71.墜ちた英雄事変
ハイネアン聖教国聖都ファルトネーは北半球に位置するため、現在は冬へと移行し始めている。
この都は南北に細長い作りとなっており、町の中心部に大聖堂であり教皇らが住まう聖城でもある巨大な建築物が建てられている。
そこを中心にして東西すべてが政庁区、城の北側に貴族街、南側がすべて平民街となっていた。
平民街も貧富の差によって自然と住み分けがなされており、富裕層や比較的生活が豊かな者たちは大通り周辺街区に居を構えることが許されているものの、そうではない貧困層は、南東の角や南西の隅へと追いやられる形となっている。
その上、貧民街はただでさえ治安が悪かったのに、近年では更にその傾向が強くなっていた。
その原因のすべては六年前のあの事件にまで遡ると言われている。
『墜ちた英雄事変』
かつて冒険者たちの頂点に君臨していた男が国家転覆を謀って反旗を翻すも失敗に終わり、大逃走劇の果てに聖都から落ち延びていったと言われている大事件のことだ。
この事件があってからというもの、聖都内の様相が一変した。
あれだけ大勢の冒険者たちがいて活気に満ち溢れていた街路からは急激に人が減っていき、月日が流れるごとにどんどん寂れていってしまった。
そして、それに呼応するように治安が悪化し、犯罪件数が日増しに増えていった。
そのことについて、貴族連中や富裕層らの大半は、かつて逃げていった逆賊がすべて悪いと信じて疑わなかった。
教会や国から発表された事件のあらましを鵜呑みにし、かつての英雄が逆賊と盲信したからだ。彼らは元英雄に何度も罵詈雑言浴びせ、「取っ捕まえて公開処刑にしろ!」と狂信的に叫び続けた。
しかし、貧困層やその日暮らしの平民、それから冒険者たちなどは逆に、彼の無実を信じ、決して犯罪者とは認めなかった。それが、冒険者たちの聖教国離れを引き起こす要因となったのだ。
「あの方がそんなことするはずがない」
「無欲なあの野郎がそんなことするわけねぇだろうが」
「どうせ陰謀にでも巻き込まれたんだろ? 可哀想にな」
「あ~あ……やっぱり、聖騎士なんかになるべきじゃなかったのよ」
「ずっとあたしたちと一緒に冒険していればこんなことには……」
そう、彼らは口々に残念がり、愛想を尽かしてこの国から去っていってしまったのである。
そうして、できあがったのが現在のファルトネーだった。
この都の治安を直接任されている神殿騎士団は、貴族出身で気位が高い者が多いため、平民街や貧民街にはあまり行きたがらない者たちが多い。それゆえ、彼ら騎士団はレンジャーギルドと連携する形で今まで町の治安を維持してきたのだ。
しかし、圧倒的に冒険者の数が足りなくなってしまった現状では、それすら叶わない。
それゆえ、ただでさえ治安が悪かった貧民街の更なる治安悪化を招く結果となり、それだけに留まらず、今やそれ以外の富裕街区や貴族街区にまで犯罪の手が伸び始めていたのである。
「世も末だよな……」
「まったくだ」
そんな現状を憂うかのように、平民街の酒場で酒を飲んでいた数人の男女が溜息を吐いた。
彼らは大衆酒場の隅っこに設置されていたテーブルを囲み、夕食を取っている最中だった。
大剣をテーブルに立てかけた大男が一人。
長剣二本を立てかけた男が一人。
あとの二人は厚手のローブを着込んだ女性二人だ。
「それで? 俺たちはこれからどうするよ?」
「まぁ、それはあいつら次第だな」
そう言って、大男が意味深にとある一角を顎で指し示す。彼以外の三人がそいつらに感づかれないようにそちらを見やった。
そこにはやはり、数人の男たちが背中を丸めながら酒を酌み交わしていた。
その表情はどれも会食をしているといった雰囲気ではない。
全員が生地のよさそうな黒や灰色のローブを身につけ、顔つきも平民というよりまるで貴族のようだった。身だしなみもきちっとしている。
「アリエル」
大男にアリエルと呼ばれた女性が頷くと、瞬間的に一瞬、身体中が青白く光ったような気がした。
それを視認した他の者たちが一斉に聞き耳を立てる。すると、彼らの聴力が通常時の数倍拡大され、今まで聞こえてこなかったローブを着た男たちの声が聞こえてきた。
「たくっ。あのお方も相変わらず小うるさい人だ」
「まったくだ。いつまであのクソ野郎のこと気にかけてやがんだよ」
「いい加減、あの粘着質な性格なんとかならんのか?」
酒を飲みながら、男たちはそう愚痴をこぼしていた。
「だが、仕方あるまい。我らは所詮、評議会の犬よ。ただ命じられたまま動くのみ」
「だな。そうすれば、自ずと大金が転がり込んできて、こうやってうまい酒が飲めるようになる」
「あぁ。だが、この件だけは話は別だ。あのクソ野郎の暗殺に失敗したせいで、俺たちゃとばっちり食らったんだからな」
「くそっ。思い出しただけでも腹が立つっ。なんであのチキン野郎のせいで、俺たちが降格処分食らわなきゃいけねぇんだよ」
「しかも、今回しくじったらもう用済みとか、バカじゃねぇのか? 俺たちは貴族だぞ!」
彼らの不平不満はその後も更に続いていった。
そんな男たちの会話を聴力強化魔法の力を使って盗み聞きしていた大男は溜息を吐く。
「いまだ暗部が動いているとか、あいつもとんだ災難だな」
「あぁ。だが、共和国のギルド長がすべてもみ消してるんだろ?」
「そうらしいな。まぁ、あの国はあいつのことを崇拝している奴らも多いし、この国の冒険者たちも、一部を除いては大抵味方だからな。よっぽどのことがない限り、火の粉が降り注ぐことはないだろうよ」
そう言いながら酒を飲む大男に、アリエルと呼ばれた女が口を開く。
「だけれど、うちらはどうするの? このままここに留まるつもり?」
「さぁな。だが、そろそろ潮時なのも確かだろうさ。ギルド長の話だと、あいつはあそこにいるらしいからな。だったら俺たちも、奴と合流するのも手かもしれねぇな」
「ふふ。そうしたらまた、黄金コンビの復活ってわけね」
そう言って彼女はニコッと笑う。
そんな二人に、相変わらずローブ男たちの動向を探っていたもう一人の男が、
「だが、あいつらをこのまま野放しにしたままっていうのはさすがにな。腸煮えくり返りまくってるから、そろそろもう堪忍袋の緒が切れそうだぞ?」
今しも斬りかからんばかりの苛立ちを見せる彼に、大男が笑った。
「なぁに。そんな心配する必要なんかないだろうさ。あいつらもそうだが、指示出した連中も含めてそのうち自壊するさ。何しろもう、この町は暗黒街と化してるからな」
そう意味深に言う大男。
「確かにな。あのクソ野郎の命狙ってる奴もいるって聞いたしな。ホント、悪いことはできねぇな」
彼ら四人はそんなことを話しながら、笑い合った。




