75.何度もやらかすグレアム
マルレーネとクリスが家に来るのが遅かったせいか、その日の朝食は簡素だった。
だが、グレアムには文句を言う気などさらさらない。理由は簡単。それは、どんなにたくさんの料理を目の前に並べられたとしても、マルレーネが用意してくれたたった一つの肉片の方が満足できるからだ。
「ごちそうさん。今日もうまかったよ」
食事を終えて、村に戻るマルレーネとクリスの二人を玄関先で見送るグレアムとラフィ。
「どういたしまして。本当はもう少し、いろいろ作りたかったのですが」
「あれだけあれば十分さ。作ってもらえるだけで嬉しいよ」
「そうですか? そう言ってもらえると嬉しいですが、私的には、おいしいデザートも作って差し上げたかったんですけどね。小麦粉やお砂糖がもっとあれば、いろいろなものが作れるんですけど」
「小麦と砂糖か。確かにこの村じゃ手に入らないな。金額的には買おうと思えば買えるが、それ以前に市場には出回らないからな。一応少量なら伝手で手に入れられるが、たくさんはさすがにな。その筋の人間に頼み込めばなんとなるかもしれないが」
「そうですね。ですので、庶民は庶民の食べ物で我慢するしかありませんね」
そう言って、マルレーネは中腰になると、きょとんとしていたラフィを見つめた。
「ラフィちゃん、アップルパイ作ってあるから、お昼にでも食べてね」
「はいなのです! いつもありがとうなのです!」
ぺこりとお辞儀するちびっ子に、マルレーネはクスッと笑う。
彼女が用意してくれたアップルパイとは、結構簡易的な代物だ。
まず、ライ麦パンに使われるパン生地にバターを練り込んで簡易パイ生地を作る。
次に、カットして甘く煮詰めたリンゴを平たく伸ばした生地の上に乗せて、それをそのまま包み込んで焼いただけ。
リンゴ特有の甘さをそのまま活かしただけなので、砂糖には及ばないものの、それでも結構甘く仕上がっている。
グレアムもラフィも、既に何度か食べている菓子兼食事で、好物の一つとなっていた。
「何から何まですまないな。毎日こうやって面倒見てもらって。朝晩、毎日通うのも大変だろう」
「仕方ないですよ。グレアムさん、料理も子育ても慣れてないんですし」
「まぁ、それはそうなんだがな」
グレアムはばつが悪くなって、苦笑しながら頭をかくが、すぐさま妙案を思いついて表情を明るくさせた。
「そうだ。いい考えがある」
「はい?」
「いっそのこと、ここで一緒に暮らすか?」
「え……」
グレアムは特に深い意味もなく名案だと思って提案したのだが、マルレーネは見たこともないほど呆然と固まってしまった。
更に、彼女の隣に立っていたメイド服姿のクリスまで、間抜けなほどに唖然としている。
そんな彼女たちに、グレアムは小首を傾げた。
「うん? どうかしたか? なんか俺、変なこと言ったか?」
どうやらその一言で、マルレーネはおかしなスイッチが入ってしまったらしい。
「と、突然、何を言い出すのですかっ。私たち、まだそんな関係ではありませんし、いきなり同棲だなんて、そんな……まだ早いですよっ……それに、心の準備が……」
マルレーネは珍しく、顔を赤くして手で口元を覆い、大慌てとなっていた。
主張している内容もどこか支離滅裂な気がする。
しかし、グレアムはなぜ彼女がそんな言動を取っているのかまったく理解できず、更にきょとんとした。
「よくわからんが、なんでまだ早いんだ? ここで一緒に生活すれば、ラフィの面倒も見やすいし、いちいち村とこの家とを何度も往復しなくてすむから、マルレーネも楽でいいだろう? それに俺もその方が助かるし」
そう言って苦笑するグレアムに、マルレーネの動きが止まる。あれだけ焦ったように挙動不審になっていたというのに、既に無表情となっている。何が彼女をそのような態度に走らせたのか、やはりグレアムはまったくわかっていない。
彼女の細められた瞳がじ~っと彼を射貫いた。
「グレアムさん……」
「ん? なんだ?」
「まさかとは思いますが、私のことを子守専門のメイドか何かと勘違いしていませんよね?」
「え?」
「私のことを便利な住み込みのお手伝いさんか何かと、そう思っておられませんか?」
「え……? い、いや、別にそんなことは……」
グレアムにはマルレーネがなぜご機嫌斜めになってしまったのか、まったく心当たりがなかったので困惑してしまった。
そうこうしているうちに、彼女はぷいっとそっぽを向いて、敷地の外へと出ていってしまう。
「もう、知りませんっ」
一人ぷんすか怒って村に帰っていってしまったマルレーネ。
「ま~たん、どうしたのですか?」
グレアムのズボンを掴んでいたラフィがきょとんとした。
「さ、さぁ? 俺はただ、ここで生活した方が楽だろうと思って勧めただけなんだけどな。なんで怒ってるんだ?」
終始、理解不能といった体で首を傾げる男に、それまで拳をピクピク震わせ俯いたままだったメイド服のクリスが、勢いよく面を上げて怒声を放った。
「お前という奴はっ」
いきなり胸ぐらを掴んでくるクリスが、怒りで顔を真っ赤にしていた。
「この私というものがありながら、他の女と一緒に暮らしたいとは何事かっ」
「へ?」
「へ、ではない! 私はお前の婚約者だぞ! それなのに、私を差し置いてマルレーネと一緒になりたいとか、お前はいったい何を言っておるのだっ」
「は? い、いや、誰もそんなこと言ってないだろう。一緒に暮らしたいだの、一緒になりたいだの、お前は何を言っているんだ? それ以前に、俺とお前とは既に縁切れていて、今は赤の他人じゃないか。今更昔のことを持ち出されてもな」
「あ、赤の他人!? 昔のことだと……!」
グレアムの台詞に呆然となり、口をわなわなさせるクリス。
マルレーネに引き続き、こいつはいったい何を言っているんだと、グレアムは思わず突っ込みを入れたくなってしまった。まるで意味がわからない。心底げっそりしてしまう。
「ていうか、本当にお前たちはさっきからなぜそんなにいきり立っているんだ? 別にただ同じ屋敷で共同生活を送るだけだろう? 貴族の屋敷などではよくあることじゃないか。お前だって今、住み込みで働いているだろう?」
「す、住み込み……? 働く……?」
どうやらクリスは、グレアムによって次から次へともたらされる情報を処理しきれなくなってしまったようで、ぽかんとした。
そんな彼女に追い打ちをかけるように、ラフィがグレアムのズボンを何度も引っ張りながら、彼を下から見上げた。
「ぐ~たんぐ~たん! ま~たんはラフィのおかあたまなのです! ま~たんとぐ~たんと、三人でいっしょにねたいのです! だから、ま~たんも、ここでいっしょにせいかつするのです!」
さも素敵な考えが思いついたと言わんばかりに、ニコニコ笑う幼子。
対するクリスは、
「い、いっしょに……ねるだと……!?」
そう呟いて、そのまま石化した。
グレアムはひたすらニコニコ笑っている愛らしい姿のラフィを見て、自然と笑みがこぼれてきてしまった。
「そうかそうか。ラフィも一緒に暮らしたいよな?」
「うん~~!」
地面をぴょんぴょん飛び跳ね、思いっ切りはしゃぐ幼子をグレアムは抱っこした。
「でもな、ラフィ。一緒には寝れないぞ?」
「どうしてですか?」
「うん? だってほら、マルレーネと俺たちは家族じゃないだろう? ただの友人だから、一緒に寝ることはできないんだ」
「うん~~? そうなのですか? よくわからないのです。でもでも、かぞくになれば、いっしょにねられるのですか?」
「そうだねぇ。そうかもしれないねぇ」
グレアムがそう優しく諭すように言うと、陰りかけていたラフィの顔が、ぱっと花開いた。
「だったら、いますぐかぞくになればいいのです! そうすれば、バンジカイケツなのです!」
どこで覚えたのか。彼女が自分の使った難しい言葉を理解できているのかどうかはさておき、両腕上げてキャッキャし始めた。
「それからそれから、ついでにく~たんもかぞくになって、ラフィのおねえたまになればいいのです! そうすれば、く~たんもいっしょにねられるのです!」
その台詞を聞いた瞬間、ぱり~んと、クリスの石化が派手に解けた。
「わ、私も一緒に寝るだと!? グレアムと二人っきりで寝るだと!?」
何か派手に勘違いしている風の、メイド服着た女騎士は一人妄想の世界に飛び込んでいってしまったようだ。赤い瞳がぽわわんとし、口元が締まりなく緩んでいる。
グレアムは収拾がつかなくなってしまった目の前の惨事に呆れながらも、クリスの背後に回って背中を強打した。
「いたっ――おい、グレアム! 貴様いったい何をするかっ」
表情を一変させ激おこになった彼女に、グレアムは手をひらひらさせた。
「もうそろそろ村に戻れ。ご主人様を一人放って、こんなところで油売ってられる立場じゃないだろ?」
「ご主人様!? 誰がご主人様だっ。私にそんなものはいないぞ!」
「いや、いるだろ。だってお前、今はマルレーネに雇われている身なんだから。しかもそんなひらひらの可愛らしい服まで着て」
ニヤッと笑ってやると、クリスは顔を真っ赤にしながら狼狽した。
「だ、だからこれはっ、マルレーネに無理やり着せられただけだっ」
「はいはい。わかったわかった。とにかくさっさと追いかけろ。マルレーネに愛想尽かされて仕事なくなっても困るだろ?」
「う……く、くそっ。覚えてろよっ」
彼女はそう吐き捨て、一足先に村へと続く緩やかな下り坂を歩いていたご主人様のあとを追いかけていった。




