?」
笑いながら事もなげに死刑宣告するマルレーネに、クリスがあわあわし始めた。
「ふ、ふざけるなっ。お前らいったい何を考えておるのだっ。どうして私がそんな破廉恥な格好しなければならない! 断じてお断りだからなっ」
頬を引きつらせながら後退るメイド騎士。しかし、そうはさせじとクスクス笑いながらマルレーネが背後に回って羽交い締めにしてしまった。
「どこへ行くのですか? ダメですよ? 今からサイズを測ってもらわないといけないんですから」
「なっ……何を言っているのだ! 私は絶対に着ないぞ!? あんな格好して生き恥晒すぐらいなら死んだ方がましだっ」
「うっふふ。だ~~め~~です」
「いやだぁぁ、放せぇっ。後生だから見逃してくれぇっ」
「うふふ。さぁ、中に入りましょうか」
楽しそうにメイド騎士を家の中に引きずっていくマルレーネ。
どうやらクリスは、非力なはずのマルレーネにすら太刀打ちできないぐらい動揺しまくっているようだ。
「くっ……殺せっ。今すぐ私を殺せっ。辱められるぐらいなら死んだ方がましだっ」
本気で大暴れし始めるクリスと、ひたすらニコニコ笑っているマルレーネ。
そんな二人に呆れ果てながらも、仲裁に入っていくグレアムであった。




