73.未来を憂う者たち
翌日早朝。
クリスの父であるエドワール・ド・シュクルーゼ公爵は近習からの報告を受け、右手で額を押さえていた。
「またか……」
「はい。昨夜遅く、平民街に出入りしていた下級貴族のベルゲンシュタット殿が賊に襲われ、命を落としたとか。噂によると、彼の者は暗部に所属する小隊長だったそうです」
暗部は一般的に、存在を知られていない組織である。
一部の政治家や軍人は周知しているが、それ以外はたとえ、国家権力に組みする者であっても認知していない部隊だった。
そんな男が殺された。
ただ単に、場当たり的に殺されたのか、それとも狙い撃ちにされたのか。それ次第では状況はがらりと変わってくる。
「目撃者たちの証言によりますと、身なりからしておそらく貧民街の住人に襲われたのではないかと推察されます」
「つまり、日頃から貴族への反発心が強い連中ということか」
「はい。最近は貴族街区でもたびたび似たような事件が起こっていますからね。殺人、放火、強盗。いずれも、法則性がまったく感じられない襲われ方をしているようです。ですので、今回も出会い頭の犯行かと」
静かに語る近習の男に、執務椅子に腰かけていたシュクルーゼは深く溜息を吐いて背もたれに寄りかかった。
「神殿騎士団は何をやっておるのだ。ただでさえ日増しに犯罪件数が増えておるのだぞ? これ以上増え続ければ、あとはもう民衆によるクーデター一直線ではないか」
「……そうですね。そうなったらこの都はおしまいです」
想像に難くない現実。不満が爆発した民衆を抑え込もうと、神殿騎士団が動いて衝突し、その挙げ句に大虐殺。
人身は荒れ果て、その余波が他の都市へと伝播し、国家存亡の機となる。
そして、最悪の結末へと直結する。
かつて一人の男の尽力によって成し遂げられた恒久和平が崩れ去り、再び帝国との戦争へと突入。今度こそ間違いなく攻め滅ぼされるだろう。
シュクルーゼ公爵は天井をぼぅ~っと見つめた。
「グレアムよ。お前は今頃、この状況を見て笑っておるのであろうな。お前を守ってやれなかった無能な義父と。そして、帝国への牽制の役割を兼ねている聖騎士団のことを」
神殿騎士団が聖都内の治安を主に担当するのに対して、聖騎士団は対外的な役割を担っている。魔獣や魔物の討伐や駆逐を行ったり、戦争時には尖兵となって敵軍を駆逐したりといったことが主な役割だ。
だからこそ、余計に口惜しいのだろう。あれほどの激しい戦争を経験し、ようやくの思いで和平にまでこぎつけたというのに、愚か者たちのせいでそれがすべて無に帰してしまう。
この六年もの間、おそらく帝国は更なる軍事力の拡充を果たし、技術力も格段に向上しているはずだ。
元々、魔導列車や魔導蒸気帆船、魔導飛行船などは開発されていたが、今は他にも未知の兵器などが開発されていてもおかしくはない。
しかし、それに比べてこの国はどうだ。
冒険者たちがいなくなり、錬金魔法の開発もそこまで進んでいるわけではない。
神殿騎士団団長を務める男は実直で正義感にあふれているが、その下につく者たちは年々腐敗の一途を辿っている。
教皇や枢機卿を始め、宮廷貴族らも相変わらず自己保身に走るばかり。このままではいずれ、帝国に攻め滅ぼされる前に自滅するのではないかと思われた。
「案外、これでよかったのかもしれんな」
「はい?」
独り言のようにぼそっと呟いた公爵に、近習がきょとんとする。シュクルーゼは笑った。
「グレアムだよ。こんな腐った国から飛び出し、余所で平穏な生活を送っているのであれば、その方がよかったのかもしれんと思ってな」
「……そうですね。あの方もお嬢様も、その方がよいのかもしれませんね」
シュクルーゼ同様、憂いを帯びた笑みを浮かべる近習に、
「そういえばその後、あいつらについて、何かわかったか?」
「あ、はい。そのことなのですが、つい先頃、密偵から文が届きました。それによると、ようやくお嬢様の大体の行方を掴んだとのことです」
「どこだ?」
「……グラーツだそうです」
「グラーツだと……?」
そう呟いた公爵はどこか呆れたような顔をしていた。
「あのバカ娘、随分とおかしな場所まで行ったものだ。世界の果てではないか」
「えぇ。ですが、彼の国は我が国からは直接渡ることができない辺境の地です。海流の関係で船が出せませんし、迂回しようにも共和国の領海に侵入することになりますからね」
「つまり、グレアムが隠れ住むにはうってつけというわけか」
「はい。おそらく、お嬢様も何かしら情報を掴んで渡られたのだと思いますよ。何しろ、共和国を経由しているはずですからね」
そう意味深に告げる近習に、公爵は「やれやれ」と、疲れたように呟いた。
「あの狸親父め。情報を隠しておったな」
「ふふ。何しろ、あの方はグレアム様と大変親しいようですからね。全面的に援助していたとしてもおかしくありません」
「となると、現在クリスは……」
「はい。グレアム様と一緒にいる可能性が高いかと」
静かに告げる近習に、公爵は眉間に皺を寄せる。
「いかがなさいますか?」
「……奴と一緒なら心配いらんだろう。この国の今を考えると、無理して連れ戻すのもどうかと思うしな」
「では引き続き監視ということで?」
「あぁ。もし見つかったとしても接触せず、陰ながらに様子を見るよう伝えておいてくれ」
「御意に」
近習はそう応じて恭しく頭を下げてから出ていった。
一人残された公爵は、
「グレアムと一緒にいる……か。くく……あの小僧、さぞや振り回されているであろうな」
そう独白して笑った。




